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LAZY HEAD

自分、ホジナシですから・・・

レッドクリフ Part2

2009年04月25日 | Weblog
さて、物語はいよいよ赤壁での決戦に。

いきなり率直に言ってしまうと、Part1はサクサク見れたけれど、2はなんだか間延びした感があって、これで2本に分ける必要があったのかなあ、という気もしないでもありませんでした。

それはさておき、『演義』では孔明の引き立て役として、いいようにあしらわれていた公瑾さんですが、本来は頭脳明晰でありながら個人戦闘力も高いという、非常にハイスペックな人だったわけで、おまけにイケメンだったそうな。
世の男の敵じゃねーか。

>なお京劇では周瑜は「美周郎」のあだ名の通り、古来より二枚目が演じる役とされており、眉目秀麗な英雄としてのイメージが定着している。
とも書いてあります。

トニー・レオンが「眉目秀麗」かどうかはさておいて(カッコ良かったですけど)、周瑜は主役ということで「復権」してよかったですな。
『演義』のように孔明をバケモノにしなかったのも良い所だと思います(脇役だし)。壇を築いて東南の風を祈るシーンは見たかったけど(笑)。
それに加えて、関羽や張飛よりも趙雲の見せ場が多いのも本作の特徴と言えるでしょう。ふだんはどうも2人の陰に隠れがちな子龍さんですが、映画では大活躍。こうしてみると劉備軍にはスターが多いですな。

しかし、それに比べると、孫権軍の大将が中村獅童くらいしか目立たなかったのが気になります。とても有名なあるエピソードはスルーされてたし。
実は一番おいしい役だったのではないかしら、中村獅童ってば。

ただ、思いますに、「英雄」と呼ばれて現代でももてはやされている上の人達はいいとしても、その下で殺されていった無名の兵士達こそいい面の皮です。
そんな悲劇を通じてジョン・ウーは反戦を訴えたかったのかも知れませんね。

帰京

2009年04月12日 | Weblog
タクシーを雇ったために駅では逆に30分ほど余ってしまいましたが、乗り遅れるよりはマシでしょう。

会津若松15時05分発の普通電車郡山行きは、2両でやってきて4両増結。観光客波動に対応したのでしょうか。来週はお城で桜祭りがあるのですが、今日はまだ客が少ないのでかなり余裕があります。

磐越西線はカーブが多く、右に左に曲がるので、車両の向こう側から射していたはずの太陽が、いつの間にかこちら側から照りつけている、なんてこともしばしばあります。景色が良いので眺めていたいのですが、ブラインドを下ろさないと他の人にも迷惑になりますし…かなり悩みましたね(笑)。

来る時に見つけた郡山(の近く)の桜並木は、もう満開になっていました。東京の近くにこんな所があったら大勢の人が押しかけそうなほど見事に咲き誇っているのですが、花見客は誰もいません。立ち入り禁止区域なのでしょうか。

郡山からは東北新幹線で一路東京へ。
新幹線だから東京駅にはすぐに着いてしまいます。便利ですが、なんとなく物足りない気もします。東北方面から乗るなら在来線で、終着駅はやはり上野駅がいいように思います。赤羽付近や鶯谷周辺の怪しげな(笑)ネオンが「東京に帰ってきた~」と実感させてくれ、旅の終りを教えてくれるのですが、地下線ではどうも感慨が湧かないのでした。

そう言えば、青函トンネルも似たようなもので、気がついたら北海道、という状況もあまり感心しません。
建設に苦労した方々には「何を贅沢な!」と叱られてしまいそうですが、遠くへ出かけるにせよ、遠くから帰ってくるにせよ、何かこう、区切りがついてはじめて「旅」になるのではないか、と思うのです。出発も到着もその土地の風景が見えないのでは、それは単なる「移動」に過ぎず、それではちょっと寂しいかな、なんて思ったりします。

御薬園

2009年04月12日 | Weblog
ネパール博物館で仏教美術の神髄(嘘)を堪能した後は、これまた観光名所になっている「御薬園」へ。
ここは藩主が日本式回遊庭園に様々な薬草を植えたのだとか。お殿様の憩いの場でもあると同時に医学の研究施設でもあったようです。

