トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

ケント今年5回目の癲癇発作

2016-10-28 18:15:34 | ケント
今日のパムッカレ

一昨日、10月26日、水曜日、夜20時29分
ケント今年5回目の癲癇発作。
家の中でのこと、
身体を弓のように曲げ、よろつきながら、
ソファにいた私の元に助けを求めるかのように
歩いて来た。

前回は6月10日
前回は軽度の発作だったけれど、
今回は断続的に30分近く発作が続いた。

目を見開き、あまりにも苦しそうだったので、
もしも、癲癇発作じゃなかったら?と
不安が過った。

前回6月10日から4か月半ぶりの発作。

イサ死後のいろいろな手続きがあって、
日本に一時帰国さえ出来ない状態。

ケントの癲癇発作が落ち着いていたので、
安心していた矢先のこと。
このままじゃ、心配で日本に里帰り出来ないわ~。

誰かケントと寝泊まりしてくれえるシッターさんを
探さなきゃ!




ケントに万が一のことがあったら、と思うと怖い。



兆候と寿命

2016-10-19 23:56:08 | 日記
今日のパムッカレ

振り返るとイサの死の兆候が数々あった。

今年に入って、夏ごろからか、いつも穏やかなイサが怒りっぽくなった。
それは私だけではなく、みな異口同音に今年のイサはなんかおかしいと
口にした。

食堂の土地建物を購入したのは、2015年の1月。
それからというのも、何かに憑りつかれたかのように
食堂の厨房を皮切りにレストラン内の改装、家の増築、事務所を新設した。









季節外れに、食堂と義父母宅の煙突も新たに作った。
私が反対したものの、あの時、強行してくれたおかげで、
イサ亡き後の今年の冬は助かった。

義父母の家を作りたい、世話をしたいと、私が強く望んだのは、偶然なのか?

中庭にあるブドウ棚を高くしたり、食堂の塀に沿って、バラの木を植えた。

建物の裏手にある猫の額ほどの空き地に畑を耕し、
外側には果樹を植えた。






10月20日現在、毎日、食べきれないほどの、ナスに唐辛子を収穫。
トマトときゅうりは失敗にオワッタけど。


食堂2階に、ペンションまで考えていたのである。
それは、ひとまず却下させた。

去年、食堂にあった巨木を伐採した。
これは、樹齢年数が古い松が斜めに成長し、枝が電線にかかり、
もしも、この巨木が倒壊した場合、危険だと
判断したから。それに、この巨木に止まる鳥からの糞害もあった。

私は巨木を伐採するのに、一抹の不安があった。
というのも、迷信かも知れないが、巨木を伐採すると、
不吉なことが起こるんじゃないかと恐れていたから。
子供のころ、近所の人が木を伐採し、病気になったという話を信じていた。

また、日本の実家では、こういう大がかりな作業をするときは、
お線香をあげたりし、供養をしていたものだ。

線香なんて用意できないので、私は、切ることをお許しくださいと
祈った。

伐採したことにより、イサの死のカウントダウンが始まったのか?
食堂を購入出来て、私たちはついていると思ったら、夫が急死!
じゃ、買わなきゃよかったかというと、そうでもない。

食堂はどうしても、買わざるを得ない状況に立たされていた。
商売敵が狙っていたからである。

そいつらは、パムッカレにてホテルを経営しているわけだけれど、
隣の基地外婆さんの親戚でもある。そもそも、
食堂の土地は昔は基地外婆さんの土地でもあった。


そのホテルを経営する3兄弟は、バスチケット代、3,500リラ(当時のレートで20万円ほど)
を踏み倒した前科がある。夫が、支払を求めると熊顔した奴が、オフィスの
窓を全部割ってやると脅したのである。割らせてやればよかったのに!
そのときは、ホテルの実名をブログで公表してやったのに。

ここで、全部、私が手の内を明かすのは、勿体ないので
書かないけれど、私は彼らを許さないし、必ず、イサにしたことを
後悔させてやります。目には目を歯には歯を。
土地の権利がうちにあることを忘れないでね♪

