甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

私は苦労してきた、という人

2019年05月22日 21時31分13秒 | 一詩一日 できれば毎日?

*  わが半生

私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語ろうなぞとはつゆさえ思わぬ。
またその苦労が果たして価値の
あったものかなかったものか、
そんなことなぞ考えてもみぬ。
とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであった!

 そんなふうに言える人がいます。なかなか人前で言えることではありません。詩の中だから言えることなのかもしれない。

 でも、それにはどんな事実が隠されているのか、ボンクラな読者の私には、とても感じ取れません。「そうなのかぁ、へーっ」と気のない返事一つくらいしかできない。

 けれど、何だか聞いて欲しそうですし、こっそり教えてもらえそうな気もします。この人の苦労話を聞かせてもらえたら、もっとしんみりとした言葉が言えそうな気がするのですが、残念ながら、こちらで勝手に想像するしかありません。

 女の人での苦労なのか、生活での苦労なのか、家族のことか、病気のことなのか、とにかくいろいろな苦労があるでしょう。私は、ボンクラなので、たいした苦労はしていないと思いますが、だから、相変わらずビンボーですが、まあ、私だって、それなりに苦労はしたかもしれない。でも、甘っちょろい苦労しかしていないから、ボンクラなんでしょう。

 とにかく、中也さんは、すごい苦労をされたんですね。それを私には教えてくれない。でも、次の文句から、苦労の一端がわかる気がするのですよ。



そして、今、ここ、机の前の、
自分を見出すばっかりだ。
じっと手を出して眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

 今、机の前に座っておられるらしい。そして、何か詩を書こうとしているようです。何かを書くにしても、絵空事なんか書けやしない。そんなの嘘っぱちだし、自分がそんなのを欲していない。

 ただ自分を見つめて、何かを書くにしても、自分というものを原点にしか書けない今を見つけた。今はただ空っぽの手もとだけがある。他には何もない。家族はいないの? 

 いるかもしれないけど、家族と詩を書くことがつながらない時だってあるのです。何となく家族をテーマに書けそうな時と、空っぽの手もと、何にもない自分をただ見つめるだけの時だってあります。

 他人から見ると、「何だよ、気取ってるな」とか、「バカ言ってんじゃないよ」とか、イマイチよくわからない時もあるのです。本人にはとても大切な空虚さなのに、他人にはそれがよくわからない。変にペシミスティックに見えるだけ。



   外では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持ちの、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

 結局、とことん落ち込んだ形で終わりです。でも、割り切れた形なのかもしれません。確かにボンヤリしていても、いつかは命は尽きてしまう。それは分かっている。

 座ったままで、死んでしまうのかもしれない。それはもう、何もしないでボンヤリしていたら、死んでしまうでしょう。

 でも、私はそれを受け入れたのか?

 そうではないですね。そうかもしれないけど、明日には、何かしようと模索するでしょう。今宵は苦労に打ちひしがれているけれど、明日の朝には、いや、今だって、風の音を聞きながら、これからに向かって、やっていこうとしているんではないかな。

 わりと穏やかな気持ちで、新たな苦労にも立ち向かおうとしている私を見つけたんですけど、だから、昔の苦労話はカットで、今からの時間にパワーをためている感じです。


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