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趣味の範囲で…園芸・沖釣り・漢方・医食同源の投稿をします…業務はCX・225指数・FX Pro. …

今夜の、ロンドン・NYも…景気良く下げてますネ!

2016年02月09日 22時57分14秒 | 市場動向チェックメモ
ユーロ高>円高>ドル安>豪ドル安>ポンド安… 225指数激安… Oil安… Gold高… 

特に目新しい材料はない!

為替は、円高・ポンド安・ドル安が顕著!… ドル円は114円台… ポンド円は165円挟んで… 225指数は15,900円台…

原油はジワジワ下げている!… 逆に金はジワジワ上げている!…



Web GOETHE EXILE HIRO、「起業家・五十嵐広行」としての道のり

2016年02月09日 14時44分54秒 | 市場動向チェックメモ
http://goethe.nikkei.co.jp/human/160128/?n_cid=WGT00001


日経電子版 WEB GOETHE ウェブゲーテ

EXILE HIRO 五十嵐広行 LDH 代表取締役社長 INTERVIEW

LDHは世界でも稀有な、ベンチャー企業だ。第一に、エンタテインメント業界における起業だったこと。第二に、起業したのがこの業界では基本的に「商品」とされるアーティスト自身だったこと。そして第三に、短期間で驚異の成長を遂げたこと。どのひとつをとっても比較し得るベンチャー企業は、今のところ存在しない。そういう意味でこの人、HIROこと五十嵐広行が、きわめてユニークな起業家であることは間違いない。LDH代表取締役社長でありながら、EXILEのリーダーでもあるHIROにはいくつもの顔がある。そのひとつひとつを解き明かしながら、LDHの成功の秘密に迫ってみたい。

エンタテインメントというファンタジーを支えるにはリアルをわかってなきゃいけない
起業家としてのHIRO

 起業したのは2002年のことだ。当時のEXILEメンバー6人が50万円ずつ出し合って作った会社はエグザイルエンタテインメント。青山のビルに事務所を借りた、小さな会社だった。
 エンタテインメント業界では、タレントやミュージシャンは、いわゆる芸能事務所に所属するのが普通だ。マネジメントやプロモーション、ライブやツアーなどの芸能活動に関する計画立案や運営は、原則、事務所の社員が行う。所属タレントはアーティスト活動に専念し、事務所がその他の業務を担当する分業制になっている。
 事務所は所属タレントの才能を「売る」わけだ。そういう意味で、あまり気持ちのいい言葉ではないが、タレントは「商品」などと言われたりもする。
 簡単に言えば、HIROは起業することで、この「売り手」と「商品」の垣根を取っ払った。それは事務所の管理から自由になることを意味したけれど、同時に保護を失うことでもある。すべての責任を、自分たちで背負うことでもあった。大きなリスクだったはずだ。なぜ、敢(あ)えてそのリスクを引き受けたのか。
「会社を作りたいとか、社長になりたいとか思ったわけじゃないんですよね。そういうことにはまったく興味がなかった。ただ、やってみたいことがたくさんあったから、それを紙に書き出して、いろんな人に見せてたんです。『俺、こういうことやりたいんですよ』って。
 J Soul Brothersのデビューでお世話になったエイベックスの松浦(勝人)さんにも見ていただき、『それをやりたいなら自分たちで会社を作るしかないな』と言ってくれて、僕らが会社を作るきっかけをくれたんです。それで会社を作らせていただきました。リスクがたくさんあるのはわかっていたけれど、自分たちがやりたいこと、夢をかなえていくには、そうするのが一番だって思ったんです」
 ベンチャー企業は、本質的にリスクテイカーだ。リスクを取ることで、新しいビジネスチャンスを獲得する。その意味でも彼の会社は、まさしくベンチャー企業だった。HIROがやりたかったのは、音楽業界の常識では考えられないことだった。

