トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

ケント今年8回目の癲癇発作

2017-12-31 03:38:35 | ケント
昨日のパムッカレ

一昨日、昼12時にケントが食堂めがけて走って来た。
その強張った表情から、また発作だと分かった。
すぐにドアを開け、ケントを中に入れ、みるみるうちに
全身痙攣してきた。前回4日前より長かったが、5分ほど。

以前、癲癇発作は気圧と関係すると読んだことがあったが、
昨日は、低気圧、でも、大快晴でも、発作が起こったので、
果たしてどうなのかな?

必死に助けを求めて走ってくる姿を目にして、やはりケントのそばにいて
あげたいと思った。


以前、とあるブログで、
ご主人を亡くされ、幼子二人を抱えての日々、実母に助けを求めたが
犬の世話があるとかで、断られ、ショックを受けたという話を読んだ。

お母さまも娘さんのところに行ってあげたい、という気持ちはやまやまだった
と思う。娘さんからすれば、一日だけ、散歩お預けではだめなのかと、
残念な気持ちになったみたいだけど、ワンコも家族、
そして、犬たちには、自分しかいないとお母さま自身が判断されたのかも。
結局のところ、お母さまは、娘さんのところへ行かれたみたいだけど。

私自身もケントのために、病気の母親を看ないのかと
怪訝に感じている人もいると思う。
幸いなことに、私の母には、父、兄、姉がいる。
ケントには、私しかいないのだ。

私が母に親孝行することは、別問題。
私も苦しい。ドラえもんのどこでもドアが欲しいよー。


ずっと、忙しくて、ケントの夕飯をあげずにいたら、
近所のファストフード店で物乞いしていた。






ケント今年7回目の癲癇発作&クリスマスホリデー

2017-12-26 23:59:59 | ケント
今日のパムッカレ

ヨーロッパ圏、特にイギリスに留学中の中国人がクリスマス休暇で、
こぞってトルコにやってきた。
これは、毎年、見られる光景である。2015年を除く。
私は、この時期のツーリストが一番好き。
というのも、英語が通じるし、非常にマナーがいいのだ。

食堂も数日、大忙しだった。
今日は落ち着いたので、夕方ケントと散歩に出かけた。


こちらの中国人グループは、隣町のカラハユットの星付きホテルに宿泊するので、
石灰棚、遺跡などの観光以外、パムッカレ村は通過されちゃう。


この閑散期にこれだけたくさんの中国人が来て、トルコにお金を落としてくれるなら、
トルコの公共事業を中国が受注するのは、わかるような気がする。
昔は、日本人だって閑散期にこれくらいは来ていたのに・・・。(遠い目)

ところで、
昨夜17時30分ごろ、ケント、今年7回目の癲癇発作。
中国人男性の傍に座っていたところに、発作が起きたようで、
ブルブル震え出した。今回は軽かったようで、5分くらいで
落ち着いた。中国人男性が優しく見守ってくれた。
私が留守中ではなくて、よかった。



夫に会いに・・・

2017-12-18 18:12:48 | 日記
今日のパムッカレ


実は夫に会いに行って来たのだ。
今回の日本への帰省は、もちろん、両親に会いにが一番で
その次に夫。

私は占いやスピリチュアルに傾倒したことはない。

多くの死別経験者と同じく、死後はどうなるのか?と、考える。
追求しても謎だらけ。結局のところ、自分が死なないと
分からないもんなんでしょうね。

でも、私は夫に会いたかったのだ。
会いたいというか、本当に夫の魂が私に寄り添っているのか
知りたかったのだ。

そして、信頼出来そうな霊媒師に行きついた。

3月の帰国の際に、連絡を取ってみたが、
予約がいっぱいとのことで、今回は、
日本帰国以前に予約を入れた。

先ず初めに、私はその霊媒師さんに名前だけ伝えただけで、
どこに住んでいるとか、誰に会いたいとも伝えてはいない。

霊媒師さんのところへは、期待半分で出かけた。
実際に必ずしも、会いたい人が来るとは
限らないとも聞いていたから。

ちょっとドキドキしながら、霊媒師さんの居間に入り、
お茶を頂いた。そして、1分、いえ20秒ほど待ってくださいと
言われ、霊媒師さんが、目を閉じた。

そして、男性がいらしています、と。

その方は大柄で、髪の毛は黒、髪の毛がカールしていると。
(30代前半の夫は髪の毛もあり、カールしていた。
死んだら、若返るとかも聞いたことがあるから、若返った?)

