トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

誹謗中傷と品格

2019-05-12 11:10:51 | 日記
今日のパムッカレ

品格という言葉とは縁遠い私ラム子であるが、
ブロ友さんの記事に触発されて、改めて品格という言葉を
反芻してみることにした。


私が要約をし、リンクをつければいいかなと考えたが、
そうなると、文章力のない私が間違った印象を植え付けかねないと判断し、
一部転載することにした。

記事自体、奥が深く、非常に参考になるので、皇室に興味がない方でも
是非、全文お読みになることをお薦めします。


ここから一部転載↓

適応障害で休養していた雅子妃に対するバッシングは凄まじいものだったが、先日即位した徳仁天皇の「人格否定発言」以外、ご本人たちから反論などはまったくされなかった。


日本人ではあるが、インドネシア国籍のデヴィ夫人が「廃太子・廃妃」の署名集めをして秋篠宮を皇太子に、と主張したことにも驚いたが、それを一部マスコミが支持していることにはもっと驚いた。それでも東宮家も宮内庁も反論はしなかった。


しかし、今回の改元、新天皇即位の一連のニュースをみていて、反論などなさらなかったことは正解だったとつくづく思った。おそらく「品格」というものはくだらないことに目くじらを立てずに淡々とやり過ごすことで守られるのだろう。


私たち一般人は、批判や誹謗中傷を受けるとどうしても反論したくなるし、実際に反論してしまう。 しかし、反論すべきことにはしっかりとすべきだが、あまりにもくだらないことには反論せず無視する姿勢を貫く、というのがひととしての「品格」を育み最終的には周りからの信頼を得ることにつながるのかもしれない。



批判、誹謗中傷への対応というのは本当に難しい。もちろん、我慢し続けるのは体に悪いが、「ヤフオクでティアラ売っただろう」的な低俗な誹謗中傷にまで本気で反論していたら逆に体がもたないだろう。「皇位継承のための男子誕生」も努力でできる類のものではない。そもそも過去の多くの天皇は側室の子どもであり、子どもを産むことができなかった皇太子妃や皇后も多い。それを考えると男子を授からなかったことで心を病むまで追い詰められた雅子妃の「妃」としての人生というのは本当に過酷な「前半」だったと思う。


眞子内親王の結婚問題もあり、今では皇室批判の矛先は秋篠宮家に向いているが、かつての東宮ご夫妻のように10年以上の歳月を黙ってバッシングに耐え続けることができれば、きっと今回のように流れも変わるのだろう。だからと言って過度な批判や誹謗中傷が許されていいはずはないとマスコミも私たち一般人も認識すべきだとは思う。


日本国憲法が規定する天皇の地位は「日本国民の総意に基づく象徴」であり、その「象徴」とは憲法草案に記載された「シンボル」を和訳したものだという。 つまり、対外的には「日本の天皇を見れば日本人がわかる」とも言える存在、ということにもなる。 平たく言えば「国民の範となるべき責務」を暗黙の了解として負っている、ということでもある。


ありえないほどの誹謗中傷にもひたすら耐え、沈黙を貫くのは本当に大変なご心労だったと思うが、それも次代の天皇・皇后として、日本国憲法における「象徴」の持つ深い意味をお考えになってのことだったのだろう。

以上転載



実は、先日、海外のレストラン、ホテルランキングサイトで
ラム子の食堂が
自称中国人妻を持つトルコ人から、『酷い』という評価を投稿された。
しかし、何が酷いのかなどは、全く書いておらず・・・。
通常、クレーム投稿するときは、詳細つけるはずではないか?

そのトルコ人は今月来店したそうだ。
実は私のお客様は、トルコ人は非常に少ない。
なので、トルコ人が来れば、しかも、まだ、5月は始まったばかりなので
記憶に新しい。

私はお客様の国籍、人数、注文内容、時間などを
控えている。何か問題が起きた時やサービスの向上に役立つからと
私のお世話係さんから、助言されたのだ。

悪いことは書かれないように気を付けてはいるけれど、
良いレビューを書いて欲しいからお客様へ媚びることはしない。
パムッカレの中では、まともな食堂だと自負しているが、
1位になりたいとは思わない。(へっぴりなもんで一位は何でもプレッシャーなのだ)

たくさんあるレストランの中から、弊店を選んでくれたことに
感謝し、その期待に応えようと、心を込めて作る、
お客様に喜んでもらえる、その繰り返しなのだ。
(ときどき、理不尽な客に切れて喧嘩していることがあるけど

これは日本では常識よね?

でも、残念ながら、一部のトルコ人はそうは思わないのだ。
だから、私はトルコ料理を出してもパムッカレで1位になる自信がある理由はそこ。

客が入店してしまえば、旨かろう、不味かろうと関係ない、
金は払ってもらうんだ、と悲しいことに何件かの経営者から
直に聞いた。

私はお客様を不快にさせないようにすることにおいては
かなり危機管理を社員にも徹底させているつもりだ。

先日、大混雑で、そう、忙しかったのだ。『忙』とは、心を亡くすと書く。
そういうときに限って、うっかり、余計なことを口にしたり、
交戦的な態度を取ってしまうことがある。そういうときはよく記憶に残るもんだ。

だから、トルコ人に対して★一つをつけるようなヘマをやらかした記憶はない。
料理も残していた場合、理由を聞き、場合によっては
返金、交換、作り直しもしている。


前置きが長くなったけれど、


結論として、その★一つ評価をつけたトルコ人は私への嫌がらせがしたかったのだと
考えた。そのトルコ人は誰か想像はつく。以前にもその人から食堂に対して
暴力的なレビューを書かれたこともある。

私は本当に自分に非があるなら、それは甘んじて受けるけれど
そうではない場合は、反論したい主義だ。

そのトルコ男には外国人妻がいる。
そして、レストランも営業しているが、
多分、結婚も事業もうまくいっていないのだろう。
つまり、彼自身の生活に不満があるということ。
長くなるから書かないが、彼が私に嫌がらせをしたい理由はある。

誹謗中傷を繰り返す人について触れた他のブログ主さんの文章からまた引用するが
『たぶん、ご自身の人生に対する不満が非常に強いと思われるので、そのストレス解消のためだと思いますよ。』

この言葉を思い出して、留飲が下がった。

天皇陛下の品格、一般庶民の私には足元に及ばないけれど、
私はその精神と品格を見倣いたい。私はトルコで日の丸を背負って生きているのだから。

海外生活、特にトルコにおいては、NOと言えること、
自分の意見をはっきり伝えることが不可欠ではあるが、
常に『品格』という言葉を頭の隅に置きたい。

むやみやたらと吠える前に思い浮かべるのだ。
トルコで吠えない、喚かない生活は難しいけど

タイムリーにも、このような事件?が起きて、自分を見直すことが
出来たことはいい機会だったかなと思う。

しっかし、こんなことで、動転していた私だけど、
大切な家族を喪うことに比べれば、
ちっちゃいことなんだよね。

こうやって、文章にすると、自分の考えがまとまって
冷静になれる。

他人様のブログも生き方の参考になるし、
ありがたい。

今回も長文、駄文をお読みいただきまして、
ありがとうございます。


ケントへの嫌がらせ?は後日アップします。