EXILEのリーダーとしてのHIRO
 彼が「やりたかったこと」は、その後のEXILEの成長を見ればよくわかる。松浦さんが「それをやるには自分たちで会社を作るしかない」と言ったのは、普通の芸能事務所はとてもそんなことはやらせてくれないよ、という意味だろう。あまりにも、リスクが大きかったからだ。EXILEが世間の注目を集め始めていたとはいえ、そんなリスクを引き受ける芸能事務所は、おそらく存在しなかった。
 EXILEは、ダンサーとボーカリストのユニットだ。彼ら以前の音楽業界での主役は、歌手と演奏者だった。バックダンサーという言葉もあるくらいで、ダンサーは歌手の後ろで踊る添え物的な存在だった。そのダンサーが、歌手とユニットを組んで音楽業界に勝負を賭けたのだ。
 計算は何もなかった、と言う。とにかくいい音楽を作ること、それからライブで観客全員を心から楽しませること。それだけを考えて前に進んだ。
「音楽とライブ。シンプルに言うと、とにかくそこで一番になることを目指してました。当時はあまり余裕がないから、目の前にあることを、一所懸命やることしか考えられなかったんです。一番の基本は、『どうやってライブに来てくれた人たちを楽しませるか』じゃないですか。自分の時間とお金を使って、ライブに来てくれた人が、『行ってよかった』と思ってくれるかどうか。そこに、EXILEの存続はかかっていた。あとは、その基本と『俺たちは何をしたいか』ということのバランスを、どうやって上手く取るかですよね。そこから始めて、少しずつ経験を積み重ねていったんです」
 社運を賭けてという言葉があるけれど、EXILEのライブはいつも文字どおりLDHの総力を投入したものになった。そこまでできたのも、LDHが彼らの会社だったからだろう。採算を度外視したステージの華麗さは、いつもファンの予想を上回った。
「発信するエンタテインメントに相当のインパクトがないと本物の感動は生まれないんです。だからいつもやれることを限界までやった。自分たちの持っているものを、何もかも使ってライブを確実に成功させるというのが、僕らの基本的な姿勢なんです。毎回初めてのことだらけで、ミスや失敗もたくさんあったけど、そのたびにそこから学びながら、ライブを進化させていったんです」
 これは、少しあとの時代の話だけれど、例えばドームツアーのリハーサルは、東北地方のある本物のドームを借りて、本番と寸分違わぬセットを組んで行う。そのために、何百人というスタッフが何百台ものトラックを連ねて移動するのだ。莫大な費用がかかるはずだが、それがライブを成功させるためのHIROの意気込みなのだ。
 わずか数年で、EXILEのライブはとにかく楽しいという評価が定着する。ファンは急増し、アルバムはミリオンセラーとなる。NHK紅白歌合戦に出場し、アリーナツアーを成功させ、発表する楽曲がことごとく音楽チャートの上位の常連になり……。EXILE第一章の黄金期が到来するのだが、それは長くは続かなかった。結成から5年、ボーカルの一翼を担っていたSHUNがソロ活動に専念するために脱退、ボーカルがATSUSHIひとりになってしまう。ふたりの男性ボーカルの存在がEXILEの絶大な人気を支えていただけに、大きな打撃だった。業界内では「EXILEはこれで終わった」という心ない声も、囁かれるくらいだった。
 けれど、HIROはそのEXILE存続の危機を逆手に取る。
 新しいボーカルを、公開オーディションで決めるという企画を打ち上げたのだ。


