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おいでやす京都

京都を自転車で駆け巡る新京都紀行

義経&平家伝説をゆく 法輪寺

2005-12-19 17:14:18 | 義経&平家伝説をゆく
713年行基菩薩の開基と伝え、古義真言宗に属する。もとは葛井寺と称したが、弘法大師の高弟道昌僧正が868年堂塔を興して法輪寺と改め、弘法大師の修業の遺跡として有名な境内の葛井に姿を現した虚空蔵菩薩を自ら彫って本尊とした。

<小督局塔>
本堂の背後にある石造宝塔。この地が小督局の隠棲の地という伝承から造られた供養塔である。

JR京都駅から市バス28番で嵐山公園前下車、渡月橋から南へ徒歩約5分

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義経&平家伝説をゆく 小督塚

2005-12-19 10:48:28 | 義経&平家伝説をゆく
小督局は桜町中納言藤原成範の娘。高倉天皇(在位1168~80年)の中宮建礼門院(平清盛の娘徳子)つきの女房で、宮中一の美人の名が高く、高倉天皇の寵愛を受ける。範子内親王を生むが、清盛の怒りをかって嵐山に追放され、その時の仮住居がこの小督塚辺りであったと云われている。

JR京都駅から市バス28番で嵐山公園前下車、渡月橋北の通りを西へ徒歩約3分

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義経&平家伝説をゆく 滝口寺

2005-12-16 16:45:34 | 義経&平家伝説をゆく
もとは三宝寺といい往生院の子院であった。早くに廃絶したが、その後小堂を建てて滝口寺と号した。

<横笛・滝口入道>

滝口入道と横笛の悲恋の舞台となったところからこの名が付いた。あるとき、主君の清盛が開いた花見の席で、侍の齊藤滝口時頼は、女官の横笛が舞う姿を見て恋に落ちてしまった。身分の違いから清盛に叱責された時頼は出家を決意。そのことを知った横笛は滝口入道をやっとのことで探し出し、襖越しに想いを伝えたが、哀しく拒絶される。想いを歌に代えたが、それを詠んだ入道はさらに修行を積むために高野山に移った。一方、横笛も尼となったが、お互い出会うことなく、横笛は生涯を終える。それを知った入道はさらに修行を積み、高野の聖とよばれるほどの高僧になったという。本堂には滝口入道と横笛の木像が、約千年の時を越え今は静かに並んで安置されています。

拝観料:300円

JR京都駅から市バス28番で嵯峨釈迦堂前下車、西へ徒歩約8分、祇王寺の隣です。

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義経&平家伝説をゆく 祇王寺

2005-12-16 06:41:37 | 義経&平家伝説をゆく
往生院祇王寺と号する真言宗の寺である。平安時代に法然上人の弟子、念仏房良鎮が開創した往生院があったところで、その草庵の一つに1178年白拍子の祇王らが隠棲したことにより祇王寺と呼ばれる。

<祇王>
平家物語によれば、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母刀自、妹祇女とともに出家し移り住み、この地で一生を終えたといわれています。

拝観料:300円

JR京都駅から市バス28番で嵯峨釈迦堂前下車、西へ徒歩約8分

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義経&平家伝説をゆく 法金剛院

2005-12-15 06:34:40 | 義経&平家伝説をゆく
律宗唐招提寺派。平安時代のはじめ右大臣清原夏野の山荘のあったところで、死後山荘をあらためて、寺とした。土地にちなんで双丘寺と号したが、その後荒廃。平安末期に待賢門院の御願によって再興され、法金剛院と改められた。境内には御陵がある。

<待賢門院>
名を璋子(あきこ)といい、17歳のときに入内し、崇徳・後白河天皇の母である。当寺にて出家し、3年後の45歳で没した。

拝観料:400円

JR花園駅下車すぐ

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