甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

嘆きつつ……千年前の人々のこと

2024年01月08日 21時29分06秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 百人一首で好きな札のうちの一つに、右大将道綱の母さんの歌があります。
「嘆きつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」です。

 一人で夜を過ごすのです。あの人は来られるのかしらと、ずっと思いながらと夜通し起きていて、そうしていつの間にか夜が明けていくのが、どれほどつらいと、どれくらいたくさん経験したことかと、あなたは知っておられますか? 私の気持なんか、届かないのですね。でも、届いてほしいのです。

 男の人への恋しい気持ちを歌ってくれた歌でした。こんな歌をもらったら、「ゴメンネ」と言いながら、ノコノコ行きたいはずだけど、持てる男は、そんなに簡単には行かなかったでしょうか。他にもたくさんの女の人からのメッセージがあったのかどうか? これらは本当にそうなんだろうか。言葉の遊戯なだけなんだろうか? 切実な気持ちが入っているんだと思うんですけど……。

 この思われ人は、藤原兼家さんというプリンスでした。この人が権力を握ったのは、986年の一条天皇(兼家さんのお孫さんになります)の即位からです。けれども、兼家さんは四年ほどで亡くなってしまい、次の関白は息子の道隆さん(中の関白)が受け継ぎます。

 道隆さんは二年ほどトップにありましたが、四十三歳でなくなってしまう。
続いて弟の道兼さん関白になりますが、在任七日で病没(七日関白)します。
日曜から始まったドラマ「光る君へ」では、紫式部(まひろ)さんのお母さんを殺害してしまいます(史実かどうかはわからないようですが、小さい時に実母が亡くなったそうです)。そして、道兼さんはこんなムチャクチャの人としてスタートしました。でも、せっかく権力を握ったら、すぐに死んでしまうなんて、天は見ている、というところでしょうか。

 天の神様も、たいていは見逃してたりするのかもしれないのに、歴史的にはそういうこともあるようです。まあ、私たちは、天の神様にいつか認めてもらえるようにコツコツやるしかないですけど……。

 兼家さんの息子たちは何人かいて、長男の道隆、次の道兼、道綱さんは三男くらいでしょうか。関白になれなかったのかというと、母親が歌を詠む人で、権力者ではなかったので、関白になれませんでした。

 さて、次の関白は、道隆さんの長男の伊周(これちか)になるか、それとも五男の道長(日曜のドラマでは三郎ということでしたが、同じ母親のもとで育てられてる三番目ということでしょうか)になるか。

 さあどっち? という大事な時が来ます。

 カギを握ったのは一族の人でした。甥っ子の伊周にするか、それとも同じ母親の姉弟の道長にさせるか、ということで、一条天皇の母親・藤原詮子(せんし・あきこ)さんは、甥っ子よりも、やはりかわいい弟を関白をさせようと、息子の一条天皇に頼み込み、平安時代の「満月王者」の道長が生まれます。

 道長さんは、995年に権力の座に付き、1016年に摂政、1019年に出家、1027年に亡くなるまで(62歳)の三十年余りの自分の時代を作ったということになっていきます。

 一条天皇のもとには、兄・道隆の娘・定子(ていし)がいたのに、自分の娘・彰子(しょうし・あきこ)を嫁がせ、サポート役に紫式部などを採用していきます。そういう権力争奪のためにお嬢さんを皇室に送り込み、平安中ごろの摂関政治というものができたようです。

 定子さんは、男の赤ちゃんもお産みになったということですが、その時には定子さんの父親はおらず、定子さんも出産時に亡くなってしまいます。すべて道長さんの思うように、すべてはなっていくようです。

 だから、道長さんが『源氏物語』の光源氏のモデルだとか言われたりするけれど、本当のところはわからないです。

 とりあえず、今のところ、あんなムチャクチャな道兼さんというキャラがいたのだと感心しました。古典文学の歴史ものがたりの『大鏡』では、小心かつセコイ男というイメージだったんですが、ドラマではあんなキャラとしてえがかれていた。

 そりゃ、千年前の人たちだし、脚本家の人たちのいろいろなイメージで作ってもらったらいいんでしたね。いや、もう、ビックリというのが20分だけ見た感想でした。

 道綱さんとか、道綱の母さんとか、出てこないかなあ。短歌も読んでもらいたいんだけどなあ。

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