ピンチな時にも必ずチャンスはあるわけで そこでへこたれさえしなければ新しい何かを生み出すきっかけになる

HIROさん
プロデューサーとしてのHIRO
「今の所属(タレント)の若い子たちにも言うんですけど、ピンチっていうのは、物事の見方のひとつでしかないんです。普通の人は、それをピンチと見るかもしれないけど、別の角度から見れば、違うものが見えるかもしれない。例えば、チームの中でメンバーの誰かが辞める。それまで上手くいっていればいるほど、他のメンバーはリアルな危機だと思いますよね。そういう時こそ、チームが一丸となれる時でもあるんです。火事場の馬鹿力じゃないけど、『やるぞ!』っていう目に見えない力が発揮される時でもある。だから、ピンチな時にも必ずどこかにチャンスはあるわけで、そこでへこたれさえしなければ、新しい何かを生み出すきっかけになる。実際、あの時もそうだった。SHUNちゃんが辞めただけでなくて、実はあの時のEXILEは他にいくつも危機を抱えていたんだけど、逆にそれでメンバーは一丸となって危機に立ち向かえたんです。そのパワーには計り知れない何かがありました」
 危機を乗り越えるためにHIROが打ったひとつの手が、オーディションだった。ミリオンセラーのグループのボーカルを一般公募で選ぼうというのだ。それは、普通の男が、ある日突然スターになるという、ひとつの「ファンタジー」でもあった。
「エンタテインメントって夢を売る仕事じゃないですか。だけど、夢を売るという仕事そのものはリアルですよね。だから僕らは、リアルとファンタジーをきちんとわかってなきゃいけない。あの時の僕らのリアルは、ATSUSHIという天才と並んで歌えるだけの、才能あるボーカルを探さなきゃいけなかった。それを一般公募のオーディションで決めることで、一種のファンタジーにしたわけです。大きな賭けだったけど、その最終審査を武道館のステージでやることによって、エンタテインメントとして成功させる自信はありました。それは、今まで僕らが積み上げて来た、ライブでの経験があったから」
 このオーディションには全国から1万人の応募があった。そのニュースは音楽誌だけでなく、新聞や雑誌の記事となり、EXILEの知名度は一般の大人たちの間にも広まっていく。さらにそのオーディションでTAKAHIROという今までのメンバーとは雰囲気の違うボーカルを見い出したことで、EXILEのファン層は一気に拡大する。
「すべてのピンチがチャンスとまでは思わないけど」と慎重な彼は言うけれど、HIROは見事に危機を回避するだけでなく、大きな飛躍をEXILEと、そしてLDHという会社にもたらしたのだった。


