甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

1975年前後のころ HSD-06

2014年03月21日 06時40分04秒 | High School Days
 Kがものごころついた時には、総理大臣は佐藤栄作さんだった。だから、総理大臣は永遠に彼しかいないような気がしていた。どんな政治家だったのか、どんな業績があったのか定かではないが、絶大な権力があるような気がしていた。実際は下からの突き上げやら、歴代総理からのプレッシャーやらがあったと思われるが、とにかくKには総理は佐藤さんでしかたがないものとなっていた。

 他の大臣というポストも、ほとんどがその道の専門家がなるものという印象があった。だから文部大臣と言えば坂田さんとか、官房長官は保利さんとか、田中角栄さんは自民党の幹事長と、内閣でない人まで、何度も何度もニュースなどで見て、すり込まれてしまっていた。実際は、内閣改造などでメンバーは変わったかもしれないが、不動の自民党内閣のようであった。

 佐藤栄作さんは、独特の風貌を持った人だった。タプッとした頬の、ブルドッグのような顔。人は中年から老人へと変われば、だれもが顔までふくれて垂れてくるものなのだが、十代半ばのKには、どうしようもないだらしない、またはふてぶてしい顔に見えた。そして、権力者なのである。

 総理大臣の任期が何年なのかもわからないので、ずーっと佐藤さんが総理なのかと思っていた。すると突然、1972年のある時、Kが友だちのウチに遊びに行ったところで、辞任の会見をテレビで見ることになって、全く興味がなかったのに、Kはびっくりするのだった。時代の変化は見えないところで少しずつ用意されていて、ある日突然、天変地異が起こるのである。

 その後、三角大福の4人がかわりばんこに総理大臣をやることになり、トップバッターの田中角栄さんは鮮烈な働きをする。中国との国交を回復したり、ソ連に出かけたり、日本列島改造論をぶちあげたり、それはそれはかまびすしかった。幹事長時代からがむしゃらにまわりを引っかき回す人ではあったが、国のトップに立つやいなや、自分のやりたいことに邁進したのである。当然お金が必要で、国家のお金も、自分のお金もあちらこちらから用意して、結果としてそれが災いしてあっさりと辞職して、その後はトップ当選やら、政治家としての人気は見せることができたが、国を動かすことはできなくなるのだった。

 角栄さんの後も、淡々と自民党政権は維持されて、百年経っても日本の政治は変わらないと、Kは政治にはあまり興味を感じなくなり、ぼんやり学生へと成り下がる(それをノンポリ学生というのか、それとも、ただの言い訳にすぎないのか)。

 政治のトップの持つ雰囲気というのは、実は微妙に若者たちに興味やら希望やらを与えるものなのだろう。佐藤さんから角栄さんに変わった時、世の中の雰囲気が変わり、角栄さんの沈没でやはり政治はカネ、世の中もカネと、しらけた気分が広がり、三木さんがまじめに世の中をおさめようとしても、どうせウソだろ、あまり信用できないと、半信半疑・疑心暗鬼で、暗い政治世界はつづく。

 そういうわけで、Kは政治には全く興味が持てなかった。ただ、沖縄が返還されたものの(1972年5月)、ベトナムではくわしいことはわからないが戦争は続いている。けれどもアメリカの戦果はあまりかんばしくなく、枯れ葉剤・北爆などのひどいことをしていると聞く。そのアメリカが、ベトナムから撤退? という情報が入り、何はともあれ、ベトナム戦争が終結するのはよいことで、「どうして終わるのかは分からないが、早く終われ! アメリカが初めて負けた! 少しびっくり!」と感じ、同時に「今まで無敗だったアメリカの帝国主義が敗北するなんて、ベトナムってすごい!」と思ったのである。

 とにかく正しい情報も分からず(戦後の混乱期というのは、イラク侵攻後のバクダットやアフガン侵攻後のカブール、ベトナム戦争終結時のサイゴン、現在のシリア内戦下でのダマスカスなど、かなり後にならないと正確なことは何一つ分からないのである。ただ混乱した様子が遠目に見えるだけなのだ)、戦争の終わりだけを知る。その知り方というのがすごい。当時はニュースを詳しく解説する番組などほとんどなく、高校生のKは新聞を詳しく読むわけではないので、ただ情報としてニュースの項目を知るだけだった。

 くわしいことを知るには、やはり英語でなくてはとKは思い立ち、高校一年の春から半年だけ雑誌タイムの翻訳版を定期購読した。そして、結局、一文も読まず、英語も政治知識も伸びず、この折角の企画は、小遣いの浪費の1つとなったが、ただ1つ、写真ニュース(雑誌の表紙に引き上げの混乱を撮ったものがあった)によって戦争終結を確認する。

 ベトナム戦争以外は、七十年代は経済・文化などは安定していた時代だった。これは単なる郷愁なのか、それとも真実なのか。Kの小学4年生までの60年代は高度経済成長の時代で、この蓄積の上で豊かさが開花して70年代を迎えた。80年代はそれを追求し続けて消耗し、90年代は節約の時代に逆戻りした。21世紀に入ると、未来への圧迫感・不安感から、この社会は永遠に発展するものではないと心配するようになり、追いつめられた時代に入った。その不安感はだれもが共有するものになった。

 40年前の、Kが中学・高校生として過ごした70年代というのは、のんびり豊かな時代であった。しかし、これは高校生であったKの周辺だけのことかもしれず、違う世界では激動の連続だったのかもしれない。近視眼的なKの世界というのは、のどかに世の中の激動は一歩離れて、ゆったり進んでいたようである。誰しもが、こうしたじっくり自分を伸ばす時期というのがあっていいはずなのである。こうした時期を10代の若者に与えない国は、国家としても個人としても不幸であるかもしれない。


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