甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

クナシリ、スズ、ミエ

2024年10月09日 21時21分49秒 | 海と水辺と船と

 わたしがクナシリの子どもなら、向こうに見えるシレトコへ行ってみたいと思うかな。エトロフに行けたとしても、何かを見るには装備が必要だろうし、軍のお世話にならなきゃいけないから、そんなところには行きたくないと思うはずです。

 クナシリの子どもなら、モスクワに憧れるだろうか? あまりに遠くて、一週間も汽車に載せられるのは、何だか苦痛だな。お金もかかるし、モスクワに着いたとしても、仰々しいだけで、心が晴れるものは見つからないかも……。

 それよりも、昔の日本海軍が太平洋戦争の最初にやったみたいに、船に乗ってハワイの島々に行けたら、気持ちは晴れ晴れするでしょうね。世界は広いし、いろんな人々が住んでいるし、そこで過ごすにはお金はかかるけれど、お金をゲットしてそれをいかに使うのか、大人になるとはどんなことかというのをイメージできそうな気がする。

 クナシリ沿岸から海流に乗ってそのままバンクーバーとか、シアトルとか、サンフランシスコとか、アメリカまで船で行けたら、世界は広がるでしょうね。クジラや海獣たちは自由に行き来しているはずですが、人間様にはできないのか。人間って、何だか不自由です。


 百何十年も前に、西の方から汽車に乗ってやってきたチェーホフという作家がいたけれど、彼は自分の国の端っこを見ておきたい! そして、この最果ての島に追いやられた犯罪者たちがどんな暮らしをしているのか、果たしてそこに生活はあるのか、人々は何のために生きているのか、そんなことを知りたくて来たのでしょうか。人を知るということは私たちの基本ですもんね。

 チェーホフさんは、少年のような気持ちでサハリンを訪れたことでしょう。わたしがクナシリの子どもだったら、せっかく海があるのだから、その海の広がりを感じてみたい、なんて思います。向こう岸が見えない海は、わたしたちを旅に誘ってくれます。

 けれどもクナシリの現実は、閉ざされた島です。水産業などで生きている島の人々を見て、大人はそれで仕方がないと割り切れる(そうするしかない)けど、子どもだったら、いろんな夢を抱くはずです。そうした夢をつぶしているとしたら、それは不幸なこと、ものすごい罪だと思います。
(日本から差し伸べる手はあるはずなんだけど、いろいろと支障があるのかな)


 わたしが能登のスズに育った中学生だったら、世の中はなんて自分たちのこを考えてくれないんだろう。どうしてうちの家族や大人たちはみんな離ればなれにさせられ、一つ屋根の下に暮らせず、お祖父さん・お祖母さんも苦労しているのに、どこからも手助けがないのはなぜなんだろうと、単純な疑問を持つでしようか。それとも諦めるかな? 

 いや、諦めたら終わりだと思い直して、これからどんなにして生きていこう、どんなにして家を支えよう、私たちの住む家はどこに建てたらいいのだろう。これは私たちの責任なのか? なんて、いろんな疑問を抱えたまま、自分にできることを探すでしょうか。

 どこかへ移動したくても、自転車や徒歩では限界があります。バスはどうなっているだろう。鉄道はとっくの昔になくなりました。すべて経済を優先させること、採算が合うこと、地域の課題は地域で解決することと、問題は地域に投げつけられました。

 そして、北陸新幹線なるものを通したから、立派なものができただろうと威張ってる人たちがいる。そういう大人は、お金もたくさん持っているし、すぐに都会へ逃げ込んでしまうし、温かい寝床で高いびきをかいているはずです。誰も助けに来てくれない。立派な道具は、都会との結びつきを強調しているみたいですが、その大きな路線・流れから外れたところは、とりあえず高速道路を通したから、それをせいぜい利用しろ、ということだろうけど、そんなもの、利用できない中学生だったら、この地域でどのようにして生きていったらいいのか、家族をどう支えるべきか、そのことでアタマがいっぱいになるでしょう。

 海はそこにあるのに、漁船は漁師さんのものだし、海を使うルートは何百年も前に途絶えてしまっています。かつては海のルートで栄えた家もあったというけれど、昔話になっています。道路が途絶えたら、簡単に陸の孤島になるし、船が利用できなかったら、孤島より悪くなってしまう。

 そこにいて、家族を支えること、それが最大の悩みになるでしょう。


 オッサンの私は三重に何十年も住んでいます。たまたまここで生活することになりました。これは私の運命だったのだと思っています。まだ私の人生は続くと信じたいけど、これから私はどこに住むのでしょう。

 都会に憧れはありません。どちらかというと、広大な農園に憧れるけど、そんなのどこにもありません。どこにも行かなくていいから、自分の土地で収穫できるもので生きていけたら、それはもう必死になって農業をしたいです。お米をちゃんと作れるのか、自信はないですね。これは無理かな。麦は何だか簡単そうに見えるけど、そうでもないでしょうね。大豆は、近くの畑を見る限りではとてもいい加減な扱いを受けています。私でもできるかな?

 クナシリなら海の広がりで気持ちをめぐらせてしまう。スズにいたら、この海から助けは来ないかなと思うだろうか。ミエにいる私は、海よりも地面を耕すことに憧れている。

 みんなが、その思いをうまく結実できたらいいのになと願う私です。

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