自分の夢をかなえようとする時、自分がカッコいいと信じることをする時、人は一番がんばれる。

LDH代表取締役社長としてのHIRO
「スピード感が全然違うんですよ、決裁までの。何をするにしても、全部自分たちで、その場で決められる。普通は社内で時間をかけて話し合うじゃないですか。だけど表に出る僕がその場で決断できるから、全部即決でやってこられた。まあ、失敗もたくさんあります。だけどそのかわり何でも素早くやれるから、そのスピード感でLDHは成長してきた。会社を大きくしたくて会社を作ったわけじゃないから、別に大きくならなくてもいいんです。ただ、会社の成長とともに、夢を実現するスピードがどんどん上がってる。自分たちの夢をかなえるための会社だから、そういう意味ではやってよかったなと思います」
 EXILEは結成以来、大胆にそのカタチを変えてきた。デビュー当初は、ボーカル2人とパフォーマー4人の6人のユニットだった。それが5年後には7人になり、その3年後には14人に、さらにその5年後にはメンバーは19人にまで増えた。
 人数を増やした当初は賛否両論だったが、今やそれを言う人はいない。カタチを変えるたびに、EXILEのライブの規模と迫力は増した。それぞれのメンバーの活動の幅も拡大している。
 成功したアーティストがメンバーを大きく変え続けるなんて、音楽業界のそれまでの常識では考えられないことだった。
 それができたのはやはり、社長であるHIRO自身がパフォーマーであり表現者であるということだ。グループのカタチを変えることについて、最もナーバスなのはメンバー自身だ。それは各メンバーの人生そのものに直結しかねない、極めて繊細な問題なのだ。彼が単なる経営者だったらこんなに簡単にはできなかったのではないか。すべて即決でやってきたと言うけれど、それはあくまでもメンバーの100%自発的な賛同を前提とした、会社としての決断だ。
 グループの人数を増やすことに限らず、例えばボーカルを一般公募のオーディションで選ぶというようなアイデアも、押しつけにならないように十分に時間をかけて話し合い、メンバー全員が心から納得して協力できる体制を作ってから初めて実行に移している。
 単にそうしたほうが物事がスムーズに進むから、という理由ではない。HIRO自身が表現者のひとりとして、メンバーの気持ちを理解し、それを何よりも大切にしているからだ。その信頼関係が醸成されているからこそ、メンバーは彼のビジョンを信じ、何をするにしても全員が一丸となって事に当たる。
「まあ、極端な言い方をするなら、僕らは野放しにしていただいたわけです。おかげで余計なことを考えずに、自分たちの夢をかなえることに、全身全霊で取り組める。夢をかなえるとか、自分がカッコいいと思うことをするとか、そういう時に、人は一番力を発揮できる。僕の社長としての重要な仕事は、そういう環境を、すべての所属のために整えることだと思っています。そのために人と人をつないで盛り上げて、それからひとりひとりとコミュニケーションを取るのが、僕の一番の役割なんです」
 HIROがプロデュースするアーティストはもちろんのこと今、力をいれて取り組んでいるのは、「HiGH&LOW」のプロジェクトだ。深夜の時間帯に現在放映されているドラマをコアに、映画に漫画、ドームツアーまで連動させた、前代未聞のメディアミックス型の総合エンタテインメントだ。
「深夜のドラマにしたのは、視聴率にとらわれることなく、考査などの事も考慮して、思いきり大がかりなことをやりたいから。LDHの総力を挙げたドラマなんです。もちろんEXILEのメンバーも三代目J Soul Brothersも、E-girlsも、劇団EXILEの役者たちも大勢出演しますし、何らかのカタチで関わります。ひとつひとつのキャラクターがスターになりつつある。TVドラマは、その中核という位置づけで、そこから大きくはみ出して、今の時代に可能な限りのメディアミックスの手法を連動させていきたいと思っています。それぞれのキャラクターの出演する映画を製作したり、すべて新曲のシングルが集まったようにオリジナルアルバムを作ったり、SNSをつなげたり、漫画を描いてもらったり、さらには今まで見たことのないようなエンタテインメントのドームツアーまでやります。これからも無数のスピンアウトが生まれていくだろうし、その勢いでHiGH&LOWの世界を爆発的に広げている最中なんです」
 ここまで広範囲に広がったメディアミックスは、音楽業界の歴史でも初めての試みだ。このプロジェクトは、HIROの想いから生まれた。EXILEのメンバーをはじめ、所属アーティストの多くが、TVドラマや映画に出演するようになった。
 基本的にアーティスト個人の活動に関して判断はそれぞれに任せているが、いろいろ経験をしているメンバーを見ているうちに、HIRO自身が、EXILE TRIBEらしさの出る作品を考えてみたいと思ったのだ。
「メンバーそれぞれが持っている才能や能力を、音楽とはまた別の世界で、もっとストレートに表現できる方法があるんじゃないかという発想から、このプロジェクトは生まれたんです」
 アクションが多いのは、メンバーの身体能力を生かせるからだ。すごい運動神経の持ち主たちなので、番組を見たら驚くはずだとHIROは言う。
「こんなにアクションができたのかと。今までこういうカタチでメンバーの身体能力を見せる機会があまりなかったから、ファンの方たちにとってもすごく新鮮だと思います。それも僕ら発信だから見せられるわけで、自分たちで創造することで本当にたくさんの可能性を見い出すことができています。予算に関しても、とにかく見ている人たちに喜んでもらえるように、そこで躊躇(ちゅうちょ)したら、ライブと同じで人を感動させられない。だから、そこの部分は自分たちらしいやり方にこだわり、自分たちが培ってきたエンタテインメントのビジネスモデルで取り組んでます。クオリティーがあがればあがるほどメンバーのモチベーションが上がるし、ファンの方は喜んでくれる。そういう意味では、これはメンバーのモチベーションへの投資でもある。損して得を取るという表現が、この場合に適切かどうかわからないけど、やっぱりメンバーのモチベーションを上げることを、僕は何よりも優先させたい。なにしろ、それがすべての鍵だと思うから」
 16年前、J Soul Brothersを結成するために、MATSUとÜSAとMAKIDAIの3人を誘った時も、HIROは同じことをした。
「ダンサーも、ボーカルやミュージシャンと同列のアーティストとして音楽業界で勝負ができるようにしたいんだ」
 アンダーグラウンドのダンサーとして活躍していた彼らを、このひと言が動かし、現在のEXILEにいたる歴史が始まる。その3人が、この2015年限りでEXILEのパフォーマーを卒業する。16年はEXILEの第五章が幕を開ける。そしてまた、今までにはない新しいライブを見せてくれるはずだ。その絶えざる変化こそが、EXILEとLDHの成功の秘密なのだ。

