Rubber Soul

だんだん身についてきた田舎暮し。草津、小諸に出没する田舎のおばさんになりきってきた。

信州のお花見

2012-04-19 21:03:59 | Weblog
草津から2時間ほどで行ける別所温泉に、たまには違う温泉を味わおうと行ってきた
桜にはまだまだ時間がかかりそうな気温
満開の梅の香りを楽しみながら信州の鎌倉と言われる、ホントに規模の小さい鎌倉を歩いてきた

近くの上田城は桜祭りの最中なのに満開の桜は少ない
どこも例年より桜は遅いみたい




もちろん草津の梅も桜もまだまだです

停電なう

2011-03-18 20:15:40 | Weblog
夜暗くなってからの停電は初めてです
準備しておいた電池での灯りと懐中電灯で充分明るさは確保できます
ろうそくの明かりが一番温かさを感じます
あらかじめ用意しておいた夕食を済ませ、わずかな灯火の下、ラジオとワンセグで静けさを避けています
音楽もない静寂は怖い
草津のマンションでは遂に大浴場に入れなくなり、各部屋の浴室を使用するよう知らせがありました
が~部屋の浴室は物置化している部屋も多く、実際には使用不能なのです
マンション温泉ダメでも草津にはたくさんの天然温泉があります
こんな時こそ街湯です
マンションには雪道を歩けない高齢の方も多くいます
で、今日は皆さん声掛け合って車で町にある温泉施設でゆっくり過ごしました

被災地の方々のことを思ったら申し訳ないくらいの贅沢です
被災を免れた人にしてみれば今自分ができる助けをすればいいのです
それも今時点だけでなく継続的にです

多くのスーパーで品が無くなってしまうような買い溜めはやめて、あるものでしのぐこと。買い溜めを見ると情けなくなります
東京よりここの方が人口が少ない分品は豊かです。もちろんガソリンも充分ではないと思いますが並ぶことはありません

義援金を送ること

日本中が今助け合いの大切さを感じていますよね
この心、喉元過ぎても忘れないようにしたいものです

石川県に住む息子一家が3月末に名古屋市に転勤が決まりました
静岡から石川に転勤になったのは能登地震直後でした
何だか地震の後には転勤あり!みたい
息子嫁さんは早速紙オムツと粉ミルクを救援物資として送ったそうで、できることをすぐに実行できることをとても嬉しく思いました
早く暖かい日が続きますように

惨事

2011-03-12 20:44:42 | Weblog
草津でもなが~く揺れた
うちは3階。12階の人は揺れの凄さを興奮して語っていた
昨日と今日早朝。
今朝4時前の揺れで飛び起きてからは
余震もあったりで、眠れなかった
心臓の鼓動までも揺れに感じてしまうくらい
敏感になる

草津で経験する二度目の地震
一度目は中越地震の時でこの時も結構揺れた
白根山はかなり古い火山で、年取っていればいるほど
地盤はしっかりしている!ということを聞いたことがある
だからここは地震の揺れがあまりない
が、揺れた

それより生々しい津波の映像
さっきまで生活していた家々や田畑を
一気にあっと言う間に飲み込んでしまう
猛々しく狂う波の恐ろしさ
地震から津波発生まで殆ど時間がないところは
どんなに気があせって走って行ったことだろう
以前ニュースで見たスマトラ沖地震で
この世のものとも思えない津波の映像が
今、まさに日本での惨状なのだった
命からがら助かった人々、よかった
孫っちのような子供が助かった!との情報に
思わず涙ぐんでしまう
死亡者の殆どが津波によるものらしいが
逃げる間も無く津波が襲ってきたのだろう

次から次へと惨事が続く
地球が怒ったみたいに荒れ狂う
わたしたち人間は地球というこの大地の一部を
お借りして生活している
地球をこれ以上壊すことないよう
謙虚に生きねばならぬ

4月下旬に岩手県宮古市を訪れるプランがあるのだが
甚大な被害を受けた東北の人々に
普通の生活ができるよう早く笑顔を取り戻してほしい

きゃらぶき

2010-05-31 21:05:43 | Weblog


小諸にて…
昨日収穫して水に一晩浸けておいた庭の蕗を朝からカマドで煮ます
春まだ浅い頃はふきのとうをわさわさ食べ、先日は比較的太い蕗を煮て食べ、最後はありったけを切り佃煮にします
きゃらぶきにする時は皮をむかないで切ってそのまま酒、醤油、砂糖の中にぶち込めばOKです
昼、焼きそば作りの為中断
午後からまた無水鍋は薪の上に
水分が無くなるまで夕方まで煮詰めると、蕗の筋はすっかり消えて、ご飯にぴったりの軟らかい佃煮の出来上がり
手作りは手間がかかる分勿論美味いです

新緑に包まれて

2010-05-28 18:32:57 | Weblog
5月中旬から下旬の草津は新緑でまぶしいくらいです


若葉の色は写真には決して出ないし、これは絵の具を組み合わせて
絵で表すしかないような気がします
でも描けない(-_-メ)

山歩きをしたり、車で遠くまで行って
それでも10時に出れば、2時には家に帰って来れるくらいの近さです

都会では味わえない様々な木々の芽ぶき、息遣いを目と肌で感じたいと思います
それが田舎暮らし
たまにはいいことあるさ!