観光バスは来ないし、徒歩でも15分くらいだから、歩いて行くことにしました。決してバス代200円を惜しんだわけでは…ありません、はい。
1時間くらい見てから駅までのバスに乗れば、郡山行きの電車に間に合う。そのつもりだったのですが。

それにしても、まさか日曜日の午後に会津若松の町外れを歩く私がいるとは。今まで想像したこともありませんでしたよ。
しばし歩いて、「御薬園」に到着。

園内には今でも実際に様々な薬草が栽培されています。やはり漢方薬の材料になる草木ばかりですが、なぜか効能は「利尿」が多かったりします。
体温調節のためか、膀胱結石が多かったのか…

池の周りをぶらぶらと散策し、さて帰りのバスは何時に駅に着くのかな、と、そこで初めて路線全部の時刻表を開く。
と、ちょうど良いと思っていたバスが会津若松駅に着く時刻が、郡山行き電車の発車時刻でした。
大慌て。

うーむ、時刻表読みとしてはあるまじき失態。そう言えば、昨日から読みが甘いというか、全然気にしてなかったんですけどね。
これがいつものように勝手気ままな旅行なら、いくらでも融通がきくのですが、今回は格安のパックツアーだけに行程の変更は許されていません。
さあ、このピンチをどうやって切り抜ければよいのでしょうか。

答え:タクシー
御薬園の受付嬢(?)に頼むとすぐに呼んでくれました。

タクシーの運転手は話し好きなのか、お天気の話から会津若松の現状までしゃべり通しだったので、車内では退屈せずにすみました。
が、この不況下ではやはりどこも厳しいらしく、会津若松ほどの都市でも例外ではないようです。
しかし、
「まあ、ここは住むには良い所ですよ。」
と誇らしげに言うのを聞いてホッとしました。こういう人がいれば、この町も大丈夫なような気がします。
根拠はありませんが。

怪しさ大爆発

2009年04月12日 | Weblog
朝はのんびりと過ごし、10時半過ぎにチェックアウト。
送迎バスを頼むついでに、武家屋敷を見学したい、と申し出ると、送ってくれるとのこと。まさに至れり尽くせりです。パックの安客なのに。

観光バス乗り場を通り過ぎ、会津武家屋敷へ。会津藩の家老、西郷頼母の屋敷を資料館にしたもので、当時の貴重な遺構が残されています。日本建築はいいですね。冬は寒そうだけど。
ここも桜が美しく、見とれてしまいました。
その桜の花を近接撮影しようと、若い娘がヘソ丸出しにして背伸びしていた姿には、興がそがれてしまいましたが…
はしたないにもほどがある。西郷頼母の妻子に謝れよぅ。

会津武家屋敷は見所がたいへんに多く、園内を一通り巡って出てくると、表にはいつの間にか観光バスがずらりと並んでいました。会津観光では必須のポイントだったようです。

しかし、今日のメインイベントは、実はこの後に控えているのでした。

一番見たかったのは「ネパール博物館」なのです。

なぜ会津若松の、それも温泉街の入口にネパール博物館があるのか、それだけでも怪しいニオイが漂ってきますが、話は前後しますけれども、会津若松とネパールの関係を、館長さんはこう説明していました。
お寺の多い「仏都」会津若松と、お釈迦様生誕の地ネパールは、何らかの関係があるのかも知れません。
と。いや、知れません、て。

さて、そのネパール博物館ですが、予備知識なしではまずたどり着くことはできません。場所は武家屋敷のすぐ隣なのですが、そこには郷土料理の「鶴井筒」という店があります。明治時代にどこぞのお大尽が金にあかせて建てた大豪邸を移築したもので、最近流行りの「民芸調なんたら」とはまるで別次元の、本物の日本建築です。
内部の各所に施された意匠にも粋がこらされています。土間から上がって畳の座敷で食事をしたら、お婆ちゃんがちんまりと座る帳場でお会計、という、感心するような呆れるようなシステムになっているのも魅力。文人墨客や芸能人の色紙も多いことから、この辺ではなかなかの格式を誇っているようにも見えるのですが。

ネパール博物館は、この鶴井筒の2、3階に設けられているのでした。
わからんって、普通。

鶴井筒で食事をすると入館料の200円がタダになるので、帳場のお婆ちゃんに喜多方ラーメン代580円也を支払い(もっとマシなもの食えよ…)、脇の階段から2階へ昇ります。天井が低いので頭上注意です。
2階へ上がると…