 もちろん、すべてが上手くいっているわけではない。LDHも生身の人間で構成される会社である以上は、修正すべき課題がないはずはない。その質問をHIROに投げかけると、即座に明確な答えが返ってきた。
「LDHが大きくなり、社員の人数も増えて、本当のLDHの想いとか、Love,Dream,Happinessという僕らが起業した時のテーマが薄まっているのを感じます。そこで、原点に回帰しようってことを15年の目標にしてきました。時間が経てば、そういう想いが強い人だけの集団ではなくなるかもしれないし、これだけの人数が集まれば、薄まるのはしょうがないと思うんですけど、自分がどこまでそういう想いを伝えていくのかも、自分の課題ですし、できるだけ同じ方向に向いていけるようにしっかりひとりひとりの、社員のみなさんの顔が見えるようにならないといけない。そこがなかなかできていないのが、今の一番の課題ですね」
 HIROが抱えるのは、急激に成長する企業にしばしば見られる課題だ。さすがの彼も今のところは、課題を解決しかねているらしい。所属アーティストのモチベーションを上げることに関して、右に出る者のいない彼のことだ。いつか、妙策を生み出すに違いないけれど。

EXILE HIRO

1969年生まれ。90年ZOOでデビュー。99年J Soul Brothersを結成し、2001年EXILEと改名し再稼働。EXILEパフォーマー兼リーダーとして、また所属事務所LDHの代表取締役社長としてグループおよびスタッフを牽引し、EXILEを国民的エンタテインメントグループに押し上げる。13年をもってパフォーマーを勇退するも、引き続きリーダー兼プロデューサーとして新しいエンタテインメントの創造に向けて心血を注いでいる。著書に『ビビリ』。
Text=石川拓治 Photograph=Kei Ogata

橋下氏、衰えぬ注目 講演料200万円 4月TV復帰へ

2016年02月09日 11時26分47秒 | 市場動向チェックメモ
http://digital.asahi.com/articles/ASJ254HWNJ25PTIL00M.html?rm=479


朝日新聞デジタル


橋下氏、衰えぬ注目 講演料200万円 4月TV復帰へ
野上英文、井上裕一2016年2月9日05時07分


引退後の橋下徹氏の活動
 大阪市長を退任し、政界引退を表明した橋下徹氏(46)が8日夜、広島県福山市で講演した。昨年12月の退任後、一般市民向けの講演会は初めて。出席者によると、政界復帰については「(大阪都構想の)住民投票で政治的には死んだ人間。次の新しいリーダーが出るのをサポートしたい」と述べるにとどめた。

特集:橋下徹氏
 「福山市民の知らない橋下改革の真実」と題され、橋下氏が代表だった地域政党「大阪維新の会」で大阪市議だった福山出身の村上栄二氏が主催し、事前に申し込んだ市民ら約2千人が集まった。

 廃案となった都構想の目的は「既得権益を持っている連中や、大阪市議会の一掃」と説明。補助金カットなどで批判されても「嫌われる政治家になるべきだ」などと強調し、「皆さんの一票で、政治家にプレッシャーをかけることが必要だ」などと訴えたという。

■ネットに月1万800円の会員制ゼミ

 橋下氏は今年に入り、週に1回ペースの講演で、自らの経験から政治や行政のあり方を語っている。企業経営者向けが多いが、政治家主催の一般市民向け講演もある。出演料は「1本200万円」。秋まで予約で埋まっているという。

 ログイン前の続き今月からはインターネットで会員制の「激辛政治経済ゼミ」を開講。月に2回、橋下氏と2時間ネットで直接討論ができ、会費は月額1万800円。これも高めの設定だが、約300人が入会した。4月からは有料メールマガジンの配信も計画している。

 昨年12月18日の退任会見では、政治家人生を振り返るよう求められ、「価値ある話なので、しゃべりません。ぜひ有料メルマガ登録してください」と発言。会員制ゼミでは「公表された橋下徹の言動について、橋下徹がその裏側を語ります」をうたい文句にする。

 4月からはテレビ番組にも復帰する予定だ。レギュラー番組を含め、複数の放送局と交渉。沖縄の米軍基地移転や11月の米大統領選などに関心を寄せ、現地視察の計画などがある。退任翌日には東京都内で安倍晋三首相と会談。1月末には台湾から訪れた柯文哲(コーウェンチョー)・台北市長と大阪市内で会談するなどなお注目度は高い。

