goo blog サービス終了のお知らせ 

甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

石垣りんさん「弔 詞」

2025年07月19日 21時02分26秒 | 一詩一日 できれば毎日?

★2015.7.17 の記事でした。近ごろ、石垣りんさんを忘れていましたね。また、思い出していきたいです。


★ 弔詞
職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて

ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

ああ あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。
活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨に
 とじられたひとりの人生。

たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月
 十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。

あなたはいま、
どのような眠りを、
眠っているだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?

死者の記憶が遠ざかるとき、
同じ速度で、死は私たちに近づく。
戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、
  覚えている人も職場に少ない。


 これは70年前の日本の風景でした。そして、その時にも、名前として発表されたときには、本来は生きている、どこにでもいる、どこにもいない、それぞれ唯一の人たちだったのに、みんなただの名前として印刷され、どんどん忘れ去られていくためにリストに載り、形も存在も消されていく。

 ある程度、それは仕方のないことなのだけれど、私はそんな社会に異議を唱えたいし、生きていた何かを求めたいと思う。でも、どうしようもないのです。歴史の波は恐ろしく早いペースで何もかものみ込んで、何もかも消し去っていく。もとからそんな人はいなかったのだと言いたげにすべてを消し去る。

 子孫が生きていれば、語り伝える人がいれば、何かつながる人がいれば、どこかに消え去った人の痕跡は残るかも知れないが、それもつかの間で、どんどん消え去っていきます。

 仕方ないのだけれど、何か抵抗してみたくなります。それなら名前を石にでも刻みたくなります。それも何年かしたら消え去るかなあ。



死者は静かに立ちあがる。
さみしい笑顔で
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発(た)とうとしている。

私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここへ戻って下さい。
どのようにして戦争にまきこまれ、
どのようにして
死なねばならなかったか。
語って
下さい。

戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。

八月十五日。
眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは
あなたたち。
 行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。


 私たちは毎日たくさんのことを忘れていきます。そして、時々イヤだなと思い、イヤな気持ちは忘れるように努力して、ケータイ・テレビ・音楽・おしゃべり・読書……、とにかく何かでイヤなことは自分の世界から追い出すように努力する。

 ストレスをためてはいけない。疲れが重なってはいけない。人とのトラブルはなるべく早く解消しなくてはならない。楽しく過ごせるようにしたい。悩みなんか早く消し去った方がいい。こうして私たちは努力して、ぼんやりするようにしている。



 それでも、残る悩みやストレスは時間にお任せして、なんとかやり過ごせるようにする。かくして過去のない私たちは日々更新されていく。何事もなかったかのように、今だけは一生懸命努力して、しばらくしたら疲れて、またその疲れをほぐすため努力して、ああ、私たちは何をやっているんだか。

 こんな無反省で、過去を振り返らない、今さえよけりゃあいいという人間でいいのでしょうか。たぶんいけないので、いけないと思ったらずっと怒り続けて、怒りをためておいて、いつか爆発させなきゃダメですね。

 私は、みんなに怒ってほしいし、みんなで怒りたいと思っています。みなさん、お元気ですか。今日はもう、寝ることにします。楽しいお休みがやってきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。