おいでやす京都

京都を自転車で駆け巡る新京都紀行

蛸薬師通り 本能寺址

2006-04-30 16:47:42 | 通りをゆく(洛中東西)
本能寺の変により天正十〇年(1582)織田信長とともに炎上、その後天正十七年(1589)この地に再建せんとしたが、豊臣秀吉の命により、現在地(寺町御池)に移転を命ぜられ今日に至る。

空也堂から蛸薬師通りを東へ、徒歩約6分。現在はマンションとなっています。

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蛸薬師通り 空也堂

2006-04-30 06:38:58 | 通りをゆく(洛中東西)
正式名称は紫雲山極楽院光勝寺と号する天台宗空也派で、空也上人ゆかりの寺であるところから空也堂という。上人は平安時代中期の浄土教の先駆者で、醍醐天皇の皇子との説もあるが、定かでない。当寺の創建は天慶二年(939)朱雀天皇の勅願によるといわれているが、一般には平定盛の末裔の創建するところといわれる。

蛸薬師通堀川東入

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六角通り 善想寺・地蔵堂

2006-04-29 16:21:48 | 通りをゆく(洛中東西)
泥足地蔵という。日照りに苦しんだ百姓が雨乞いをすると見事に雨が降ってきた。しかしちょうどその時、百姓は急病で田植えが出来なくなった。翌朝、田んぼに行ってみると、すっかり田植えが終わっていた。驚いて地蔵様にお参りすると、地蔵さんの足が泥まみれになっていたという。(地蔵さんが汗を流して田植えをする姿が目に浮かびました。どこか滑稽、でも、一所懸命の姿です。こうありたいですね)

六角堂から六角通りを西へ走り、大宮通りを越えて到着、徒歩約15分

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六角通り 六角堂

2006-04-29 06:33:28 | 通りをゆく(洛中東西)
名前の由来は本堂が六角形をしているところから来ています。六角さんと地元の人に呼ばれ、親しまれているが正式名称は紫雲山頂法寺。聖徳太子を開基として創建された寺で太子の護持仏如意輪観音像が祭られています。境内にはへそ石なるものがあり、京都の中心を示しているといわれています。六角通りの名前の由来となっています。

<ご利益・華道上達>聖徳太子を祭った太子堂のある場所は、太子沐浴の池の跡といわれておりこの池のほとりに寺坊があったことから池坊と呼ばれるようになった。又、仏前に朝夕かかさず花を供えたのが華道家元池坊の発祥の起源として知られている

地下鉄烏丸線御池下車、徒歩約5分境内自由

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六角通り 誓願寺

2006-04-28 16:49:33 | 通りをゆく(洛中東西)
浄土宗西山深草派総本山。本尊の阿弥陀さんは木像で丈六(身長約4.8メートル 驚)。奈良時代、天智天皇の勅願所として創建され、1573-92年に現在の地に移転された。

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