甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

敗者こそ私たちのあこがれなのです

2017年07月25日 21時09分15秒 | きたぐにへの旅
 テレビに「空から日本を見てみよう」という番組があります。以前は地上波でしたが、中高年向けの番組は全部BSに移転させられて、今はBSジャパンでやっています。

 先週の木曜日は、奥様の実家のあたりを飛んでいて、それなりに発見もあって、来週くらいに東北の旅へ行きたくなりました。果たしていけるのかどうか。お宿はないし、車中泊は大変だし、ポシャる可能性はありますね。何事も行き当たりバタリなので、ダメかもしれないし、行くかもしれない。直前までわかりません。

 それにしても、最近はブログをお休みしています。7月に入り5回目のお休みでした。心身ともにへばっています。これから何回夏を経験するのかわからないけれど、こんなふうにして日常生活に対する執着もなくなって、どうでもいいやってなるんだろうか。

 私は、ブログこそが生きがいなのに、それさえどうでもよくなっているなんて、何だか困ったことです。



 先日、室生寺を訪ねた折、菩提樹やら、石楠花やら、紫陽花やら、花を探して歩いていたのは確かなのですが、たまたまシャクナゲの影を撮ったとき、そのすぐ後ろに、北畠親房さんのお墓とされるものを見つけました。

 お賽銭を入れるところがなかったし、北畠さんファミリーに関しては三重県に住んでいますので自然に支持する気分になっていて、時には北畠神社に出かけたり、名松線を撮りに行ったり、伊勢本街道を歩こうとしたり、あれこれと北畠さんたちの栄光を求めています。

 でも、結局は、北畠親房さんも息子の顕家さんも、足利尊氏さんたちにやられてしまいます。また、時代は下って戦国時代を生き延びた北畠家は、山賊のようにして山深いところで細々として生きていました。だから、街道を死守して、そこから資金を得ていたと思われますが、やがて伊勢の国に進出してきた信長さんに、家ごと乗っ取られ、本家筋は根絶やしにされてしまいます。

 そして、何もなくなってしまって、発掘されていない遺跡と歴史が埋もれているだけです。世の中からも忘れられようとしていますが、たまたま親房さんの「神皇正統記」が残ったので、敗者ではあるけれど、ひっそりと残り、やかた跡は神社になったり、お城の跡はハイキングコースになったり、細々と愛されていたりします。

 もう少しちゃんと調べて、物語をちゃんと書いたら、ドラマにでもしてくれますかね。私には無理だから、だれか才能のある人が取り上げてくれないかな。そうしたら、津市の山奥も、三重県もたくさん人が押し寄せるかもしれないのにね。

 建物とかは何もないから、物語ですね。これができあがれば、井伊の里みたいに大河にしてくれるかな。そうしたら、敗者の歴史が脚光を浴びるんだけどなあ。



 つまらない希望を述べました。近頃ずっとへばっています。今日も外仕事でたくさん汗をかきました。内仕事がしたいけど、なかなかそれは許されない。

 義経さんのお墓があれば、神社も造り、お寺も造り、みんなが参拝に行ったのになあと思ったのです。たまたま義経さんは、そのまま北海道に渡り、そこから大陸に抜けたという伝説になってしまったので(それはいつぐらいからある伝説なんだろう)、お墓はなくて、お堂だけが平泉の立派なお寺から少し離れた高台にポツンとあるだけです。

 一度奥さんと行きましたけど、いつか余裕があれば、訪ねてみたいです。頼朝さんのお墓は、たぶん鎌倉にあるのかな。みんなそこにお参りしているんだろうか。北条時政は? たぶん菩提寺があるんでしょうね。足利家は? たぶん、京都のどこか、等持院なんて、15代の将軍の木造があったはずじゃないですか。

 でも、勝者は、特にあがめられない。

 日本で庶民に愛されるためには、敗者にならなくてはならない。

 聖徳太子、義経さん、義仲さん、石田三成さん、豊臣秀頼さん、もっといるんでしょうけど、思い浮かばないなあ。菅原道真さんもそうですね。

 


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