弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓道の本来在るべき姿ー射芸の道と私は思う

2010-04-07 | Weblog
全弓連機関誌「弓道」の4月号
緊急インタビュー、鈴木会長に聞く「これからの弓道と弓人に望むこと」という記事がありましたので思っていることを書きます。

1,公益法人制度改革への対応については
「この世の中を取り巻く変化にどう対応していくか、組織の体質を如何に適合させるかと言ったあたりが重要になるでしょう。・・・日本の古来の伝統文化である弓道の本質が変わることではなく、連盟組織の活性化を図る時期が来ている。」とあります。

公益法人の制度改革の条件等が分かりませんので、答えようがありませんが、・・・
私は現弓道界で考えなければならないことの一つに、弓道の全日本選近的手権等がテレビで放映されていないことがあると思います。

武道の中で、剣道、相撲、柔道、空手、・・・等はテレビで放映されています。なぜ
弓道だけが放映されていないのでしょう。

全弓連の幹部はそのことについて問題意識を持っているのでしょうか。
テレビで放映されることに意義があるのかという意見も出るでしょう。でも何故弓道だけがと言う意見もあると思います。

以前「弓道が見ていて面白くない」と言う観衆の意見があって、一時連盟の方でも「繰り立て坐射礼」(?)なるものを考え練習させられましたが、持ち的坐射礼のちょっと手直ししたようなものでそれで面白くなるとは思われませんでした。これでは解決策にはならないと思っていましたが案の定、消えて無くなくなったように思います。

何故面白くないのか、弓道に問題点は何か、弓道はどうあるべきかを全日本弓道連盟幹部・弓道家は考える必要が在ると考えます。

その参考になるところが他のスポーツに見られます。
スケート、空手、陸上競技、水泳・・・等々です。どれも早さを競う部門と芸術を競う部門があるのです。
フィギャースケート、空手の型、体操、シンクロナイズドスイミング、高飛び込み・・・等々です。
これらの部門は芸術点を競う部門と言えます。

弓道も的中を競う弓術部門(仮称)、芸術性を競う弓芸部門(仮称)(その両方を合わせ持つ弓道部門も考えられますが取りあえず2部門で考えます。)が有るのです。

弓術部門は遠的、近的の的中の精度を競います。アーチェリーと同じですが弓と矢と射法が違うのです。

弓芸部門は主に芸術性を競います。その採点方法はフィギャースケート等から学びましょう。競技方法もフィギャースケートから学びます。

最終決算は一人ひとり規定のプログラムをおよそ4分かけて演武し、決められた採点方法によって審判し即時に発表する方式が考えられます。そこいらもフィギャースケートを見習います。

現在の弓道はこの芸術性という意識があるのかないのか分かりませんが、指導されている内容は芸術性の方向です。しかし教える方は芸術という意識を持っているのかどうかは分かりません。

良射ということは言われます。流派によって射の目的を正射、善中、品位、花形に置いたり、真正の射の追求などと言っているものもあります。(本多流)それは何を意味しているのかと言うことになります。

私はそれを芸術性の追求と考えるのです。そうするといろんな説明・指導がすんなりと分かるのです。

弓道教本第一巻には真善美を最高の目標と書いています。真善美とは芸術の目指す最高の所のものです。と言うことは弓道は芸術性を追求しているのです。
弓道教本第一巻は私の感じですが70%が弓道の芸術性を書いていると思います。30%位が弓術と考えます。

この弓道教本第一巻の芸術性は何処から出てきたのかと言うことも知りたいところですが、ともかく弓道の芸術性がうたわれていてその指導が行われているのですが、ただ、それを弓芸部門だという認識が無いのです。

この弓芸と弓術がその意識をされることなく指導されています。弓道教本の根本に弓芸を持っていながらそれを意識していないといえるのです。

弓道のあり方は、国を守る人間の育成、禅の修業、人間完成、弓道哲学・・・等々と考えられています。禅の修業のために弓道をするという流派もあります。

それはそれで修業道の一つとして弓道を考えているのです。弓道はそう言う生かし方もあるのです。また大射道教のように社会に役立つ人間の育成と考えるのも有ります。

この大射道教の考え方は、それは弓道でなければ出来ないのかというとそうではないと思います。武道全般がそれを目指しているし、スポーツ全般もそれを目指していると言えます。

