おいでやす京都

京都を自転車で駆け巡る新京都紀行

大通院

2005-09-30 16:16:04 | 戦国時代の京都
妙心寺塔頭の大通院は山内一豊夫妻の御廟です。

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京都検定試験想定問題その37

2005-09-29 13:54:00 | 京都検定試験想定問題
第1問 大将軍八神社 由緒

大将軍は陰陽道では暦の吉凶を司る八将神ひとつ。(漢字2文字)けの神として信仰が厚い。方位の信仰は平安末期から鎌倉初期にかけて最も盛んだった。白河天皇は法成寺の塔供養の際、当寺が大将軍の方位に当たるからといって、行幸を取りやめた。源(漢字2文字)は養和元年(1181)、大将軍の方位が西方に当たるからと京都攻めを遠慮したという。江戸時代になると、(漢字2文字)神道の影響を受け、大将軍中心の信仰から八将神の信仰に拡大していき、スサノオノミコト及び、その御子八神と暦神の八神を習合して大将軍八神宮と呼ばれるようになり、明治以降大将軍八神社と称するようになった。



第2問 西院春日神社 由緒

奈良の春日神を勧請して(漢字3文字)の鎮守社としたのに始まる。淳和天皇皇女(漢字2文字)内親王が疱瘡に悩まされた時、神前霊石に疱瘡が生じ、病が快癒した。以後、病気平癒の神として崇敬されるようになった。境内には旅行安全のなぎ石がある。境内末社の(漢字2文字)神社がある



第3問 この大きなクスノキがある神社はどこでしょうか

ヒント:近くには泉涌寺があります。

写真はHP京都検定試験想定問題その37に掲載しています

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島原大門

2005-09-28 15:32:41 | 京都の観光名所
島原は江戸時代以来の公許の花街として発展してきた町で、寛永18年(1641)に島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野に移された。その慌しい移転騒動が島原の乱を思わせたところから「島原」と呼ばれる。現在で云う、料亭にあたる「角屋」・置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」が残っている。幕末の頃、新撰組をはじめ勤王佐幕を問わず各藩の志士たちで賑わった

JR京都駅から市バス206番で島原口下車、すぐ

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千本通り

2005-09-27 16:27:55 | 通りをゆく
上品蓮台寺
じょうぽんれんだいじ。上品とは極楽での位を示している。極楽浄土は上品・中品・下品の三段階に分かれており、死出の旅に向かう者にとり、上品蓮台寺は有りがたい寺なのだそうです。枝垂れ桜の木も今は青々としています。紅葉はどういった感じなのでしょうか。この秋も楽しみです。

千本閻魔堂
正式名称は引接寺(いんじょうじ)という。当寺は死者に引導を渡し、野辺送りする寺である。こちらの境内の普賢象桜はとっても綺麗でした。通常花びらはひとひら、ひとひら落ちるものなのですが、こちらは花そのものが落ちるそうです。今年は開花を楽しみましたが、落ちたところは来年に持ち越しました。

石像寺
苦しみを抜く「苦抜き地蔵」が転じて「釘抜地蔵」となった。正式名称は石像寺。腰痛・肩こりにご利益があるそうです。又、お堂の中の燈明には逆卍が刻まれています。これが本来の仏教では正式と言われています。

出世稲荷
もと豊臣秀吉が造営した聚楽第内にあったのを聚楽第の破毀後、この地に移したものといわれ、秀吉に因んで出世稲荷という。

朱雀(すざく)門址
朱雀門は平安京朱雀大路(現在の千本通り)の北突き当たり、二条大路に面して立っていた大内裏南面中央の正門で、その名義は四神の南にあたる朱鳥・朱雀によったものである。

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堀川通り

2005-09-26 16:28:24 | 通りをゆく
興正寺

円頓山と号する真宗興正寺派の本山で、その草創については、異説が多いが、元応二年(1320)了源が山科に一宇を創建し、興正寺と称したのが始まり。

左女牛井 さめがい

源氏堀川邸の井戸と伝えられ、京都三名水の一つ。現在は石碑を残すのみです。

晴明神社

平安時代中期、陰陽道の大家 安倍晴明(921-1005)の邸であり、没後晴明を祭ったのがこの神社の起こりとされている。

本法寺

叡昌山と号し、永享八年(1436)日親上人の創建する日蓮宗本山の一つで、本阿弥家の菩提寺である

水火天満宮

923年、都の水害、火災を鎮める為に、醍醐天皇の勅願で、菅原道真を勧請し建てられた。

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