川越雑記帳2(川越見て歩き)

塔の前腰に手をあて見上げたり/二層をつなぐ白き亀腹(喜多院・多宝塔)

急に暖かくなった喜多院の境内には、訪れる人の姿が増えた。
庫裏の方から歩いて来た二人連れは、多宝塔の前で立ち止まった。
一人は説明板を読み始め、もう一人は腰に手をあてながら塔を見上げている。


二人の女性が去ったあと、説明板に行ってみた。

そこには、次のように書かれている。

 県指定・建造物
    多宝塔(たほうとう)
 「星野山御建立記」によると、寛永十五年九月に
着手して翌十六年(一六三九)に完成、番匠(ばんしょう)は平之
内大隅守、大工棟梁(だいくとうりょう)は喜兵衛長左衛門だったことが
わかる。この多宝塔はもと白山神社と日枝神社の間
にあった。明治四十五年道路新設のため移築(慈恵
堂脇)されたが、昭和四十七年より復元のため解体
が行なわれて昭和五十年現在地に完成した。多宝塔
は本瓦葺(ほんかわらぶき)の三間多宝塔で下層は方形、上層は円形
でその上に宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根を置き、屋根の上に相輪(そうりん)
のせている。下層は廻縁(まわりえん)を回(めぐ)らし、軒組物(のきくみもの)は出組を用いて四方に屋根を葺き、その上に漆喰塗(しっくいぬり)の亀腹(かめばら)があ
る、この亀腹によって上層と下層の外観が無理なく
結合されている。円形の上層に宝形造の屋根をのせ
ているので組物は四手先(よてさき)を用いた複雑な架構となっ
ているが、これも美事に調和している。相輪は塔の
頂上の飾りで九輪(くりん)の上には四葉、六葉、八葉、火焔付(かえんつき)
珠がのっている。この多宝塔は慶長年間の木割本「匠
(しょうめい)」の著者が建てた貴重なる遺構で名塔に属している。
 昭和五四年三月
              埼玉県教育委員会
              川越市教育委員会


先ほどの人と見る角度は違うが、見上げるとこんな感じになる。。


説明板にあった、九輪の上の四葉、六葉、八葉、火焔付宝珠とはこれである。


説明板には、「もと白山神社と日枝神社の間にあった。明治四十五年道路新設のため移築(慈恵堂脇)されたが、昭和四十七年より復元のため解体
が行なわれて昭和五十年現在地に完成した。」ともある。
山門を出ると直ぐ左側に日枝神社がある。
その前に「喜多院門前通り」の青い標識がある。


喜多院門前通りは、途中で狭くなるが直線路で、台地を下りて少し曲がりながら新河岸川に出る。


この道は喜多院門前で右折し、日枝神社の脇を北へ抜ける。
現在白山神社はないが、多宝塔はこの辺りにあったのだろうか。


改めて多宝塔を見て、二つの神社の間にあった頃を想像した。


喜多院の境内は現在よりもかなり広く、建物も多く景観もかなり違っていただろう。

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