気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

道北旅行記② 道の駅「おびら鰊番屋」

2008-10-04 00:43:58 | 写真(風景)

前回の道の駅「おびら鰊番屋」ではメインの建物をUPしましたが
それ以外もいろいろ撮影しましたので(往路386.52中155.62㌔シカ進んでいませんが)
国道232号線は日本海側を北上するように走っていますので
道の駅の向かいは海です
 
    案内板                  トワイライトアーチ
 
   松浦武四郎の像               日本海
この一帯を「にしん文化歴史公園」と呼んでいるそうです
トワイライトアーチは夕陽をイメージして作られたモニュメントである。
その根元にあるのが、身長の低い松浦武四郎像である。

ここは彼が鬼鹿で詠み西蝦夷日誌に記録した「松浦武四郎歌詠みの地」
 
       風力発電                  日本海
松浦 武四郎(まつうら たけしろう)
江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家。
雅号は「北海道人(ほっかい・どうじん)」。
1844年に還俗し蝦夷地探検に出発。その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。
1855年に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、生涯6度の蝦夷地調査を行い
「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。
明治に入った1869年には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほか、
アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。
「東西蝦夷山川地理取調図」地図を見たい方はクリック
蝦夷地調査の成果として地図を作りましたが、その最大のものが「東西蝦夷山川地理取調図」
地図の縮尺は約二十一万六千分の一で、現在国土地理院が発行している二十万分の一の地図と
だいたい同じ大きさになります。
最大の特徴は、内陸部の地形を丹念に調査し、何百本もの川筋の一本一本を記していることと、
膨大な数のアイヌ語地名を収めているところにあります。
さて休憩+撮影も終わりイザ232線を北上することとしました
 
    鬼鹿海水浴場
すると2.5k過ぎに「鬼鹿海水浴場」の看板を発見!
駐車場に入りました
小さいころ(小学校?)叔父に海水浴場に連れて行ってもらった所が
ここ鬼鹿でした
記憶では留萌の鬼鹿だったのです(ここは小平町)
つまりここから北は未知の領域となります
次回へつづく
画像 2008-09-11 小平町