先月、相互リンクのお話があった賀茂神社の近くに行く機会があったので、寄せていただきました!
たまたまなのか、これもご縁なのか神主様や宮大工の方にもお目にかかれて、造営の様子も見せていただくという運のよいこと!!
熱い思いに触れさせていただいて、元気をいただいて帰ってきた!
年に1回の関西旅行で、わずかではあるが、神社を訪ねるたびに、その建物のシンプルさというか、ただ「ある」という存在感に特に目を奪われる。
その存在感が、自分を取り戻させてくれる何かがある感じで…
その場が清められるというか、静かなピリっとした感じの中で自分が中心に戻る感覚を得られる場所なんだよね。
今回こちらを訪れることで、日本には、ものごとをそぎ落としていく文化があり、その過程には、いろんな自分の心と向き合い、そうした心のつらい部分も認めていく…そういう過程が日本にはあるが、そういう考え方が、今は忘れられてしまっているのでは…ということを自分なりの解釈だが、感じることができた。
シンプルにするためには、何かを捨てていくことが必要なのかもね。
神社は、奈良時代から神馬として馬が奉納されたり、それが絵馬の起源になったりと、馬を大切に扱い、そして、人々の暮らしを見守ってきている。
乗馬をして、なにも考えず、馬と接してきているが、それでもその奥の深さにいろいろ驚くばかりで…
なんだろう
うまく言えないけれど、なんかもう少し日本の文化とか、人がなんでこんなに馬とかかわるのか知ってみたい気がした旅でした。
たまたまなのか、これもご縁なのか神主様や宮大工の方にもお目にかかれて、造営の様子も見せていただくという運のよいこと!!
熱い思いに触れさせていただいて、元気をいただいて帰ってきた!
年に1回の関西旅行で、わずかではあるが、神社を訪ねるたびに、その建物のシンプルさというか、ただ「ある」という存在感に特に目を奪われる。
その存在感が、自分を取り戻させてくれる何かがある感じで…
その場が清められるというか、静かなピリっとした感じの中で自分が中心に戻る感覚を得られる場所なんだよね。
今回こちらを訪れることで、日本には、ものごとをそぎ落としていく文化があり、その過程には、いろんな自分の心と向き合い、そうした心のつらい部分も認めていく…そういう過程が日本にはあるが、そういう考え方が、今は忘れられてしまっているのでは…ということを自分なりの解釈だが、感じることができた。
シンプルにするためには、何かを捨てていくことが必要なのかもね。
神社は、奈良時代から神馬として馬が奉納されたり、それが絵馬の起源になったりと、馬を大切に扱い、そして、人々の暮らしを見守ってきている。
乗馬をして、なにも考えず、馬と接してきているが、それでもその奥の深さにいろいろ驚くばかりで…
なんだろう
うまく言えないけれど、なんかもう少し日本の文化とか、人がなんでこんなに馬とかかわるのか知ってみたい気がした旅でした。
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