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俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

孔子さんって? 自問自答? 中思15

2016年02月18日 21時42分20秒 | 中国の思想家のことば
 今度の出会いは、隠者ではありません。だから、わりとリラックスして聞けるというのか、どんでん返しがないので、どんな展開になるのだろうと、少しわからない部分があります。

 実は、あとの孔子先生のセリフが面白いので、なかなか印象深い発言だったりするんです。

 諸国を放浪して、南の楚の国に一行はやってきました。孔子さんは、自分を売り込む気持ちはあまりなかったのか、それとも葉公(しょうこう)という人に魅力を感じていなかったのか、お弟子さんの子路さんが行きました。

 またも子路さんです。今回も一芝居打ちますか? どうなるんでしょう?


 葉公(しょうこう)、孔子(こうし)を子路(しろ)に問う。子路対(こた)えず。

 葉公さんは、春秋時代、楚の国の葉県(しょうけん)の長官。姓は沈(しん)、名は諸梁(しょりょう)。字(あざな)は子高(しこう)、という人だそうです。

 子路さんは、孔子さんの門人。姓は仲(ちゅう)。名は由(ゆう)。字(あざな)が子路、または季路。孔門十哲の1人ということになっています。

 どうして子路さんは答えなかったんでしょう。値踏みされてる感じがイヤだったのか、それとも、黙って相手の人物をこちらが観察に出かけたので、適当に相手にしゃべらせる作戦だったのか。とにかく、いつもと違うパターンですね。

 後に、孔子さんと直接言葉を交わす場面もあったようですから、最初の偵察として、とりあえず相手を見に行ったのかもしれません。

 さあ、何も答えてこなかったという子路さんに対して、孔子先生はどう言うのでしょう。売り込みですから、どうして私のことを売り込まなかったんだよ、バカヤロー! なんて絶対に言われないですよ。

子(し)曰わく、「女(なんじ)奚(な)んぞ曰(い)わざる、

その人と為(な)りや、憤(いきどお)りを発(はっ)して食(しょく)を忘れ、

楽しみて以(もっ)て憂(うれ)いを忘れ、

老(お)いの将(まさ)に至(いた)らんとするを知らざるのみと。


 先生はおっしゃいました。「あなたはどうして言わなかったんですか。
その人となりというのは、学問に発憤しては食事することも忘れてしまうところがあるし、
道を楽しんでは心配事も忘れてしまう、やがて老いがやってくることにも気づかずにいるような、そういう師匠ですと、どうして言わなかったかなあ……。」

 それを聞いた子路さんは、確かに先生は、そのように毎日を過ごしておられるようだし、少しずつ先生にも年齢が重なりつつあるというのも、自分たちは理解しているつもりだけど、先生はご自身も、わかっているけれど、それさえ忘れるくらいに、懸命に探しておられるのだと、改めて感心したことだと思われます。

 何と明快に、自分たちのことを理解し、自分たちの進むべき道を指し示してくださることか、と感心したかもしれない。

 私のまわりに、こんなに自分を冷静にみつめ、それでもなおかつめげないで、突き進もうとする人、なかなかこういう人と接する機会がなくて、私なんかは感心してしまいます。

 こんなにあっさり言ってもらったら、まあ今は就職できてなくても、少なくとも心は豊かだし、何か一緒になってみんなで先生を中心にして、理想を求めて精進している一体感があります。それさえあれば、小金は得られなくても、もうどうでもいいやという感じです。

 そんな気持ちにさせてくれる先生に出会えたこと、それが幸せです。この貴重な体験があったから、お弟子さんたちは、どうしても先生のおことばをまとめなきゃ気が済まなかったわけです。

 そういう求心力のある人、それがすごいです。



 葉公さんは、何かやたら孔子さんに対抗する気持ちもあったみたいだから、たぶん採用する気持ちはなかったでしょう。旅芸人の集団を少しだけ支援して、少しそのしゃべりを聞いたら、もう聞いたから出て行ってねという気分だったかもしれません。

 そうです。ここの孔子先生のおことばは、葉公に向けてのことばではなくて、お弟子さんたちに向けてのことばだったのです。

 私はだんだん年老いていくにも関わらず、君たちがいてくれて、だからこそ若い人たちと、議論し合うことは楽しいし、さらに高い境地をめざしていきたい。やらねばならないこともいっぱいあるし、伝えなきゃいけないこともある。それを適材適所に伝え、高め合わなきゃいけないじゃないか。つまらないオーディションを受けている場合ではないかもしれないな……。だんだんそういう気分になっていかれたんだと思われます。

 14年と簡単に言うと、そういうのはあっという間だけど、個人にしてみたら、長い、落ち着かない、何とかしたい放浪の日々だと思います。それができたのは、なぜかそこに集まった弟子と師匠の関係があったからです。孔子さん1人では、どこかで挫折したかもしれないし、旅も続けられなかったでしょう。

 旅をしながら、この人たちの気分も学問も高まったことでしょう。それで、この人たちの「学」って、具体的にはどういうことなんでしょうね。いつもみんなで禅問答というのか、理想の国は何か? どうしたら人間は、国を運営していけるのか? 王という存在と、どのような関係を持てばいいのか? 実践的に、各地の事情に合わせて議論しあったんでしょうか。まあ、学というのは、本を読むだけではないのですね。どんなことでも、発憤するような、それを何とかするために考えなきゃいけないことって、あるような気がします。

 
 





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