以前、人を憎む、恨むことが愚かなこと、と書いた私ですが、
こいつらだけは、許せない。

今の私は、イサの傍に行けるのなら、死は怖くない。
でも、まだまだ、トルコで始末をつけなきゃならないことがいっぱいなのだ。

イサは今思えば遺言のようなことを私に教えてくれていた。
自分の周囲のことなど。

また、イサの資産の一部が私に内緒で、義姉名義になっていたことが
死後発覚した。義姉が私に、実は・・・・と教えてくれたのだ。
これには、驚きと同時に救われた。
だって、イサ名義は相続手続きが完了されるまで、凍結されるのだから。

義姉がお金が必要なら、いつでも、義姉名義の●●●を売りなさい、
ラム子のものなのだから、と言ってくれたのだ。



義父が入院していた数日間、死ぬ前々日まで、
義母と夕飯をともにしていたイサ。

『アンネ(トルコ語でお母さん)と一緒にご飯食べるんだ♪食べるんだ♪』と、
まるで子供のようにはしゃいでいたイサの顔と声がいつも思い浮ぶ。







形見

2016-10-12 21:55:19 | 日記
今日のパムッカレ

私は死別カテゴリーに移ったほうがいいのかな?

プロフィールも、変えなきゃね。
カンガル犬のエフェスも失踪中だし、
夫も死んじゃったし。

トルコ人の夫と死別し、
只今、パムッカレでゴールデンレトリバー1頭と
奮闘中♪とか?

イサの持ち物、特に洋服がやたらと多い。
私が先に死んだほうが片付けが楽だったはず。

トイレの汚物さえ捨てられなかった。
(トルコの水洗トイレは紙は流せないので、
トイレットペーパーなどはゴミ箱に入れる)

さすがに捨てたけれどね。
イサが最後に飲んだペットボトルもそのまま。

イサとの思い出が詰まった家に食堂、オフィスもそのまま。
私はイサとの思い出に浸っていられるんだ。
死別ブログなど読んでいると、私って恵まれているかも?

家賃が払えず、泣く泣く引っ越したり、
夫家族に冷たくされたり、出て行かざるをえなくなったり、
トルコでさえ、夫家族に追い出されただの、
トルコ人夫と一緒に経営していたホテルを
夫家族に乗っ取られたという話を聞いた。

私は日本に帰る家もあるし、
夫家族もここで暮らすようにと言ってくれている。

同じ村で私と同じように死別し、私より若くて、子供もいないけれど、
夫家族と一緒に暮らしているお嫁さんもいる。

イサは御墓で眠ってなんかいないよ、と
言われても、やっぱりイサの隣で眠りたい。
改宗の問題もあるけど。

日本の両親に申し訳ないので、もしも、両親を見送った後なら、
私はトルコで永眠したい。

さてさて、形見の話。
結婚指輪って、死別したら外すの?
私は外したくないな。

なんて、イサが死んでから、指輪をしはじめたくせに。
それまで、数年間、指が成長しちゃって、はめることが
出来なかったのだ。イサの死をきっかけに体重が落ち、
やっと指輪をすることが出来たのだ。

イサの大量の服、
実は、イサが亡くなる前に私は『お別れ』という
題名で記事を書いていた。

内容は、イサの洋服が大量にあって、クローゼットに入りきらず
イサは廊下に自分専用のクローゼットを作ったのだ。
その引っ越しもしていたわけ。で、題して『お別れ』

今度は私がこのクローゼットを
思う存分使える、イサの洋服を移動しながら、
ひひひひ、イサちゃん、ばいばーいと
口にしていたのだ。

義姉が、イサの洋服を貧しい人に寄付しなきゃいけないと
言い出した。私はイサのものは、義兄や近い友人にだけ
あげたかった。というより、誰にも渡したくなかった。
自分が気が済むまで、イサのすべてと一緒にいたかった。

ベッドのシーツ、枕カバー、イサの洗濯物でさえ、洗いたくなかった。
イサのアイフォンは私が使っている。

イサの指輪はネックレスにしたいけれど、
私、金属アレルギーなので、ムリ。
アレルギー用のネックレスでさえ、ムズムズするのだ。

時計は日本の私の兄に使ってもらうつもり。

一昨日、昨日と、イサが初めて夢に出て来た。
二人で仲良くドライブしている場面。
ケントの激しい息遣いで、目が覚めちゃった

ケントは家の中で寝ているんだけれど、
バルコニーに出たいときは、
要求吠えよりは、わざとらしく、ハアハアと
息を荒くして私に訴えるのだ。

最初は居間と廊下の入口、そのうち廊下で、
そして、寝室の入口で、
私に聞こえるように、ハアハアするのだ。

ドアを閉めちゃえばいいんだけれど、
ケントの癲癇発作がコワイので
開けておくんだ。

今晩もイサに会えるかな?







