地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

万国総図(屏風絵)

2008-04-03 11:27:27 | Weblog
「万国総図」(屏風絵)
大航海時代といわれる15世紀末頃、当時の大国=ポルトガル・スペインの間では植民地や貿易の勢力圏争いが起こっていました。
その結果、1491年、両国の間で大西洋の真ん中を通る子午線で地球を2分するトリデシリヤス条約が結ばれ、日本はポルトガルの勢力範囲となっていました。酷い話ですね。
スペインは南北アメリカ、ポルトガルはアフリカからアジヤをテリトリーとしました。
その結果が、スペインはマルコポーロによるアメリカ大陸発見であり、ポルトガルは天文12年(1543)に種子島に漂着したのです。
ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝えて以来、ポルトガル船やキリスト教宣教師達の来日が多くなり、日本人の世界観も世界的に拡大されました。
南蛮趣味が時代の趨勢となり、流行し始めたわけです。
大名や豪商達は競って、室内装飾のために世界図を絵師に描かせ、世界図の屏風を重宝したようです。

その一つが、本日採りあげた「万国全図」(屏風絵)です。
正保2年(1645)に、マテオ・リッチの「坤輿万国全図」をもとに簡略化して絵師が描いたものです。(神戸市立博物館 蔵)

もともと中国で作られたものの渡来物ですから、地名は漢字で書かれていたそうですが、それを日本の「かな書き」に書き直されています。

とくにこの地図の特徴に、世界40カ国の人物絵が並んで描かれていることです。男女ペアです。肌の色の違いや、民族衣装の様子が見られます。
今でも面白く拝見できるだけに、当時としては、画期的な見ものでしたでしょう。
私も、20年位?前、 JALが民族衣装を纏った世界の美女の写真をカレンダーにしたのを見たことがありますが、その美しさと珍しさに、今でも時折思い出します。当時はもっと強烈な印象を与えたことでしょう。
巷問でも木版刷の世界図が売られたそうです。
わが国が鎖国を布く前のことです。


さて、マテオ・リッチなる人物ですが、イタリア生まれのイエズス会士で、中国へのキリスト教布教のため、1582年にはじめて中国へ入国し、さらに明の万暦帝の信用を得て北京に在住を許され、ヨーロッパ製の世界図を参照して、万暦30年(1602)に「坤輿万国全図」を刊行し、その後、日本にも輸入され、転じて上の写真のような屏風絵になり、話題を読んだようです。


参謀本部陸軍部測量局「五千分一東京図」

2008-04-02 10:36:44 | Weblog
参謀本部陸軍部測量局「五千分一東京図」
測量原図 複製版(36面)

モノクロ地図とカラー地図を並べて示したのは、明治初期の地図作りに新政府内部の主導権争いのようなものを感じたからです。
明治9年に測量が開始され、最初はフランス式の「地図彩式」の図式により刊行される予定でしたが、明治10年の西南の役で測量が中断されました。
しかし、その西南の役で、地図の重要性を痛感し、戦後早速地図作りが本格化したわけです。当時は伊能図まで取り出して、田原坂の戦乱を指揮したようですから・・・
測量原図がカラフルな地図なのに、出来上がった地図がモノクロであるのは、当時の陸軍の組織事情によるもののようです。
「明治の陸軍建軍時には、軍費・人脈等の関連から、旧幕府の組織と装備をそのまま引継ぎ旧幕府のフランス陸軍方式を採用していました。」
しかし、この記録は変ですよね。勝った官軍が負けた幕府軍の軍制を継承しようとするのは?機会をみてその辺の事情を探ってみましょう。

しかし、新政府は、普仏戦争における両国の軍制を検討した結果、我が国の軍制はドイツ陸軍の参謀本部方式を採るべきであると判断し、明治17年軍制をドイツ陸軍方式に変更しました。

「五千分一東京図」の図式もこの軍制の変更が直接影響し、測量原図はフランス図式により作成されましたが、 仕上がりはドイツ図式になったわけです。
そして、もう一つ、皇居の中を見てください。真っ白くなっています。
私も、現役の頃、宮内庁へ行き、皇居内の庭園の資料を求めたことがありましたが、「個人の庭」という理由で断られたことがあります。当時もそんな思想でしたのでしょうか?

それらを勘案しても、フランス式の地図が世にでなかったのは、一寸、惜しい気がします。


さて、こうした経過からできた、1:5,000東京図は、明治19年~20年にかけて出版され、9面の測量原図(右の図)から、4面ずつに細区分して製版され、海ばかりの一図を除き、全35面(左の図)が世にでたわけです。

地図一つを見ても、その背景がうかがえて、面白いですね。


北極圏の氷

2008-04-01 09:44:13 | Weblog
3月31日の日経に「北極圏の氷 初の消滅へ」の記事が載っていました。
「今年の夏、北極点を覆う海氷が初めてなくなるだろう」 海洋研究開発機構・北極海気候システム研究グループがこのように予測しているそうです。
また、「9月頃には北極点へ砕氷船でなくても行ける」とも言っています。
地球はここまで変わってきたんですね・・・。 今日は4月1日ですよね?!

北極海の氷は近年、夏になると解ける面積がだんだん広がっているそうです。
北半球の日照時間は夏至(6月下旬)の頃が一番長いので、海面の温度が最高を記録するのはそれから2ヶ月ほど遅れる8月頃だそうです。
昨年は、海水の温度が過去百年の平均温度を5℃高くなっているそうです。

この解氷の現象は
①、 上記の温暖化による気温上昇のほか
②、 海氷が少なくなるに従い、ベーリング海峡から北極海へ、温かい海水が入り込みやすくなる。
③、 昔のように海氷が陸地に接岸出来なくなったため、海氷が動きやすくなり、北極海を時計回りの海流と一緒に流れる速度が速くなった。
④、 太陽光を反射する海氷が消えると、海が熱を吸収して、更に氷ができにくくなる。

これらの現象が、重なり、雪だるま式に温暖化が進むと予想されています。

前・国連事務総長も「(地球温暖化は)国連の歴史で最も重要な取組みの一つだ」と記者に語ったそうです。私もそう思います。緊急課題ですね。“ねじれ国会“どころではないですね。

アメリカではハリケーンが頻発し、最近もカテゴリー5(クラス分けの最大)が発生、ヨーロッパを始め北朝鮮など世界各地で洪水被害が広まっています。日本でもエルニーヨ現象とかで洪水の規模が拡大しています。
洞爺湖サミットの成功を祈る!