旧川越街道は、信号のある交差点から上り坂になる。
この交差点からすぐ近くに川越街道があり、さらにその向こう側を東武東上線が走っている。
坂はそれほど急ではなく、自転車で座ったままでも上っていく人もいる。
坂はゆっくり右へカーブしている。
坂の途中で左手には高い崖が現れる。
その崖へ上る石段があり、右に熊野神社の石柱が建てられている。
また、左手には烏頭坂と彫られている石柱と説明板がある。
石柱には「市指定史跡 烏頭坂」とあり、説明板にはつぎのように書かれている。
烏 頭 坂(うとうざか)
(市指定・史跡)
旧川越街道を岸町から新宿町二丁目・富士見町へ上
る坂道で、往時は杉並木がありうっそうとしていた。
新河岸川舟運が盛んな頃は、荷揚げされた荷物を市内
の問屋街に運ぶときに必ず通らなければならず、難所
として知られていた。川越の地名として古くからあり、
文明十八年(一四八六)頃、この地方を遊歴した道興(どうこう)
准后(じゅごう)の『廻国雑記』に、「うとふ坂こえて苦しき行末を
やすかたとなく鳥の音もかな」という歌がある。
昭和三十三年三月六日指定
川越市教育委員会
烏頭坂の名前についての由来はなく、古い地名だと書いてあるだけである。
その後に、道興准后の名前があるが、「広辞苑」によれば、
じゅ‐ごう【准后】
(ジュンゴウとも)→准三宮(じゅさんぐう)に同じ。
じゅ‐さんぐう【准三宮】】
平安時代以降、皇族や上級公卿に、三宮(太皇太后宮・皇太后宮・皇后宮)に准じて、年官・年爵を給与した経済的優遇法。後には年官・年爵なく、名だけの優遇法となった。准三后じゅさんごう)。准后(じゅごう)。
また、烏頭は善知鳥とも書くが、
うとう【善知鳥】
①チドリ目ウミスズメ科の海鳥。大きさはハトぐらい。背面は灰黒色、腹部は白色。顔には2条の白毛を垂れる。生殖時期には上嘴基部から角状突起を生ずる。北方海洋の島で繁殖し、冬期本州から九州の海上にまで南下する。子を取られると鳴くという。〈日葡辞書〉
②善知鳥安方(うとうやすかた)の略。→ うとう‐やすかた【善知鳥安方】
うとう‐やすかた【善知鳥安方】
陸奥国外ヶ浜にいたという鳥。親が「うとう」と呼べば、子が「やすかた」と答えるという。うとう。
この辺りの解説は、つぎの本に詳しい。
「川越歴史小話」 岡村一郎 川越地方史研究会 川越歴史新書5 38.烏頭坂考
坂は少し上で急に右に曲がって川越街道に合流する。
歩道はそのまま直進して上の交差点に出る。
この辺りは少し勾配がきつくなる。
合流点の上から下を見ると、川越街道は車の列が出来ているが、烏頭坂に車は見えなかった。
ちょうど自転車を押して登ってくる人がいた。
右端は、熊野神社の境内に入る坂である。
坂の上は、川越街道が国道16号とが交差している。
また、鹿見塚のところでも書いたが、この左手でJR川越線と東武東上線が交差している。
ここはいつも、車と電車の音が交錯している。
川越にも坂は色々あるが、名前の分かるものは少ない。
また、古い歌に詠まれているのはこの坂だけのようだ。
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