大射道教の弓道観は弓道をしていたら結果的に達成されるものではないかと考えます。
戦争には腹の据わった人間が必要だ、だから弓道でそう言う人間を育てるんだと言うことは無いとは言えませんが、そこにはやはり銃剣術や射撃の練習の方が実践的ではないでしょうか、大射道教が教えている生徒達から異論が出されたのもそう言うところもあると思います。

しかし、大射道教は弓道の違う方向があることを示したのです。
それを本多流の「正射、善中、品位、花形」の教えを受けそれから発展させて、修業道としての弓道を展開したのです。

それは、技術一点張りの旧来の弓術の路線変更で在るべき弓道と考えたのです。
弓芸という方向があることを感じてはいましたが弓芸とは意識はしていなかったのです。
しかし、その方向のことは言われ、弓道教本に小笠原流と合わせ取り入れられましたが、ここで弓術派が飯の食い上げになると頑張ったので弓術と合わせ書かれたのが現代弓道教本第一巻です。

ということで、弓道教本は弓術と弓芸が両論併記された、やや弓芸的な要素を多く含んだ教本が出来上がったのです。中途半端はどちらにも正しくないと言えます。

私はこの両論併記を①弓術部門。②弓芸部門、と2つに分けて整理をすれば簡単だったのです。しかし剣道も柔道も相撲もそのような芸術部門が無くて一本なので弓道も一本化させようとしたのです。スピードスケートとフィギャースケートを一緒に書いたのと同じです。

弓道は弓術から始まりましたが、そこからは派生してきたのが弓芸なのです。
弓術の教本は日置流をまとめれば良かったのです。どの流派も流祖は日置弾正正次に至ります。
弓芸は芸術的表現ですので技術も大切ですが表現が大切なのです。それはフィギャースケートを見ればわかります。

弓道は武道でも芸術性が高いのです。そう言う意識は明治時代には当然ありませんし、戦時中も有りません。

その発端は、弓道教本三巻の祝部先生ではないかと考えられますが弓道を芸術的に考えられたのです。

祝部先生は、絵画、茶道、書道も成されて、芸術家だったのです。茶道や書のような弓道を考えられたのではないかと考えられます。
日置流を学ばれましたが、本多先生にも学ばれ、従来の弓術と違う方向の弓道を学ばれたのではないかと考えられます。

この影響を受けた人達が弓道の芸術化の方向を目指し始め、唐沢光太郎先生の弓道読本、
武市義雄先生の「射道芸術の探修」(帯に“弓射は芸術であり、人間学である”)(この本を監修されたのが阿波研造先生の孫弟子の福原郁郎先生)と弓道の芸術化が意識されるようになってきたのです。

という歴史、流れを考えます。
ここに来て改めて弓道は弓術と弓芸の二つの部門に分かれるという意識を持ち打ち出すべきだと思います。

そして審査は弓芸を主体に見てその修業度、精神性、表現力とうを審査し、段位称号を授与するところは現行と変わりません。

ただ、全日本近的選手権は決勝も弓芸で採点します。決勝はテレビ放映を考え、1時間での終了を考慮し1人4分10人とします。これで1時間終了を出来ますのでテレビの放映も可能となります。演武は1射の矢渡し行のが良いと思いますが、それは時間との関係で検討すべきです。

これに合わせて、射会も的中制の射会でなく弓芸の採点の射会、地区近的選手権を何回か開催するようにすることです。

以上が今後の有るべき弓道と考えます。

弓術は的中制ですので野球のバッターでも王選手やイチロー選手見たいに片足打法も有れば創意工夫で的中させればいいのです。早気もOKです。

この弓道2部門案は、人には個性があるのです、その個性に合わせた弓道を楽しむことが出来るのです。

そもそも弓道とは何でしょう。私は以前このブログで定義を試みましたが、その定義が無い中では弓道は指導者によっていろいろ指導されているのです。
その指導には的中を上げる指導は行われていないようですが、射会は的中制で競われています。
つまり、弓道のあるべき姿と行われていることは一致していないのです。現代弓道は矛盾を含んでいると考えるのです。

そこの所を幹部が気づいていないと言うところに最大の問題点があるのです。
(まさに弓道の幹部批判ですね。これを書いているのは誰だと問題にしないで下さい。探すこともしないで下さい。教本にも書いてあります。民主化の提案です。いろいろ提言があります。広く弓人に提案して貰うべきでは無いでしょうか、)

2.長期的に見て気になっていることがある。
「連盟は、創立以来60年を経て弓道は世界に拡がり、海外でも弓道の愛好家が増えています。そのような中で今一度、弓道の本来在るべき姿を考える必要があるのではないか、ということです。・・・弓道の教えが正しく伝わっているだろうかということです。」
このことに関しては「弓道の本来在るべき姿」を考えるのではなく新しい弓道を考えるべきだと思うのです。

