トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

腹切りへの道(備忘録)(長文)

2018-05-04 00:39:01 | 日記
今日のパムッカレ

昨年11月の手術の結果が悪く、1月、パムッカレ大学病院の主治医から子宮全摘を宣告された。
手術後2か月安静しなければいけないので、まずは日本でプチ親孝行をして、
帰国後手術を受けることにした。

なので、高齢の両親には、内緒にしている。

そして、3月、全摘覚悟で、いざ、大学病院を受診した。
ところが、主治医から、意外な言葉が発せられた。

主治医『全摘しなくても、いいんじゃない?様子見するとかさ・・・』

私『え?でも、先生は1月の時点では、癌になる可能性があるので全摘したほうがいいと、
  おっしゃいましたよね?』

主治医『うーん、忘れちゃったなあ・・・』

私『はっ?』

大学病院だから、たくさんの患者を診ているでしょうし、私のことを忘れてくれても
構わないけれど、検査結果のデータに基いて診断を下したんじゃないの?

同じデータを眺めているのに、診断が変わるのか?
准教授!あなたが執刀したんじゃありませんか?

で、また、検査をする羽目になり、その結果が3週間後とのこと。
私の准教授に対する不信感が募ったことは言うまでもない。

実は1月の子宮全摘の告知を受けた後にデニズリ市内にある私立病院に
11月の大学病院での手術の結果を持って、セカンドオピニオンを求めたことがあった。
その医師は初診から1か月半後に電話予約した際、私のことを覚えてくれていた。

物腰の柔らかい40代前半の医師は、図面でわかりやすく説明してくれ、
子宮全摘手術を薦めた。
私は覚悟を決めて、その私立病院のドクターに子宮全摘手術を託すことにした。

手術は1時間半を要したようで、なんと、7年前にパムッカレ大学病院で
子宮筋腫を取り除くための開腹手術を受けたときに
杜撰な縫合をされていたらしく、癒着した内臓を
見て、手術スタッフ全員、びっくり仰天したそうな。
今回の子宮全摘手術は困難だった模様。

今になって思えば、7年前、退院後、受診したが、
エコーで確認するわけでもなく、
私が何も問題ないようですと
答えただけで終了したのだった。

もう、大学病院は懲り懲りだわ。
トルコの医療はもはやビジネスと化し、
まるでホテルかのような私立病院が乱立している状態である。

国立、大学病院の医療費はトルコの健康保険に加入していれば、ほぼ無料である。
11月の手術の際は、1泊の個室料金、手術費用を合わせて、6千円程度だった。
私立は、それなりに負担することとなる。

そういえば、大学病院で7年前と去年の2回、手術を受けたわけだけれど、
いずれも、麻酔から覚醒するにあたって、寒いところに放置されたり、
意識が朦朧とする中、無理やり着替えさせられたりと、かなり過酷であった。

今回、私立では、病室で自然に目が覚めた。
やはり、これも私立と大学病院の差なのか!!










私立病院は、極力リスクを避け、健康に関して金を惜しまないトルコ人の間で
需要があるというわけが理解出来た。

今回の入院は3日間程度のはずが、結局、5日間となった。
大学病院でも、5日間から1週間と言われていた。
入院時に手術、入院費用を一括で支払ったが、
3日が5日となっても、追加料金は取られなかった。

毎日、大量の水分摂取、じゃんじゃん歩くように促されていた。
訳も分からず風船を膨らますこともさせられた。←多分、酸素を取り入れさせるため

そして、5日後、大量の処方薬とともに退院した。
ところが、翌々日の日曜日の朝、突き刺さるような胃痛に襲われ、
救急外来を訪れる羽目となった。

日本人の私の胃はトルコの薬は強すぎたみたい。
数時間、胃が楽になるという点滴を受けて、
自宅に戻った。

翌日、再診時にCTスキャンをして、
腹水が確認され、お腹に針を刺し、腹水を抜きますよ~と
にこやかに言われ、もうまな板の鯉状態。
肉厚があったせいか、アヂュヨル(痛い!)と叫ばずには居られなかった。
ナイフで刺されるのはもっと痛いんだろうな。


そして、あれよあれよと、緊急手術となった。
何時にランチを取ったかとしきりに聞かれたが、
胃痛だったので、大して口にしなかったのが幸運だった。
手術中、内容物が逆流すると危険なんだそうな。

5か月間に、3回も全身麻酔を受けたということになる。

2回目は腹腔鏡手術だったらしく、1時間で終了し、
目が覚めたときは、3度目の病室だった。

前回と違い、開腹箇所とへその右側にお腹から血や膿を排出するドレイン(管)が
二つついていた。尿道カテーテルも復活し、右手首には、点滴の針が!!
腹膜の中にリンパ液、血液、尿などが、洩れることを防ぐ処置をしたとのこと。
5日後退院も、尿道カテーテルは10日間、血液や膿を排出するドレインは4日間つけたままだった。

1回目の手術後、5日間入院していたわけだけれど、
なんと、退院後、5キロも体重が増えていたのだ。
ついに16年目にして日本製体重計がぶっ壊れたのだと確信したものの、
腹膜にリンパ液などが溜まってしまい、体重が増えていたのだろう。

主治医は、私が体重5キロ増えたんです!と言っても、そんなことないと笑って
真面目に受け止めてくれなかった。

私は、20代から入退院を繰り返し、そのたびに体重は減っても増えることは
なかったのだから。

今回、病院側にミスがあったようで、病室代は徴収されたが、
2回目の手術代、治療費は免除されたようだ。

大学病院のように、切りっぱなしではなく、
ちゃんと術後のケアも責任を持ってくれているようだ。

主治医は毎日、何度も病室を訪れ、気にかけてくれ、
自分が出張の際には、早朝5時に顔を出してくれ、
他の医師に引き継ぎをしているから安心するようにとも言ってくれた。
なので、散々痛い思いをさせられたが、許そう。



子供も授かることも出来ず、夫に先立たれた寡婦の私以外、
大半の病室は、新しい命の誕生で、幸せいっぱいだった。

失う前には気づかず、失くした後に気づいた幸せ。
無いものばかりに目を向けず、
今あるものを大切にしなきゃ。
日本では私の帰国を心待ちにしてくれる家族がいる。
そして、トルコでは、いつも全力でサポ―トしてくれる義姉家族がいることを
忘れてはいけないのだ。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 坊ちゃまとお世話係の物語 ... | トップ | 坊ちゃまとお世話係の物語 ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お見舞い申し上げます。 (ゴル子)
2018-05-04 07:08:12
何度も何度も読ませて頂きました。
コメントなんて・・・一言で記しきれません。
(目を見て、お話をさせて頂きたい方と思いました)
暫くアップされていなかったBlogや
‘ボッチャマお世話係’投稿の意味が今、
やっと分かった次第です。
日本のお母様、ケントちゃん、そして何よりラム子さんの健康を祈ります。
ゴル子さん♪ (ラム子)
2018-05-04 21:06:46
ありがとうございます。
このような長文で駄文を何度も何度もだなんて、
感無量です。

私もここまで曝け出すのはどうかなと
悩みましたが、自分の気持ちを整理するには
やはり書くことが必要だと感じました。

無邪気なケントを想うと
置いていくことが不憫でなりません。
せめて、ケントをトルコで見送ることが
出来たら何も思い残すことは
ありません。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事