あいちトリエンナーレ(10月14日まで)に初めて参加している名古屋の四間道(しけみち)と円頓寺(えんどうじ)界隈へ行ってきました。
400年を超える城下町での現代アート展。町なかを歩いての作品鑑賞は、愛知県美術館などとは違う味わいがありました。
四間道と円頓寺は1610年、覇権を掌握した家康の命で名古屋城下への物資輸送のため掘削した堀川運河沿いにできた商人らの町。四間道には豪商らの白壁の蔵や町屋が並び、町並み保存地区になっています。
円頓寺は四間道に隣接した古くからの商店街ですが、戦後の再開発から取り残されて、せっかくのアーケード街もいつの間にかシャッター通りに。しかし、近年になって若い店主らが奮起、パリ祭と銘打ったイベントなど町おこしを進めています。
トリエン作品巡りは四間道の豪商だった伊藤家住宅からスタート。
米穀卸商で尾張藩の御用商人だった伊藤家の住宅は築300年。2年前にあった市民見学会の日には水彩画仲間と土間の隅に作品を展示させてもらったことがあります。
古民家の中には、古い家具類を積み重ねて造った小さな通路などが展示されていました。
町なかに点々とある展示場へ。
映像や写真、絵画の作品に出合いました。途中にある黒塀や白壁の蔵なども魅力的です。屋根の上に祀られた「屋根神さま」にも出会いました。疫病や火災から守るため名古屋独特のものといわれています。
鑑賞者にこの界隈についての印象などを紙に書いてもらう「町内ビッグデータ」というコーナーがありました。今後の町づくりに役立てたいとのことですが、トリエン開幕から3週間ほどのわりには数多いコメントが寄せられていました。大半は若者たちのようです。
SNSではなく、紙に書いて考えを述べる若者がまだこんなに多くいる。なんだかうれしくなりました。
鑑賞する若者たちについてもう一つ。
円頓寺本町商店街の狭い展示室の部屋で、日本の統治下で子ども時代を過ごした台湾の高齢者たちが、次々にインタビューされる画面が映し出されていました。
「日本の歌を憶えているか?」「日本人先生の名前は?」「どんな先生だった?」などと質問。
高齢者たちが答えます。
「憶えているよ」「さっき薬を飲んだかどうかも憶えていないのに、そんな昔のことを・・・」。
最初の反応はさまざまですが、共通しているのは少し間を置いた後、誰もが歌詞も曲もきちんと歌われることです。君が代や蛍の光、ふるさと・・・。唱歌だけでなく軍歌も。先生の名前も懐かし気に次々出てきます。同様の質問と答えが延々と流れます。
展示部屋の中は、僕からすれば孫かひ孫と言える若者たちばかりですが、まんじりともせず画面に向かい聞き入っています。立ち上がる気配はありません。「月月火水木金金」(海軍歌)なんて知らないはずなのに。
若者の心の中では国家や教育、戦争、祖父母、などといった言葉と思いが行き来していることでしょう。数多い映像作品の中でも傑作の一つだとも思いました。