弓道の歴史、全弓連はこの弓道の歴史認識を正しくしているのでしょうか、そこから始め弓道は何処に向かうのかを考えなければならないと考えます。

原始弓道は弓術が大切でした。飛貫中です。そのための技術の研究が流派となって出てきました。そう言う点では柔術と同じです。柔術は柔道と変わりました。道を大切にする精神が柔術を柔道に統一されたのです。

弓道はどうでしょう。弓術が流派に分かれ、道の精神は有ったのかどうかは分かりませんが、武徳会結成で柔道に合わせて弓道と言うことに名称が変わったのです。中味は変わっていません。武徳会の狙いは柔道みたいに統一して欲しかったのです。しかしここで弓術派とそれから脱した人間修業道派に分かれこの統一が出来なかったのです。そこでその中間を取り入れた妙な弓道が出来上がり、違和感を持ったままの弓道が行われていたのですが、戦後武徳会解散、改めて出来た全弓連で弓道の統一化が検討されたのですが、またもや統一化が出来ず、弓道は両論併記の形になって出来上がったのです。

現代弓道は敢えて言えば小笠原流・本多流と日置流の両論がはいっているのです。
しかし、そこには芸術という観点がまだ表面には出ていないのです。
教本の中にはその論争の中で書かれているのです。そして審査はその芸術性で審査されていると考えられるのです。
しかし、一般の射会は的中主義で行われているのです。芸術性が競われるのは全日本近的選手権の予選で行われているくらいです。

この全日本近的選手権も決勝は的中主義になっています。そこがおかしいのです。
弓道の幹部が弓道はどうあるべきかの意識がないのです。
否、意識はあったのです。ですから一時決勝も採点で行われたと聞きます。
ですが、審判の方法が良くなかったので消えてしまったのです。

予選は5人立ちで審査の方式で審査し射終わったら即時得点を表示し観衆に見えるようにします。
得点の即時表示と言うことで観衆に訴えましょう。
その予選の上位20名くらいで決勝を行います。それは1射か2射かは今後の検討でしょう。1人4分ぐらいの矢渡しを行い、即時採点し発表するのです。
採点方法はフィギャースケートとうから学びます。的中は5点くらいの点で例え的中しなくても得点が高い場合もあるのです。

弓道の芸術部門で弓芸(私が勝手に決めたもので検討の余地があります)と言います。
この弓芸は外国人にも説明出来ますし分かりやすいと思います。フィギャースケート等で見ているからです。

・・・続く


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1 コメント

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日弓連で意見を公募中 (養心)
2012-03-30 15:54:58
http://kyudo.jp/pdf/info/120330_info.pdf
全日本弓道連盟は、昨年11 月、これまでの財団法人から公益財団法人に移行しました。こ
れは、弓道が国民すべての武道であることが認められたことです。同時に個々の弓道人は弓
道の修練を通じて心身の向上と社会の発展のために寄与すること及び全弓連は法人化に合わ
せて体制を変革するということも意味します。
全弓連は、本年3 月、「運営推進委員会」を設置して、公益法人の精神に則り、全弓連の全
ての制度・事業について適正性、公平性、透明性の観点から見直し、将来の国際社会におけ
るあるべき姿をも念頭に置いて改革案を策定すべく作業中です。
全弓連は、全国弓道会員13万人余りの皆様のための組織です。改革案は、皆様の総意に
よって作成されなくてはなりません。
つきましては、改革案の策定にあたり是非皆様のご意見をお伺いしたく、ここに皆様のご
理解、ご協力のほどをお願い申し上げる次第です。
内容は、皆様の日ごろの弓道活動において改革すべきと思われる事柄、即ち運営(評議員
会・理事会等)・審査等の制度、競技・審査・講習・普及・広報等の事業、審査料・登録料等
の財政、事務局の活動及び全弓連のあるべき姿、中長期目標等に関する忌憚のないご意見、
ご提案を頂ければ幸甚です。
ご返答は、本年5 月末までに下記Eメールアドレス宛にお寄せいただきたいと存じます。
宜しくお願い申し上げます。
平成24 年3 月吉日
公益財団法人 全日本弓道連盟
<ご意見のお寄せ先>
E メール:mailto@kyudo.jp
・ご意見をお寄せいただくにあたり、氏名や所属地連、居住地等の明記は必要ありません
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