そして、お腹周りが太いが、他はほっそりとしている、と。

これで、夫だと思ったけど、
まだエビデンスが欲しい私は黙っていた。

髪の毛の量は?と、聞いたら、フサフサしていると。
実際、夫の頭髪は後退していたのだが・・・。


その後、ジンジャーと言っていますが、
心当たりはありますか?と。

ジンジャー?ショウガじゃなくて、ジンジャー?
うーん、食堂で出していた鶏肉の生姜焼きかな?
夫は好きだったし。

でも、ふと電動スケボー(バランスを取りながら、重心移動で操作)の名前が
確かジンジャーだったと思い出したので、そのことを伝えたけど、
結局、夫が言いたかったジンジャーが何だったのかわからずじまい。
で、今、こうやって記事を書きながら、過去の電動スケボーの記事を読んだら、
あら、名前が違っていた。つまり、ジンジャーとは、スケボーのことではなかったのだ。

今度はクリスマスのことを言っている、これは料理のことかしら?
飾り付けのことかしら?と。

霊媒師さんには、夫がイスラム教徒で、クリスマスを祝う習慣がないとは
言わずにおいた。

でも、多少、ヒントを与えておいたほうが、話が進むかと思い、
もしかしたら、夫の名前のことかな?と伝えた。
クリスマスとは、イエス・キリストの生誕を祝福する日。
夫の名前は、英語で、イエス・キリストなのだと。

トルコはイスラム教徒が多数を占めているので、
クリスマスを祝うことはしないが、
31日の大晦日をクリスマスと呼んでいるのだ。

最終的には、家族仲良くして欲しいのでしょう、と結論付けられた。


霊媒師さんが、この男性は、とても家族思いで、
自分のことよりも、家族を優先していた、と。
これは正解。

夫は、私たちは喧嘩もしたけれど、仲はとても良かった、と。

そして、二人で時間があれば、よく二人で散歩をした、と。
これも正解。

この人は、片言だとも言った。
そして、見た目年齢不詳。
夫は日本語は話せなかったので、
霊媒師さんに、どのように会話しているのかと
尋ねたら、傍に通訳してくれる人がいるのだとか。

私は、霊媒師さんの元を訪れるにあたって、
左手の指輪を外すか悩んだのだ。
結局、つけたままにしてしまった。
というのも、もしも、夫が私の指を見て、
指輪が無いと知ったら、悲しむかなと思ったのだ。

左手の指輪は、日本人だったら、しないような結婚指輪だったから、
それを見て、外国に住んでいると悟られたくなかった。

今、夫は何をしているのか?
家族のために働いているのだと。

死んだことを悔いていないか?
もう、これはどうしようもないから、と。
この男性は気持ちの切り替えが早い、と霊媒師さん。
これも正解。

食堂のことは、ラム子がやりがいを感じているなら、続ければいいし、
お客さんも続けて欲しいと願っていると。
止めると生きがいを失くしてしまうとも。

(これは、まあ、当たり障りのない言葉ね。)

義父母のことは、
悲しいと、一言。

義父母の面倒は、一人では大変だから、
兄弟たちと一緒に、手分けしてやって欲しいと。
(今、相続関係で揉めているので、私は義父母の面倒を放棄中、
それを知っているなら、こういう発言はないはず)

兄弟のことは、
信頼している、と。

(うーん、夫は一部の兄たちと確執あったし、
また、私は相続関係で冷戦を繰り広げている最中で、
まあ、信頼している兄弟もいるけど、ちょっと残念、
もっと、具体的に口にして欲しかった)

私は日本へ帰ったほうがいいのか?
ラム子が好きなようにとのこと。
(これも当たり障りなしね)



お墓は気に入ってくれたか?
『ありがとうございました!』と、おどけた口調が
夫にそっくりだったので、
それで、夫だと、少し信じた。

あと、どのときだったか、忘れたけれど、
霊媒師さんが、一人用の白っぽいソファの映像が見えます、と。
そのソファは、白ではなく、ちょっと茶色っぽいような薄黒っぽいような・・・・と。

夫が食堂のトイレで心臓発作を起こしたときに、ソファに倒れこんだのだ。
そのソファのことかな。

実際の色は、アイボリーなのだが、長年愛用していたので、
ひじ掛け辺りが、薄黒くなっていた。


霊媒師さんは、夫が太ももが痛いと言っているけれど、
心当たりは?との問いに、私は無いと答えた。

足を手術したとか・・・と、霊媒師さんが重ねるが、

これもない。

他に痛いところはありませんか?と聞いたら、
何やらぼやくように、うーん、心臓は些細なこと、だと。
他の疾患は口にしなかった。

この方はとても、優しい人なので、霊媒師さんが類似体験をしないようにと
務めてくれたのだろうと。

(霊媒師さんは、ときどき、他人の体験を不意打ちに類似体験してしまうのだそうな。
つまり、誰か交流したい人の疾患、痛みなど)

夫は私の傍にいてくれているのか?

ずっとじゃないけれど、傍にいる、と。

私は全く、気づかないのだと言うと、
この男性は、非常に穏やかなので、私が気配を感じることが出来ないのだとも。
また、じっとしている性格ではない、と。これは正解。


夫は霊媒師さんの家に私と一緒に入って来たらしい。
服装は、薄手のジャケットに、中は、白いポロシャツかワイシャツ。
ズボンは黒だとのこと。


実は、今回のいわゆる交流にあたって、
録音が可能と聞いていたので、父のラクラクスマフォに搭載されているボイスレコーダーで
録音を試みた。前日にきちんと音が入るかも確認し、
当日、録音した後、少し再生し、音が入っていたことも確認した。

にも関わらず、自宅に戻って、聞こうと思ったら、
記録は残っているのに、音だけ消えてしまった。


皆さんは、これを聞いて、どう思います?
やっぱり、信じられないかな?