ここで私が見たものは、皆さん現地へ行って実際にその目でご覧ください。
立地の怪しさ、所在地の怪しさなど遥かに凌駕するくらいの怪しさで溢れかえっていますから(笑)。
妖しさと言い換えてもいいかな。

ほんの少しでも仏教…仏教美術や仏像に興味のある人なら必見。
少なくとも私には、今年見た三井寺展や阿修羅展の仏像などかすんでしまうくらい、インパクトのある仏像達でした。さすが本場物は違います。

ちなみに、これらの展示物はすべてここのご主人の個人的なコレクションなのだそうで、物好きな人もいるものだと思いますが、それを見て喜んでいる物好きもいるわけで、となると、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン、という気がしてきます。

しかし、下に厨房があって、かつ吹き抜けになっているせいか、3階(つーか屋根裏部屋)の温度計は30℃。ガラスケースに入っていない仏像は大丈夫なのでしょうか。
余計な心配をしつつ、この怪しい妖しい博物館を後にするのでした。

蕩児ですが何か

2009年04月11日 | Weblog
お城でお花見の後はいよいよ今宵の宿へ。
「鶴ヶ城三の丸前」バス停まで降りてくると、時刻表では最終バスが1分前に出た、という時間…タクシーを拾おうにも、クルマそのものがあまり走っていないんですけど(泣)。

しかし、バスは遅れることもあります。それに一縷の望みをかけて待っていると、果たして終バスは3分遅れでやって来ました。今回はボンネットバス1台だけです。外見より中身を重視する私ですが、乗れるとなるとちょっと嬉しかったりして(笑)。
狭かったですけどね。

終点で宿の送迎バスに乗り換え、いかにも温泉街でござい、といった風情の中を2、3分走って、今宵の宿「原瀧」に到着。途中にあった射的屋が気になるなあ。

通された部屋は眼下に湯川という川が流れていて、小さな滝も見えます。この滝がネーミングの由来となった「原滝」のようです。
空調の音がゴーゴーとうるさいので止めようと思ったら、スイッチは切れていました。よくよく聞いてみると、川の流れる音だったりして…これは止めようがありません。
今夜は眠れるのでしょうか…

大浴場「千人風呂」は、天井まである大きな窓から湯川と原滝を見下ろせます。階段を下りた先の露天風呂も同様で、開けっぴろげでは対岸から覗かれるのでは?と心配する方もいるでしょうが、対岸は崖なので心配はありません。
たぶん。

お湯もやわらかいし、広々と使えて気持ち良く、この歳になるとあちこちガタが出てきてますから、こういう良い温泉で一泊ではなくじっくり湯治してみたいものです。
…金が続かないか。

食事はバイキング形式。野菜を細かく切って醤油で味を付けて煮込んだ会津の郷土料理の「ざくざく煮」が大変美味しく、「棒鱈」や「ニシンの山椒漬」も酒の肴にぴったりで、福島の料理は今までピンと来なかったのですが、これほど美味しいものがあったとは意外でした。(怒られるかな?)
そりゃ小原庄助さんも身上潰しますよ。
しかし、「水辺のダイニング 川どこ」がまだ開いていなかったのは残念でした。

たっぷり食べてたっぷり湯に浸かり、心配した川の音も子守唄代わりになって気持ち良く就寝。
アメニティは完備していたし、従業員も皆さん親切で丁寧で、とても過ごしやすい良い宿でした。今度は「川どこ」目当てで行ってみたいですね。

鶴ヶ城の桜

2009年04月11日 | Weblog
博物館を堪能した後は、続いて道路を挟んで向かいの鶴ヶ城へ。
城内の桜は五分咲きでした。
実は前の晩に見ていた会津若松市観光協会のサイトには、市内は一分咲きだが週末は暖かいので一気に開花するでしょう、と書いてありました。暖かいを通り越してもはや暑いのですが…おかげで予想通り開花は一気に進んだようです。

正直言うと、「名所」とされるほど桜がたくさん植わっているわけでもなく、目玉になるような名木があるわけでもないのにな、と思いました。
しかし、「城」と「桜」はよく似合います。双方とも日本的な美の極致だからでしょうか。そういう意味では、この取り合わせはまさに「名所」と言ってもいいと思います。


