川端康成さんの「掌(てのひら)の小説」を読んでいます。たくさんたくさんあるのに、一日にひとつくらい。文庫本で3ページくらいの「日向(ひなた)」というのを読みました。
たぶん、初期のころの作品だと思われます。こんなことが書いてありました。
私には、傍(そば)にいる人の顔をじろじろ見て大抵の者を参らせてしまう癖がある。直そうと常々思っているが、身近の人の顔を見ないでいることは苦痛になってしまっている。そして、この癖を出している自分に気がつく度に、私は激しい自己嫌悪を感じる。
幼い時二親(ふたおや)や家を失って他家(たけ)に厄介(やっかい)になっていた頃に、私は人の顔色ばかりを読んでいたのでなかろうか、それでこうなったのではなかろうかと、思うからである。
ずっと忘れてましたけど、映像で見る限り、川端さんはギョロ目で、映像の中からもこちらを見通してしまいかねない力がある、そんな気がしていたんです。
川端さんは、ものすごい目力だと感心してたんですけど、川端さんに言わせると、そうではなくて、いつもまわりの誰かの顔をじっと見ていないと、すぐに自分ひとりにされそうな気がしてたのだというのです。
あんなにすごい人ではあったし、気難しい人だったと思うんですけど、それは自らの弱さの裏がえしだったのかもしれません。
小さい時から、いろんなものが見えてたし、子どもたちの物語を書いても、子どもたちのこまっしゃくれたところがすべて見えてしまう。そして、それを描き出して、あらわにしないと気が済まないのです。
このお話の少し前の「バッタと鈴虫」の中に出てくる男の子が、女の子に「バッタだよ」と言いつつ、女の子にだけ「鈴虫」をブレゼントして、女の子が勝ち誇ったように「鈴虫よ」という場面、もう川端さんは、幼い子どもらにも見え見えの作為が存在し、それをえぐり出さないと気が済まない人でした。
私たちは、それを読まされて、人生の何たるかを学ぶことはできますが、苦い部分を突き付けられて、身動きができなくなる感じでした。
そうでした。川端さんの小説は、気が抜けないし、毒があちらこちらにあったんですね。ボクみたいなボンクラは、毒にあてられてクタクタになるのかもしれない。だから、1日1話くらいしか読めないのかもしれないんだ。
二親が死んでから、私は祖父と二人きりで十年近く田舎の家に暮していた。祖父は盲目であった。祖父は何年も同じ部屋の同じ場所に長火鉢を前にして、東を向いて坐っていた。そして時々首を振り動かしては、南を向いた。顔を北へ向けることは決してなかった。
ある時祖父のその癖に気がついてから、首を一方にだけ動かしていることが、ひどく私は気になった。度々長い間祖父の前に坐って、一度北を向くことはなかろうかと、じっとその顔を見ていた。
しかし祖父は五分間ごとに首が右にだけ動く電気人形のように、南ばかり向くので私は寂しくもあり、気味悪くもあった。南は日向だ。南だけが盲目にも微(かす)かに明るく感じられるのだと、私は思ってみた。
女の人と向き合いながら、どうして自分は人の顔を見つめてしまうのか、それは祖父との向き合い方によって生まれたものだった、というのを気づく瞬間でした。
好きな女の人に対していても、ふっと寂しい風が吹く自分、小説にも書いているくらいだから、ずっとこの寂しさを抱えながら、人というものを見つめてたんでしょうね。そこが何とも悲しいし、人間的なところでもあります。
三島さんはもういいから、川端さんを大きな活字で読めたらいいなあという気がしてきました。