 自ら創設した国政政党「おおさか維新の会」では法律政策顧問として会議で熱弁を振るい、参院選に向けた党独自の憲法改正の条文作りなどで執行部に連日、メールで意見する。

 政界復帰のうわさに対し、身内の国会議員は「当たり前だ。衆院選に出る」と自信たっぷりに語る。一方、橋下氏本人は周囲に「政治家業が好きな人と僕は違う」と否定している。(野上英文、井上裕一)

夜の駅、ミサイル動く 日米韓と北朝鮮、情報戦の内幕…

2016年02月09日 11時25分16秒 | 市場動向チェックメモ
http://digital.asahi.com/articles/ASJ28619LJ28UHBI02H.html?rm=526


朝日新聞デジタル


夜の駅、ミサイル動く 日米韓と北朝鮮、情報戦の内幕…
ソウル=牧野愛博 ニューヨーク=真鍋弘樹2016年2月9日05時05分


 北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイル発射の準備段階で、機体を隠して夜間に移動させるなど情報統制を徹底したことが浮かび上がってきた。協力して情報を集めた日米韓は、最後まで半信半疑だったという。

特集:北朝鮮ミサイル発射
北朝鮮、ミサイル技術向上か 独裁体制引き締めの意図も
 複数の情報関係筋によれば、1月6日の核実験からまもなく、北西部・平安北道東倉里(ピョンアンブクトトンチャンリ)にあるミサイル発射場の駅に貨車が到着した。貨物の中身はわからなかった。北朝鮮が直前、駅のプラットホームに天幕と遮蔽(しゃへい)板を張りめぐらせたからだ。関係筋の一人は「衛星からのぞかれたり、レーダー波を当てられたりすることを嫌がったようだ」と語る。

 貨車やトラックの数量から、2012年12月に発射されたテポドン2改良型の機体2台分が運び込まれたとみられた。別の関係筋は「(2台目搬入は)前回と同じ現象。機体の異常や部品の不足に備えた動き。西側諸国と同じ行動だった」と言う。

 朝鮮半島をカバーする日米の情報衛星は6~8機展開しているとされる。もう一人の関係筋は「夜間は赤外線でみるが、熱源がなければわからない」と語る。機体を捉えた衛星はなく、そのまま組み立て棟に運ばれたと推定された。車両や人の動きは激しくなり、発射台にも覆い幕がかかっていた。

 ログイン前の続き1月末、具体的な動きがあった。何台かの放水車が基地内に展開。日米韓は、地下のパイプを通じた燃料注入の際に火災を防ぐ目的と判断した。機体は発射台に設置されたと推定された。放水車は2月3日ごろまでに撤収し、燃料注入が終わったとみられた。

 北朝鮮は液体燃料を使用している。燃料の品質は時間の経過と共に劣化する。関係筋の一人は「最高の状態は、せいぜい10日間程度」と語る。同じころ、日米韓は軌道などを地上の基地に伝えるために機体から基地に発信するテレメトリー信号の試験電波を傍受した。

 発射場の天候は、7日は晴天。8日から数日、曇天となり降雪も予想された。降雪時は計器が狂うこともあり、日米韓は7日発射の可能性が高いと判断した。

 防衛省はイージス艦3隻を日本海、東シナ海に派遣。米軍と韓国軍もそれぞれイージス艦を周辺海域に展開した。最も東倉里に近い黄海上で、韓国軍イージス艦・世宗(セジョン)大王がミサイルの軌道を捉えたのは、発射から約1分とみられる7日午前9時31分ごろだった。(ソウル=牧野愛博)

■北朝鮮制裁、米中なお溝

 北朝鮮の事実上の長距離弾道ミサイル発射を受けて、国連安全保障理事会は7日の緊急会合後、北朝鮮を非難する報道機関向け声明を発表した。弾道ミサイル技術を使った発射を禁じた過去の安保理決議を理由に、「たとえ人工衛星の打ち上げと主張していても発射は重大な違反だ」とした。新たな決議を「迅速に採択する」ことも確認した。

 日米韓3カ国はこれまでの制裁をさらに強化して圧力を強める考えだが、北朝鮮の最大の後ろ盾である中国は、北朝鮮に深刻な打撃を与えるような制裁にはなお慎重で、双方の溝は埋まっていない。こうした中で、日本政府は週内にも、独自制裁を決める方針だ。(ニューヨーク=真鍋弘樹)