TVでちょうどやっていた六合村(くにむら)野反湖のシラネアオイが見頃と言うので
それっ!と出かけてきました







初めてみるシラネアオイ


絶滅と言われ、村の人たちが懸命に命をつないできました

八間山の中腹にたくさんのシラネアオイが咲いていました
噂に違わず心にキュンと来るような美しい花でした

草津白根山ではアズマシャクナゲも見頃です

実践 おくりびと

2010-05-17 20:05:52 | Weblog
姉が亡くなって・・・・
たぶん今年いっぱいは無理かもしれないなんて
正月に草津に来た時は思っていました

正月にはなるべく姉妹が集まれる様にと
女姉妹で草津の1室を買い
ここ8年間は何とか顔を揃えるようにしていました

今年の姉の様子はもう尋常ではなかったです
ここ何年か透析治療に入り、どんどん身体は弱って行きました

働くことが命みたいな人で
教師生命に全力をかけていたように思えます

わたしは末っ子、亡くなった姉は長姉で年齢差は15歳
兄弟の意識は昔は殆ど無く、姉として意識したのは
もう大人になってからだと思います

納棺の儀式は何回か経験した葬儀では初めてでした

おそらく「おくりびと」の影響もあるでしょう
以前経験したのは死に化粧の場面だけだったと思います

今回姉の時は、納棺師の動作ひとつひとつ
みんな映画で出会った場面でした

経帷子に着替える時
湯灌に始まって
冷たい姉の手を取って
袖に手を通したり、手甲、脚絆を着せ
頭陀袋をもたせたり
殆ど家族の手で
死に装束を調えさせていただきました
こうして残された家族が死装束を調えて
無事に亡き義兄の傍にたどり着ければ嬉しい

バックの音楽は何もなかったけど
「おくりびと」のチェロ演奏に代わる
姉の好きだった「及川浩治」のピアノ演奏が聞こえてくるようでした

カマドで炊事はここでの楽しみ

2010-05-04 20:38:30 | Weblog


連休中は草津を逃れて小諸に山篭もりします
もう春ですね。寒い時は寒さが辛いから草津にいます。~と言うと草津はもっと寒いんじゃない?と聞かれます
外は寒いけど部屋の暖かさと温泉は何も代えがたいのです。

山の中での炊飯のうち夕食は主に外に夫が作った自慢のレンガのカマド
シバザクラの向こうに見えるのがそうです
鍋は真っ黒になるけど火力はガスより石油より強い
魚も肉も脂が落ちて旨味が最高に出てきてたまりませんね
蛙くんがよく挨拶に来ます
夜は森の奥からガサゴソ音がして何か動物が近づく
けど、いつも人の前には姿は見せません

山の中で木々の息遣いを聞いていると不便さを忘れてしまうけど、5日が限度のわたしです
それ以上は死んでしまいそう

春は行きつ戻りつ

2010-04-27 15:37:19 | Weblog
昼過ぎから霧雨が雪に変わりました
せっかく蕾が膨らみかけた桜が縮こまっていることでしょう
季節の順調な移ろいが崩れてきて春夏がもしかして
やってこないのではないかとの不安も感じられるほどです

4月21日の冬季閉鎖解除された
草津志賀道路を通って(雪の壁は例年より迫力ありませんね)
長野県まで近道


長野県から石川県までの高速\1000・・・一気に春爛漫の色をたたえた日本海へ





孫っちの初節句祝いに4人のジジババが集合しまして
嫁さんも息子も大変です


知恵がつき始めて
妖怪みたいなジジババを見ては
ため息ひとつ、ふうっとついて
いきなりわあっ~と泣き出す孫を
まるでおもちゃの様に面白がって
可愛がってきました

体力の無さはもう無責任が一番です

桜はまだこれから

2010-04-13 21:35:58 | Weblog
上田市の上田城跡公園の桜を愛でます
なにかしら物足りない桜の木の勢いとボリューム感
でも美しい枝垂れを一枚


真田幸村父、真田昌幸築城の上田城の前に真田氏が本城とした真田城址にも立ち寄ると
そこは殆ど人がいない静かな「松風騒ぐ丘の上♪・・・」寝ころべば古城を想像させ、戦国時代に思いを馳せられるような雰囲気のある城址でした
上田、真田の町を見渡せる丘には枝垂れ桜、ソメイヨシノなどあり、咲いていたら、もっともっと感無量になるでしょう
つぼみはまだ固く、草津と同じころの開花でしょうかね

開花したらまた行きたい場所です

吹雪去って…桜咲く

2010-03-31 21:29:47 | Weblog
勿論東京の桜です
花見の前日は草津は猛吹雪の夜でした
こんな吹雪なのに明日は桜の花見?
なんだか結びつけられないようなこの二つ
でも東京は充分暖かく、桜は7分咲きで楽しい花見でした

わたしは通えなかったけど、生まれ育った地域の公立中学校が他の中学に統合されて廃校になりました
この中学って曰くつきなんです

わたしが戦後生まれたのがこの中学校の前身黒田小学校の一室
戦争で家を焼け出されたわが一家も含めて何家族かがやはり焼けてしまった黒田小学校に住み込んでいたそうです
黒田官兵衛の子孫黒田長知が献金して設立した小学校で黒田という名前をそのまま頂戴している由緒ある学校らしい
空襲で焼失後は廃校になってしまったが、その後中学校として新たに建設されている
その中学校がこの度廃校
で、黒田小学校が生まれ故郷のわたしはネットで調べました
そこに発見した、今はとっくに亡き親父の名前
黒田の名前存続を役所に訴えていました
こういう訴えってうちの親父は好きだったんだよね