かき氷、と言えば、私にはお蕎麦屋さんに掲げられたかき氷の旗が、まず目に浮かぶ。お蕎麦屋さんに掲げられたその旗は、真夏の象徴であった。私の子供の頃は、まだ家庭用のかき氷器もなく、カップのかき氷も無かった。氷さえ、冷蔵庫からではなく、氷屋さんに買いに行っていた。大きな氷の塊を、アイスピックで壊してカルピスと共にグラスに入れていた。
外でものを食べることは許されていない私にとって、稀に出前で運ばれてくるお蕎麦屋さんのかき氷が宝のもののように感じられた。カップの上にのっている白い氷を手でつぶして、スプーンでさくさくシロップに混じるようにして食べるのが掟である。クーラーもない時代、その一瞬が至高の時間であった。が、冷たさに頭がキーンとすることもしばしばであった。
かき氷と言えば、私には定番のガラスの器に入った、苺のかき氷なのだ。食べ終わると舌の色が変わるそれがかき氷なのだ。
家のエアコンのスイッチを入れながら、あの涼しさには、及ばない。そんな気がした。
外でものを食べることは許されていない私にとって、稀に出前で運ばれてくるお蕎麦屋さんのかき氷が宝のもののように感じられた。カップの上にのっている白い氷を手でつぶして、スプーンでさくさくシロップに混じるようにして食べるのが掟である。クーラーもない時代、その一瞬が至高の時間であった。が、冷たさに頭がキーンとすることもしばしばであった。
かき氷と言えば、私には定番のガラスの器に入った、苺のかき氷なのだ。食べ終わると舌の色が変わるそれがかき氷なのだ。
家のエアコンのスイッチを入れながら、あの涼しさには、及ばない。そんな気がした。