しばらくぶりに受講しました。7月から会場が半田になり遠くなりました。
以前の会場名鉄文化センターが改築されるため。 ↑ ↓ 名鉄半田駅
今日のテーマは終戦直後米軍占領下にあった時代のことです。
郵便物の検閲や新聞雑誌などもGHQの目が光っていました。
私もかなり記憶に残っています。
軍国少女だった私は、終戦後は一転平和を楽しむ少女に早変わり(?)
今にして思えば我ながら「変わり身」の速さに驚き、節操のなさも恥ずかしいです。
父は戦争が始まったとき、米英相手では二年持つまい、などと言っていましたが
大きな犠牲の下、4年近く持ちこたえようやく終戦となりました。
各地に通称「アメリカ村」ができてフエンスで囲まれ
きれいな芝生に赤い屋根の宿舎を覚えています。
ここ白川公園はその昔「アメリカ村」があったところです。
今では知る人も少なくなったことでしょう。
私も市美術館やカルガモ親子を見に行ったり、大いに楽しませてもらっています。
今昔の感に堪えないとはこのことでしょうか。
ますね〜。会場が遠くなったのですね。
今回は終戦直後米軍占領下にあった時代
がテーマですか。
よく続いてますね。感心します。
皆さんほぼ知多在住の方たちで、
私一人が名古屋からなのです。
電車に乗ってのんびり行くのも
悪くないのですが、体調にバラツキがありますので、
前日から気を使っています。
知多半島ふしぎ物語の受講は続いているのですね。
Reiさんの向学心には頭が下がります。
私は戦後生まれですが、東京にも立川基地があったので
多くのアメリカ兵が、俗にパンパンと呼ばれる日本女性と
デイトしていたことはよく覚えています。
駅などには負傷兵が物乞いしていました。
もう戦争なんてまっぴらごめんです。
会場が遠くなってしまいました。
半田は知多半島の中核都市、何回も行ったことありますがいつも車でした。
終戦後の日本を知る人は次第にいなくなっていくことでしょう。
辛うじて私世代が記憶していますが
次世代はもう歴史上のことになるでしょう。
目的を作って出かけるのは良いですね。
お疲れが出ませんように。
今のところ遠くに行く機会はありません。
で何かと興味が湧いたことでしょう。
疎開から戻った名古屋は、MPの腕章を付けた米兵が
栄や本町交差点で、軍用車やジープの交通整理をしていました。
広小路に面した旧三菱商事ビルがPXで、観光ホテル
や大和生命ビルなども軍関係の施設に接収されて
いたのを思い出します。
アメリカ村も通学路で記憶に残っています。
当時を知る人が少なくなりましたね。
出かければ必ず歩きますから
特にウオーキングをしない身には
目標もって出かけるのは必要なことです。
地下鉄の乗り換えもかなり歩きますから。
半田は遠くと言いましても県内です。
ブログに書きませんでしたが、地元のある方に
来た検閲印の郵便物など写真もあります
戦後、一般の人にも大々的にGHQの検閲があったようです。
新聞雑誌も「忖度」して書いたことでしょう。
笹島のガード下に立つ傷痍軍人の白衣姿が
今も瞼に焼き付いています。
白川公園でカルガモ楽しめる良い時代です。
この時代を知る人はもうまもなくいなくなるでしょう。
地元紙では、京都に駐留していたアメリカの軍人やその家族などが撮った
京都の様子を知れる写真が時々掲載されました。
写真に映る物からの情報を収集する目的もあるようですが。
半田、新見南吉ですね。地図で確かめてみましたが、
名古屋からも1時間半ですか。
知らないとさらに遠いですね…。
気持ちを引き締めて、ちょっと身を整えてのお出かけ。
これが大切だと、内館牧子さんです。
京都はアメリカの方針で空襲爆撃しないと
決めていたようです。
アメリカも貴重な歴史遺産を残したいと
思ったのでしょうか?
はい!新美南吉の故郷です。
市内には生家も残っています。
若くして亡くなりましたが(享年29歳)
上皇后さまのお言葉もあって
よく知られるようになりました。