イサが日本からやって来た!

2016-10-09 18:31:35 | 日記
今日のパムッカレ

昨日はイサのお墓参りに一人で行って来た。
700mほどの距離を
行きはほぼ坂道、ペダルを漕ぐことなく、
3分程度で、帰りは登坂を9分で。




頑張ったご褒美なのか、
昨夜は食堂、ほぼ満席状態。お客さんがいっぱい来てくれた。

ところで、
イサがなんと、日本からやって来た!!



編みぐるみ師のノコちゃんからの贈り物。
ミニイサです。

ノコちゃんからは以前にもたくさんいただいている。

ケント2号、3号、4号






形見として切ったイサの髪を入れる袋まで用意してくれて、
しかも、針、毛糸、綿も一緒に送ってくれた。

また、ミニアルバムも作ってくれた。

こんな技術もさることながら、隅々までの心遣い、私はどうやって、恩返しをしたらいいのでしょうか?




皮のジャケットも!!
実際同じ色のジャケットを着ていたのをのこちゃんはたった2回しか
お会いしていないのに、覚えてくれたんだね。
イサが着ていたジャケットは合成だったけどね。








イビキもかかない、世話要らずのイサ。


その替わりといっちゃなんだけれど、
相変わらず、臭いもんを身体にこすりつけたり、ゴミ拾いを続けて、母ちゃんを楽にしてくれないケントがいる!


昨日は、カーテンを洗って、自分で取り付けたよ。
脚立を使っての取付はイサの仕事だったよね。

まだ、水曜日の青空市場には行くことが出来ない。
いつもイサが荷物を持ってくれていたから、
イサなしで、行くのはまだ、辛い・・・。




愛する人を亡くした人の為の100の言葉の中で

58.人の人生には何が起こるか分かりません。
未来は不確定で、何一つ確実なことはありません。
しかし、人生の中でただ一つだけ確実に起こる出来事があります。
-----それが死です。


66.その時、その時を精一杯愛することを教えてくれた

あなたの涙がこみ上げてくるとき、それは例えば、あんな傷つける言葉を吐かなければよかった、
もっと優しくしてやればよかった、などの懺悔の気持ちに沈むときではないでしょうか。
こうして愛する人との関係を振り返る中で、あなたの魂は清純化され、悔い改められていきます。

あなたはその人から学ぶはずです。見過ごしてきた人と人の理想の関係を。


76.言葉I
『愛している』『ありがとう』、『ごめんなさい』--------その人が生きている間に、十分に声を
かけてあげられなかった言葉があると思っているのかも知れません。そのことであなたは後悔し、
自分を責めているのかも知れません。でも、完璧なコミュニケーションを常に保っている関係など
無いのです。その人は分かっていると思います。あなたが、いまそんな風にその言葉を口にしたかった、
と思っていることを。


87.この世に神なんていないのかもしれません。でもあなたが天使になれます

この世の中に起こる無慈悲で残酷なできごとは一体何なのでしょう。この世に神がいることなんて、でたらめとしか思えないときがあります。なにより、なぜ、あなたの大切な人が死ななければいけなかったのでしょう。この世は無秩序な残酷さだけが満ち溢れているのでしょうか?
そんなときには、神なんてこの世にいないと思ってしまってかまいません。
こんな無慈悲で残酷なできごとが起こる世の中を創った神なんて、要りやしません。
でも、ひとつだけ、あることに気づいてください。あなたのその嘆きこそ、愛と優しさと正義、そのものであることに----。
そして、あなたがこの世の中を少しずつでも変えていくことができることを。死んでしまった人は決して帰りませんが、例えば、あなたが募金する一枚のコインから飢えた子供を救う糧をあがなうことができるのです。貧しい子供達を死なせないで済むのです。その子の母親を泣かせないで済むのです。

----あなたが、この世では天使なのです。