甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

肉ばなれ参宮街道

2022年11月22日 21時48分54秒 | 街道を歩こう!

 近ごろ、歩くのに少しだけ凝っていますので、ええい、何だったら津から松阪まで参宮街道を歩いてみよう、そして、お伊勢参りに行くのだ、そんな大それた気持ちで津の町をスタートしました。

 調子よかったんです。街道はいい雰囲気だし、抜け道として使われている、という話も聞いたことがありましたが、通勤時間帯はもう過ぎてしまったし、ほとんどクルマは走っていませんでした。

 しめしめ、松阪までは20kmほどだし、太陽もあたたかだし、トイレは心配だけど、ところどころで見つければ大丈夫。とにかく歩いたらいいのだ!

 何だかエラそうな気分でした。何でもできるとか何とか、思ってたのかもしれない。

 津の町は平野部から少し山側に行くと台地があって、ずっと段丘になっています。津駅でも、西側はゆったりとした丘陵になっている。まっすぐ東の伊勢湾に流れる川があると何となく谷みたいになっています。

 三重県の中心の県庁なんて、津の町中の小高いところに巨大なブロックみたいにして立ってたりします。他の建物はその周辺にあって、まるで県庁が現代の天守閣で、そのまわりにいろんな出城があるように取りまいてたりします。

 参宮街道は、四日市から(江戸方面から)と、関宿から(京都方面から)の二本の道が津の町中で重なり、そこからは怒涛の進撃で伊勢神宮までつながります。

 街道はずっと段丘の下を通っています。ある程度進むと、いよいよ雲出川を越えなきゃいけないから、海側に道は進み、奈良の長谷寺・名張・青山高原を越えてきた初瀬街道とも重なり、次から次と道は自然と伊勢をめざすようになっているのでした。

 秀吉さんの時代に、滋賀県から松坂に移された蒲生氏郷という人がいて、秀吉さんには、家康さんを抑える役目を与えられ、期待された方がいましたが、彼は海側につながっていた道をぐっと内陸に寄せて、松坂の町までもってきて、新しい都市計画・運営を始めますが、それも道半ばで会津に移され、やがては亡くなってしまいます。

 そういう歴史の道を自宅まで歩くという壮大な計画でした。



 段丘のてっぺんに作られたお社にお参りした時は幸せのピークで、歩きだからこそ、普段生活している町を高いところから眺められたりするし、この私が見ている風景は、過去の人々も眺めたものかもしれないし、この眺めが自慢の神社だったのかもしれない、などと思っていたりしました。

 JRの駅で行くと、津市の阿漕(あこぎ)駅から、高茶屋(たかちゃや)、六軒(ろっけん)、松阪と、たったの三駅を歩くだけでした。

 なあんだ、そんなの軽いと思っていました。けれども、二十数年前に子どもと遊んでた時にピキッと断裂したふくらはぎが、突然痛み出しました。

 今までも、「もうダメ」と悲鳴を聞くこともあったけれど、あまりに突然じゃないのと、私はふくらはぎの突然の変化についていけませんでした。


 けれども、ダメなものはダメで、何度も立ち止まり、オシッコするのも忘れてふくらはぎをもみました。何度かもみ、また歩き、すぐに痛くなり、またもんで、そんなことを繰り返しながら、高茶屋駅までは来ました。たったの一駅区間です。でも、もうダメでした。

 もうヨレヨレになって家に帰りました。湿布を貼って、安静にして、今日は何とか709歩でした。街道チャレンジした時は、18670歩だったのに、激減しました。ああ、何たることか。

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