私もこうやって、改めて文章にすると、
本当かどうか、怪しくなってきたな。
でも、あの霊媒師さんが作り話をしているとは思えないし。
もしも、私が夫ではない人と、霊媒師さんを介して
話をしていたのであれば、話は噛み合わないはず。

私が一番知りたかったのは、夫が傍にいてくれて、
見守ってくれているという確証だけ。

この体験談を聞いた友人たちは、私のことを気遣い
信じないとは言い切らなかったけど、姉は、最初から、絶対にない!と。
名前を聞いて調べたのじゃないかと、まったく信じなかった。

じゃ、どうやって調べられるの?

もしも、私のブログを探し当てたなら、
もっと、ブログに書いてあることを証拠に出してもいいのでは?

日本にいたときは、夫に会えたと喜んでいたけれど、
今冷静になってみて、なんだか怪しくなってきた。
もっと、自分から、その男性の名前を聞くなり、しなかったことが、悔やまれるわ。

もしくは、自分で信じようとしない限り、感じることが出来ないのだろうか・・・。

見えるものがすべてではない、とはよく聞くけれど。

もしも、死後も私に寄り添ってくれていると、実感出来れば
生きる糧になるから。















帰って来ました!

2017-12-14 17:14:05 | 日記
今日のパムッカレ

数日前に日本から戻って来たけど、脱力感で、ブログを書く気になれなかった。

自他ともに認める雨女の
私がトルコから日本へ帰国した直後からパムッカレが寒くなったようで、
私が戻って来てからは、暖かくなったみたい。

先ず、前回3月に帰国したときは、母が入院中で、私の滞在中に退院し、自宅療養と
なったものの、痩せ細り、弱弱しい母の傍を離れることに罪悪感があり、
万が一のことも覚悟した。

今回は、家事も少しずつこなしているようで、だいぶ元気になったようで安心したけど、
それでも、完治する病ではないので、余命が長くないのは確か。

母は私に、いつでも戻って来ていいから、ケントが死んだら帰っておいで、とよく口にする。
本心は帰って来て欲しいのだ。

父は、母が病気になり、日光がふんだんに入るようにと、
そして、トイレも寝室の近くに増設するために、
増築した。

その部屋を私が老後に使えばいいと言ってくれた。
帰って来れる家があるのは有難い。(因みに実家の私の部屋は存続しているけれど、
今は半分物置と化してしまっている)


食堂はやりがいもあるので、手放したくないし、ケントはもちろん、置いてはいけない、
でも、両親の傍にいて、親孝行したい、そんなジレンマに陥っている私。

ほんの数年前までは、母は習い事もし、自転車に乗り買い物へ行き、
そして、父と一緒に毎夏東京ドームへ泊りがけで巨人戦を観戦したり、
頻繁に国内クルーズに乗船(コネで安くなるから)したり、姉夫婦と国内旅行だって出来たのに。

今では、台所に立つのがやっとで、薬の副作用で、
食事、トイレお風呂以外は居間のソファで寝てばかり。

トルコに戻って、なんか、自分がしっくり来るくることに気づいた。
ムカつく奴も多いし、なんでもすぐ壊れるなど、日本とは違うストレス満載な
トルコなんだけれど、何だか不思議に落ち着くのだ。

そして、どのくらい生きるのか、わからないけれど、
将来のことを考えたら、このままトルコがいいのではと思う。

だけーどー、

日本とトルコを行き来するにあたって、直行便といえども、
door-to-doorで、1日がかりは、年を重ねるごとにきつくなってきた。

帰りは、成田まで、圏央道を利用した。
日曜の夜ということもあり、1時間15分ほどで、成田に到着した。

今回のフライト国際線、国内線ともに、去年の12月から1年間に3回搭乗したこともあり、
優遇されたみたい。国際線では、ほぼ満席の中、私と前の席だけが4列席真ん中2席が空だった。
つまり、隣に乗客がいなかったので、かなり楽だった。
国内線では、ビジネスクラスの席へと変更されていた。(でも、食事はエコノミー)

成田では、7万5千円で、
ビジネスクラスへのアップグレードが出来るとキャンペーンしていたけど、
その金で何が買えるかと考えたら、我慢だ。

今後のことは、本当に悩ましい。
時の流れに任せるしかないと思っている。

親孝行もしたい、でも、自分が周囲に迷惑をかけずに余生を全うすることも大事だから。


ケントは、私が日本へ行き、かなり我儘放題だったみたい。
それが、私がトルコに戻っても顕著に表れていた。
頻繁にドアの開閉を要求し、ご飯をくれないと、吠えまくるなど、など。