桜写ってないじゃん…

天守閣に登ると、中は資料館になっています。最上層は展望台。若松の街が一望できます。幕末の悲惨な戦いに思いを馳せてみると、「お殿様気分」というわけにはいきませんでしたが。
もっとも、地元の人は案外と意に介していないように見えます。どこでもご近所の観光名所などそんなものなのでしょうが。

下へ降りるとお決まりの土産物屋。赤べこに無理矢理キャラクター性を付与して仕立て上げたグッズには目をつぶるとしても、今年は大河ドラマの関係で便乗商品が所狭しと並んでいます。
「愛」の前立てのついた兜をかぶった鬼太郎の目玉おやじって何ですか、そりゃ。
「会津藩お預かり」だったという理由だけで、当地にはそれほど縁のないはずの新撰組グッズまで置いてあります。
「新撰組まで持ち出すんなら、いっそのこと『洞爺湖』と彫られた木刀を置いてくれれば買うのになあ。」
と呟くと、後ろにいた見ず知らずの観光客にクスリと笑われたような気がしましたが…いや、甥っ子が大好きなので、あれば買っていってやりたかったのですがね(汗)。

福島県立博物館

2009年04月11日 | Weblog
福島県立博物館は、館長があの赤坂憲雄さんだと聞いて、ほぼ民俗学博物館と化しているのではないかと期待していたのですが、別にそんなこともなく、展示内容もバランスの取れた良い博物館でした。
もちろん、民俗コーナーにはさりげなくだが最も力が入っていましたが。
…気のせいですかね?(笑)

ちなみに、見学者から質問があればすぐに答えられるよう、館内には随所に説明員の方が控えています。なかなか行き届いた配慮だとは思うのですが、あいにく今日は他に見学者は1人しかなく、手持ち無沙汰な雰囲気が漂ってきます。
チラリと見ると、すぐにもこちらへダッシュして来そうなくらいウズウズしている感じと言うか、まさに獲物に飛びかかろうと待ち構えている猛獣のような勢いで。
質問もしない悪い客で申し訳ありません。m(_ _)m

ただし、個人的には縄文だの弥生だのはもういらないと思うのです。
6千年前の人類と現代の人間との間に何の関係がありますか。
学校の授業でも土器がどうの、化石がどうの、というどうでもいいことに時間を割きすぎて、現代人が最も学ぶべきではないかと思う明治以降の近現代史はほとんど手つかずで終わってしまった記憶がありますので。
この国がどのようにして成り立ったか、それを教えないで、どうして世界に顔向けができますかね。

ハイカラさんが通る

2009年04月11日 | Weblog
会津若松の市内を巡回する観光バスは、大正時代を意識したというレトロ調のボンネットバス。私たちの乗るコースのは「ハイカラさん」という名前がついていました。
「♪りりしくこいしてゆきたいんですわーたしー」
「なんですか、それ?」
「すいませんすいません」
映画「はいからさんが通る」を地上波で見たいのですが、そう言えばなかなか放送してくれませんね。
いえ、ナンノに用事はないのです。若き日の阿部ちゃんが見たいだけなんです。

ところが、このバスのまた小さくて狭いこと!
たぶん15人も乗れば満席で、おそらく15人は乗っていたからすでに満席でした。もっとも、会津若松の街は道幅の狭い箇所が多いので、このくらいの細身でないと運行しづらいのでしょう。

ただし、観光バスともあろうものがそんな定員ではものの役に立たないのか、同じ塗装の大型バスが続行します。旧くなった路線バスをお色直ししたロングボディー車で、私たちはこちらの方へ乗りました。ガラガラなのが辛かった…
いかし…いざ走り出すと、このデカいのが軒をかすめて突っ込む突っ込む。

観光に来て、古い街並みよりもスリルを味わってどうするのかと。

鶴ヶ城に行く前に県立博物館を見て行こうと思い、「県立博物館前」バス停で下車。しかし、肝心の博物館がありません。
よく見ると、目の前にある大きな建物がそうらしいのですが…

実は博物館の入口は、次の「鶴ヶ城三の丸前」バス停の前にあったのです。
なら変な表示をするなー!
暑い中、バス停1つ分を無駄に歩かされて、会津若松への第一印象は最悪な所からのスタートとなってしまいましたが。
昔、お盆休みにカブで札幌に帰る途中で通りかかったら、渋滞に巻き込まれて暑い思いをした時以来から、あまり良い印象は持っていなかったのですが(笑)。

