湯のたび

のんびりと全国の温泉廻を楽しみたいものです

妙見温泉

2007-10-21 15:25:22 | 国内旅行
妙見温泉は各宿泊施設では、それぞれ自家源泉を持ち、 掘削はしているものの、ほぼ総てが自噴泉であり、泉質は殆どが炭酸 水素塩泉となっている。泉温は42℃以上の高温泉が殆どで、数本40 ℃ほどの源泉があるが、こちらは炭酸の含有量が多く、加熱せずに療 養用として使用しているようだ。11カ所総て「かけ流し」の温泉 1895年(明治28年)の開湯で、妙見神社の旧跡から発見されたことに因む。
高級宿で贅沢な旅を楽しむのも旅のひとつですが今回は気楽に湯を愉しもうと選んだ宿がきらく温泉素泊まり4000円で釣があった。

妙見温泉

2007-10-18 13:36:21 | 国内旅行
「くすしき国の虹のつり橋」の由来となった斎藤茂吉の歌碑があり霊妙あるいは神妙な温泉・・・・妙見は全国的に良く聞きますが??。

妙見神社は、平安時代末期に中国から伝わった北辰(北極星)信仰と結びつき妙見社として祀られるようになり神道にては天之御中主神。仏教にては北辰妙見大菩薩。道標(迷わぬように)道祖神社。

妙見温泉

2007-10-16 15:38:29 | 国内旅行
この地は歴史的にも古くから先住民族が住んでいたという「熊襲の穴」中は100畳敷きが有り、奈良時代政争に敗れてこの地に流された和気清麿呂公ゆかりの和気湯(わけのゆ)があり"これが露天風呂の元祖"弓削道鏡(ゆげのど うきょう)からアキレス腱を切られ、痛む傷を猪と共に癒したのか??まさに神の国

塩浸温泉

2007-10-12 14:38:29 | 国内旅行

日本で始めて新婚旅行をした、坂本竜馬とお竜(おりょう)が立ち寄ったところで 有名である。 現在は塩浸温泉福祉の里として町民憩いの場となっている、今でも車が無ければ人 の往来がない 山道の一軒屋あの時代に良く訪れたと思う。 西郷隆盛や家老の小松帯刀(たてわき)たちが、薩長同盟のあと寺田屋で襲われて ケガした龍馬に保養してもらおうと招待する。このあたりは西郷や小松もよく利用 していた所妻のおりょうと共にこの塩浸温泉を訪れ10日ほど滞在し寺田屋で受け た 傷を癒したといわれています「龍馬手帖摘要」 谷間に龍馬も入ったという今は使われていない2.3人入れる露天風呂が当時を忍 ば せている

 

龍馬ゆかりの温泉 平成21年3月31日をもって閉館・・・再生へ今年7月から解体・改修工事を実施。現在は立ち入り禁止だが、来年4月1日から日帰り入浴や足湯、龍馬関連資料が楽しめる公園に整備されるという。 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送が予定され時の人気になりますが


塩浸温泉

2007-10-11 17:45:23 | 国内旅行
天降川沿に龍馬・お竜が入ったという露天風呂が川べりに今も残っている


お竜の生涯

龍馬は慶応元(1865)年9月9日、乙女とおやべ宛てに長文の手紙を書いている。禁門の変が起き、京都は焼かれ弟妹は四散、売られようとした妹を救出するお竜の雄婦ぶりを描き、「右女ハまことにおもしろき女」「私のあよふき時よくすくい候事どもあり」「名はお竜と申、私しニにており候」と知らせ、「乙大姉の名諸国ニあらハれおり候」と乙女を持ちあげて帯や着物をつかわして下さい、とねだっている。慶応2(1868)年1月、薩長同盟成立後に起きた伏見寺田屋事件では、入浴中のお竜は風呂から飛び出して注進し、薩摩屋敷にも急を知らせるなど、龍馬の危機を救う働きしている。
同年3月、小松・西郷らの勧めにより、薩摩へ新婚旅行に出発し、霧島温泉や高千穂の峰に遊び、負傷の治療をかねて日本人初の新婚旅行を味わう。
美人で花を生け香をきき茶の湯を致す教養を持ち、気丈な男勝りの京女は、海援隊士らに「姉さん」と呼ばれたが、土佐藩大監察佐々木高行は日記に「有名ナル美人ノ事ナレ共、賢婦人ヤ否ヤハ知ラズ、善悪共ニ為シ兼ネル様ニ思ヒタリ」と表している。
龍馬の没後しばらくは、三吉慎蔵の世話になり、明治元年、龍馬の高知の実家に迎えられた。
だた、一年ほどで京都に戻り、龍馬の墓のかたわらに庵室を結んだ。お竜が土佐を去るとき、たくさんあった龍馬からの手紙は、この手紙は人に見せたくないからと、すっかり焼いてしまったようだ。
やがて西郷らを頼って東京に出、明治8年に旧知の大道商人西村松兵衛と再婚し、西村つると名乗り、晩年は横須賀三浦郡豊島村の観念寺裏長屋で夫とくらし、貧窮の中で、明治39(1906)年に没している。享年66歳。
墓は(龍馬の有志人々により)神奈川県横須賀市大津3丁目信楽寺(しんぎょうじ)門前に「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」とある。