勧修寺は、地下鉄小野駅から徒歩6分ということでした。でも、私の足では10分以上はかかりました。「千百余年の歴史を持ち、周囲の山々を借景とした庭園が見事な寺院」だそうです。
歩いて行くと、どんどん名神高速の高架と防音壁が近づいてきます。境内に入ってみると、なんとお寺のバックは高速道路にふみにじられた形になっていました。それは少し残念でした。
建物も、江戸のモノを移築したり、何だか古さを感じません。かといってピカピカのお寺かというと、そうでもなくて、それなりに古いらしいのです。
お庭の観音堂が有名ということですし、なにしろ入ってくるときの参道には、色とりどりの小さなサクラが植えられていて、それなりに庭園の美しさで売り出していこうという意気込みが感じられました。あまり期待はしていなくて、せっかく山科の盆地を歩いているのだから、普通は行かないお寺に行ってみようとしただけです。
それなりにサクラは満開で、庭園の中心の観音堂を盛り上げているようでした。
池から見たら、こんな感じで、お堂の姿が池に映っています。そして、この池には三脚と大きなカメラを抱えた先生と、若き女性写真家(?)のおふたりが、トリの姿を追っておられました。
先生が、「ほら、あそこにいるでしょ」と指さすと、
女性は、「私のカメラではむずかしいですね」なんて言っています。
野次馬の私も、せっかくだからととそちらを見ますが、何も見えません。
まるで、こうして二人が観光客をだますのを楽しんでいるような、それとも真剣に何か探しているのか、よくわからなかったので、もう池の周囲を歩くのはやめて、一点集中で観音堂の正面に行きました。
この春、何度か見かけたアシビです。とても小さな花で、こんな花に馬が酔ってしまうなんて、少し変な感じです。それとも、お馬さんは、それくらい繊細な心を持っているから、この小さな花たちを見たら、トローンとなってしまうのかもしれない。少しくもってきたけれど、馬酔木(アシビ)はきれいに見えました。サクラにも負けていなかった。
大正時代に作られたという観音堂には、白くてスリムな観音様がこちらを見ておられましたが、どういうわけか信心深い私なのに、あまりにピカピカすぎて、お参りする気持ちが起きなかったようです。それに、こんなお庭のど真ん中にある観音堂で、突然お参りするのも場違いな感じもしました。みんなだれもお参りをしていません。少し残念な感じです。
やはり、お参りするには、それなりに隅っこ感というか、しんみり感というか、私だけ感というか、個別の空間で、静かに、お祈りしたいはずで、それが庭園の真ん中にピカピカのお堂と観音様があっても、お祈りできない感じです。
月夜に、この庭を借り切って、ろうそくの明かりを灯して、お坊さんにお経を読んでもらって、それでしんみりお参りするんだったら、そりゃもうお祈りする気持ちになったでしょうけど……。
観音堂のてっぺんには、鳳凰さんがいました。
さっきの池には、
……ダイサギさんが何かを探しています。
……アオサギさんは、少し怖い感じ。あまり動かないけど、やる時はやるんでしょう。
勧修寺を出て、南の方に赤い鳥居とサクラのコントラストが見えました。さあ、もうとことんまで見てしまえと、そちらに行ってみると、なんとその社殿の前で、人なつこいシジュウカラがいました。
木のうろから出て来たので、そこに住んでいるのかもしれない。あまり人は訪れないような、静かなお社のようです。八幡山という名前がつくくらいだから、それなりに由緒のあるお社かもしれないけれど、私はこのコトリさんを見られたので、しあわせな気分がいっぱいでした。
さて、最後は、昨日書いた随心院のふすま絵の鶴です。写真を撮ってはいけないふすまと、別に撮ってもいいふすまがあって、こちらは撮ってもいいものだったので、それほど有名なモノではないのかもしれません。でも、トリ尽くしなので、載せてみました。
山科でトリ探しをしてたんですね。サクラも街道も見てはみたんですけど……。
歩いて行くと、どんどん名神高速の高架と防音壁が近づいてきます。境内に入ってみると、なんとお寺のバックは高速道路にふみにじられた形になっていました。それは少し残念でした。
建物も、江戸のモノを移築したり、何だか古さを感じません。かといってピカピカのお寺かというと、そうでもなくて、それなりに古いらしいのです。
お庭の観音堂が有名ということですし、なにしろ入ってくるときの参道には、色とりどりの小さなサクラが植えられていて、それなりに庭園の美しさで売り出していこうという意気込みが感じられました。あまり期待はしていなくて、せっかく山科の盆地を歩いているのだから、普通は行かないお寺に行ってみようとしただけです。
それなりにサクラは満開で、庭園の中心の観音堂を盛り上げているようでした。
池から見たら、こんな感じで、お堂の姿が池に映っています。そして、この池には三脚と大きなカメラを抱えた先生と、若き女性写真家(?)のおふたりが、トリの姿を追っておられました。
先生が、「ほら、あそこにいるでしょ」と指さすと、
女性は、「私のカメラではむずかしいですね」なんて言っています。
野次馬の私も、せっかくだからととそちらを見ますが、何も見えません。
まるで、こうして二人が観光客をだますのを楽しんでいるような、それとも真剣に何か探しているのか、よくわからなかったので、もう池の周囲を歩くのはやめて、一点集中で観音堂の正面に行きました。
この春、何度か見かけたアシビです。とても小さな花で、こんな花に馬が酔ってしまうなんて、少し変な感じです。それとも、お馬さんは、それくらい繊細な心を持っているから、この小さな花たちを見たら、トローンとなってしまうのかもしれない。少しくもってきたけれど、馬酔木(アシビ)はきれいに見えました。サクラにも負けていなかった。
大正時代に作られたという観音堂には、白くてスリムな観音様がこちらを見ておられましたが、どういうわけか信心深い私なのに、あまりにピカピカすぎて、お参りする気持ちが起きなかったようです。それに、こんなお庭のど真ん中にある観音堂で、突然お参りするのも場違いな感じもしました。みんなだれもお参りをしていません。少し残念な感じです。
やはり、お参りするには、それなりに隅っこ感というか、しんみり感というか、私だけ感というか、個別の空間で、静かに、お祈りしたいはずで、それが庭園の真ん中にピカピカのお堂と観音様があっても、お祈りできない感じです。
月夜に、この庭を借り切って、ろうそくの明かりを灯して、お坊さんにお経を読んでもらって、それでしんみりお参りするんだったら、そりゃもうお祈りする気持ちになったでしょうけど……。
観音堂のてっぺんには、鳳凰さんがいました。
さっきの池には、
……ダイサギさんが何かを探しています。
……アオサギさんは、少し怖い感じ。あまり動かないけど、やる時はやるんでしょう。
勧修寺を出て、南の方に赤い鳥居とサクラのコントラストが見えました。さあ、もうとことんまで見てしまえと、そちらに行ってみると、なんとその社殿の前で、人なつこいシジュウカラがいました。
木のうろから出て来たので、そこに住んでいるのかもしれない。あまり人は訪れないような、静かなお社のようです。八幡山という名前がつくくらいだから、それなりに由緒のあるお社かもしれないけれど、私はこのコトリさんを見られたので、しあわせな気分がいっぱいでした。
さて、最後は、昨日書いた随心院のふすま絵の鶴です。写真を撮ってはいけないふすまと、別に撮ってもいいふすまがあって、こちらは撮ってもいいものだったので、それほど有名なモノではないのかもしれません。でも、トリ尽くしなので、載せてみました。
山科でトリ探しをしてたんですね。サクラも街道も見てはみたんですけど……。