アプローチのみで長くなりました。
文章が無駄に長いのは仕様ですが、次回はいよいよ核心へ(!?)
行けるのでしょうか…

会津ツアー

2009年04月11日 | Weblog
ふと「温泉に行きたいなあ」と思ったので、JRの安いツアーを探して出かけることにしました。
JRには「サプラ伊豆」と称するふざけた名前の格安温泉ツアーがあるのですが、伊豆は先日行ってきたばかりですし、今回は花見もしたいので、どこか北の方へ行ってみたい、と思いました。

東京から北の方で比較的近い場所と言えば、福島の三春でしょうか。
梅と桃と桜、春の花が三つ同時に咲くから三春、という話を聞いた我が老父は、
「なら江差だって"三春"だあ」
などとわけのわからない対抗意識を燃やしていたものですが…

三春には有名な「滝桜」もあるし、一度は行ってみたいと思っているのですが、今回はあえてその三春を避けて会津若松へ行くことにしました。だって安かったんだもん。

昼過ぎの東北新幹線で郡山へ。途中宇都宮のあたりまではすでに満開で、この分なら会津も咲き始めているだろう、と期待もふくらみます。
が、福島もさすが東北地方です。そうは問屋が卸してはくれませんでした。

郡山まではわずか1時間半。ずいぶんと近くなったものです。このくらいの時間なら客扱い貨物列車Maxやまびこに乗っても我慢できます。
磐越西線の快速列車に乗車。磐越西線には「あいづライナー」という特急車両を使った快速列車(かつての「ビバあいづ」のなれの果てならん)が走っていますが、こちらは名無しの快速でした。しかもたったの2両編成。ずいぶん見劣りがします。普段着の磐越西線、ということでしょうか。
郡山から会津若松までは1時間10分もかかりました。

ちなみに、帰りに乗った普通列車(各駅停車だけど6両編成)の所要時間は1時間12分。
意味わかんねーし。

雪を冠した磐梯山や素寒貧とした猪苗代湖を眺めながら夕方前に会津若松着。郡山(の近く)の川沿いに見事な桜並木を発見しましたが、猪苗代湖まで来ると桜はまだ咲いてもいません。この辺はまだまだ寒いのでしょう。
ところが、会津若松まで来ると汗ばむようなバカ陽気。春まだ浅い東北を散策するはずが、いきなり初夏とは…

帰っていいですか?orz

四天王像

2009年04月05日 | Weblog
阿修羅像に名残を惜しみながら次の間へ移動すると、巨大な四天王像が出迎えてくれました。
と言うか、屹立している中に踏み込んでしまった、という感じでしょうか。

でかっ!

見上げんばかりに大きな四天王は悪鬼を踏みつけて周囲を睥睨しています。何という迫力。衣装の裾や袖なんかもひるがえるさまを華麗に再現していて、素晴らしい写実感があります。鎌倉時代の仏師、康慶の作。
阿修羅には悪いけど、私はこっちの方がいいなあ(笑)。

この素晴らしい四天王たちが重文にとどまっているのですから、国宝に指定されるにはかなりハードルが高いということなのでしょうか。
あと500年くらい?

最後は阿修羅像をヴァーチャル・リアリティの世界で再現してみました、という映像作品。協力・凸版印刷とありました。さすがですね。やはりこの手の仕事は凸版さんに限ります。
VRだからあらゆるアングルからの映像が見られると思いきや、視点が普通過ぎてガッカリしたのはおいといて、細かい所まで再現しているのはやはり感心します。欲を言えば、顔のひび割れまでは再現しなくてもいいから(笑)、せっかくVRで作るのでしたら、造立当時の姿を彩色込みで再現してほしかった。そこまではまだ解明されていないのでしょうか。

比較的まともな商品からどーでもいい便乗商品まで、さまざまな阿修羅グッズであふれかえるお土産売場を横目に、上野公園で夜桜と酔っぱらいを眺めながら帰宅。
半日にも満たない短い時間でしたが、やけに充実したような気がします。

実家のどこかに『百億の昼と…』が埋まっているはずですから、今度掘り起こしてみようかな。