3日に、今年のごあいさつはしたつもりでおりますが、年賀状貼り付けましたので、あらためて……
みなさま、あけましておめでとうございます。
突然ですが、海音寺潮五郎さんの小説から、廃仏毀釈のことについてふれてあったものを取ってきました。
村の外れの小高い丘のいただきを平坦に切り開いた場所が、子供らの遊び場所になっていた。そこには昔大きな禅寺があったのだが、数年前の廃仏毀釈騒ぎの時、暴民に焼き払われたままあとが建たないので、今では、小鳥がついばんで来たり、風が運んできたりした種子(たね)が根を下ろして、栗や、楓や、はぜや、くぬぎの若木が蓬々(ぼうぼう)と生い茂り、その間に隠されつつ散らばっている礎石が、わずかに昔のおもかげをしのばせた。
そんなこと、あったんですね。どうしてそんなことしたんだろう。
とにかく、この引用は、海音寺さんの西南戦争に取材した短編集からの引用でした。
カゴシマのお寺は破壊され尽くしたことでしょう。それが、残念でなりません。解放されると、人間のパワーって、どこまでいくのかわからない部分がありますね。
★ もちろん、日本国中で、そういう嵐の日々があったのです。それだけ余裕がなかったというのか、扇動させられやすいというのか、日本の人々は、みんなで寄ってたかって、痛めつけようとすることがあります。
今日だって、拘置所を10億円の保釈金で出てくるゴーンさんを、みんなで寄ってたかってさらし者にしようとしたじゃありませんか。
「それは、マスコミがアホだから、そんなことになるだけだ!」と言い訳する人もいるだろうけど、たいていの人々は、マスコミのみなさんと同程度の野次馬度を持っていると思われます。
マスコミがじゃじゃ馬なのではなくて、私たちがじゃじゃ馬だから、その気持ちをくみとろうとするマスコミの人々は、あんなにあさましくなるんでしょう。
拘置所を堂々と出てて来てもよかったと思うのですが、マスコミの人たちの思い描く絵を提供するのがアホらしくて、ゴーンさんは、わざとらしく作業着に着替えて、すぐにわかるような変装で軽トラに乗り込みました。なかなかおもしろいことを考えましたね。
これからも、もっとマスコミや検察、日産の経営陣のウラをかく行動に出て、見事無実を勝ち取ってもらわなくてはならない。ゴーンさんに出てもらって、日産はもとの日産にもどるのかもしれない。
そして、ふたたびよそからできる経営者を連れてこなくてはいけなくなるかもしれない。
何をやっているんだろうね。もう、ゴーンさんは、無実になったら、日産から慰謝料をどん取らなくてはいけないですよ。そして、別の会社でもやったらどうかな。いや、もう会社勤めイヤになったかな?
まあ、期待しましょう!(2019.3.6)