北朝鮮がミサイル発射 沖縄上空通過、破壊措置はせず
「この国には未来がない」 金正恩政権下の庶民の暮らし
過食130キロ・「処刑してやろうか」…不安募る正恩氏
台湾地震、死者34人に 約120人の救出、困難か
アジア・太平洋 記事一覧

マイナス金利 白川総裁時就任の4人反対

2016年02月09日 11時22分35秒 | 市場動向チェックメモ
http://mainichi.jp/articles/20160209/k00/00m/020/056000c


マイナス金利
白川総裁時就任の4人反対

毎日新聞2016年2月8日 20時08分(最終更新 2月8日 21時58分)

 マイナス金利の導入を巡り、日銀内で激論が交わされていたことが8日、日銀が公表した金融政策決定会合の「主な意見」で明らかになった。マイナス金利は5対4の小差で決定したが、反対した4人は全員が白川方明前総裁の下で就任した審議委員。2012年に発足した安倍政権は、白川前総裁の金融政策から一層の緩和へかじを切らせようと黒田東彦総裁の起用に踏み切っており、ここに来て「黒」対「白」の構図が鮮明になってきた。

<質問!>マイナス金利ってどんな効果があるの?
<マイナス金利>銀行経営圧迫の恐れ…地域金融で再編加速も
<マイナス金利>発表から1週間たった3大銀の動向を知る
<社説>マイナス金利 苦しまぎれの冒険だ
<黒田総裁の予算委答弁>今後、個人預金のマイナス金利の可能性は
<マイナス金利の影響>ゆうちょ銀が金利引き下げ

 この日公表されたのはマイナス金利導入を決定した1月28、29日の会合での「主な意見」。賛成派は、新興国経済の減速懸念や原油安を背景とした金融市場の混乱に伴い「物価の基調に悪影響が及ぶリスクが増大している」とし、「金融政策の信認を保つ」ためにマイナス金利導入を主張した。一方、反対派は、マイナス金利が金融機関の収益に悪影響を与えるなどの副作用を強調。「危機時の対応策として温存すべきだ」などと導入のタイミングにも異論を示した。

 今回、マイナス金利導入に反対したのは白井さゆり、石田浩二、佐藤健裕、木内登英の各審議委員。4人とも黒田総裁と考え方が微妙に違う白川前総裁時代に任命された委員だ。一方、賛成した原田泰委員と布野幸利委員は安倍晋三首相や積極緩和を主張する首相周辺のリフレ派に近い。岩田規久男副総裁も13年の日銀総裁選びの際に財務省の反対を押し切って官邸主導で人選された経緯があり、政府内では「マイナス金利は『黒田体制』でなければ実現しなかった政策だ」(首相周辺)と自賛する声が出ている。

 審議委員の任期は5年。今後は、マイナス金利に反対した白井委員が3月31日、石田委員が6月29日にそれぞれ任期切れを迎える。白井委員については再任(留任)が取りざたされているが、政府内には「審議委員はリフレ派で固めたい」との意向も根強くある。今後もリフレ派の審議委員が誕生していけば、黒田総裁は安定的な支持基盤を確保できるものの、市場からは「金融政策がより過激に進んでいく危うさがある」と先行きを懸念する見方も出ている。【中井正裕】

キーワード・金融政策決定会合

 経済や物価情勢を踏まえて金融政策を決める日銀の会合。金融政策は9人の政策委員(正副総裁3人と審議委員6人)が多数決で決める。金融政策は企業活動や人々の生活に大きく影響する。本来、そうした政策は国会の審議を経て決定されるが、金融政策は専門的な知見を必要とするほか、グローバル経済の進展によってその決定には即効性も求められる。このため、内閣が人事案を国会に提示し、国会の同意で選ばれた委員が政府から独立して決定する仕組みになっている。開催は原則年8回。会合は非公開で、決定内容は同日中に総裁が記者会見で説明する。6営業日後に「主な意見」、次回の決定会合で承認のうえ、その3営業日後に「議事要旨」、10年後に「議事録」をそれぞれ公表する。