甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

貝の研究の大家? 管と袋と

2016年07月28日 22時19分29秒 | High School Days
 人間は考える葦である。そうパスカルはいったそうだが、私が見るところ、人間は考える管である。ヒトの身体はとどのつまりちくわのようなもの。口と肛門で外界とつながった一本のチューブだ。だから消化管壁は内部に折りたたまれた皮膚の延長で、肌荒れ同様、消耗が激しい。そして、おなかの中とはいうものの、消化管内は、まだ身体の外部である。ここを通り過ぎる食物が、ちくわの身の中に吸収されて初めて、栄養素が体内に入ったことになる。

 先週の木曜日の夕刊に載っていた福岡伸一先生の文章でした。

 そこで、遠い昔を思い出しました。

 高校の時の生物の先生。本当であれば、高校なんかじゃなくて大学の先生、研究者となるべき方なのでした。いろいろな経緯があって、たまたま高校の教員をしておられた。

 先生は、板書は一切されませんでした。生徒は、先生のお話を、ノートにおぼろげながら書きました。それで合っているのか、合っていないのか、何だか不安で、頼りなかった。

 その先生が、「人間は管だ。消化器官は体の外なのだ。」と話しておられた。それで、できのわるい生徒の私は、へんてこなイメージが広がった。管が歩いてたり、しゃべったり、不思議な絵が浮かんだのでした。

 生物がこんな風に管になったのは、それほど遠い昔のことではない。当初、生物は単なる袋だった。イソギンチャクを思い浮かべればよい。彼らは口と肛門が一緒。モノを食い、カスを同じ穴から吐き出す。さすがに恥ずかしくなったのか、反対側に排出口を作った。これが管のはじまり。ウニには口があり(岩に張り付いている方に)、その反対側のトゲの中にちゃんと肛門がある。

 これは初めて聞いた話で、口が1つの袋状の生き物、こちらがたぶん下等な生き物で、管の生き物が高等ということなんでしょうか。




★ 高校の時の生物の先生を紹介します(母校のページから拾ってきました)。

 K一中在学中に植物化石を求めて、須磨の北部の神戸層群の露出地に盛んに通う。その頃から中生代の貝類化石に興味を持ち、採集したものを東京の博物館や大学の研究者のもとに持ち込む。その後、更に研究を続けるために、T高等師範学校に進学。

 師範学校を卒業と同時に、恩師を慕って台湾台南二中に赴任。その後、台北大学の黒田徳米博士に招かれ、助手を経て講師となるも、終戦で台北大学は廃校。台湾時代に結婚され二児を得るも、本国に一家四人で着のみ着のまま帰国。本来なら国立大学に転任のところ、混乱期で、ひとまずは食住を得るために大阪に。

 昭和24年(1949)われらが高校に職を得られる。新制大学設立の時代で、大学への道もあったが、いろいろあってそのまま大阪に定住する。その後ジェーン台風に罹災する。

 貝類学界でもご活躍され、恩師の博士と共に昭和天皇の研究所にも招かれる。

 恩師が引退後も、恩師の貴重な採集物の整理に没頭される。それまでの仕事をまとめるだけで、学位は取れたが、先生は肩書きは無視された。ご自分の名を学名に冠した新種の貝も、いくつもある。

 よく「人は親の背中を見て育つ」と云うが、タオルでほっかむりして、手に火鋏み、リュック姿で、磯の腐った魚介のゴミの中から 宝物? を探し出し、ニヤッと微笑まれる姿を見たら、逃げるものが多いはずが、何故 惹かれるのか?  

 近頃は「物理でも化学でも専門が生物でなくてもよい。理科の免許を持っておれば誰でも何でも教えられる」と、いう理科教育で、はたして先生のあのような「生物学」を高校で学ぶことがあるだろうか?〔理科嫌いが増えるはずやろ〕




 そんな先生がおられて、からっきし理科はダメでしたが、生物も成績はダメでしたが、それでも先生についていきたいような、魅力のある方だったので、好きは好きでした。

 どうして理系に進まなかったか? もちろん数学・化学・物理、全部わからなかったからでした。



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