時々、思い出したように『論語』を開きます。というべきか、すでに言葉リストがあって、その順番に貼り付けていくだけのことなのだと思います。でも、まるで身についてないから、『論語』を開くたびに意味を考えます。
今日はどうですか? 何だか、ありふれた結論しか見つけられないです。とはいうものの、私たちは結局「人のふり見て我がふり直せ」と教えられている通りに、なかなか自分の中で基準が見つけられなくて、他人のやってることで自分の方向性を見つけられることが多いような気がします。
この述而編で「我れは生まれながらにしてこれを知る者にあらず。いにしえ(古え)を好み、敏にして以てこれを求めたる者なり」と、生まれつきで何もかもわきまえた人間であったわけではない。昔のことを好み、一生懸命に探究している人間なのだ、と言われているように、いつも自己点検をされた方でした。
だから、いろんな基準が必要だった。自分の中に基本的なものはあるのだけれど、それは絶対ではなくて、移ろいやすいものだし、心は動きやすいものだし、これでいいのか、自問自答はずっと続くのだ思われます。
57【( )人行えば必ず我が師あり】……○人で何かをすれば、中に必ず手本となる人がいる。採否は個人の自由ということ。〈述而〉
→良い手本、悪い手本、自分の合わせて何人?
私の先生は、どれだけいるんでしょう。「私以外の人はすべて先生だ」と心がけることは大切ですけど、それだとあまりに多すぎです。ということは、人間関係・社会が生まれる人数を考えればいいんでしょう。何人?
58【( )わるを一人に求むるなかれ】……一人の人間に完全無欠であることを求めてはいけない。[わがままな現代人は人にすべてを求めてしまう?]〈微子〉
→孔子が理想とした周公旦(しゆうこうたん)の発言。
さすが、孔子先生が理想とした方のおことばです。人にすべてを求めてはいけない。依存したり、神頼みしたり、人って、ついつい何もかもお願いしてしまうところがある。それをしてはならないという、大事な注意でした。
当てにしちゃいけない! 自分だけになってもダメだし、誰かに頼りすぎても行けないし、バランスなんですね。