栗太郎のブログ

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映画 「桐島、部長やめるってよ」

2013-12-01 02:53:45 | レヴュー 映画・DVD・TV・その他

あくまで僕のきっかけは、NHK朝ドラ「ごちそうさん」だった。
世間のご他聞にもれず、軽いあまロス症候群を発症していた僕にとって、もともと、あと番組の「ごちそうさん」には興味がなかった。
それが、たまたま昼飯の最中、ついていたTVでこの朝ドラの再放送を観てみると、存外、おもしろい。
そして、杏の相手役のフレッシュさに目がいって、この役者は誰だろう?と気になった。
真面目で正直な役なのに、喋り方に妙な男の艶がある。ちょっと震えて聞こえる声がその理由だろうか。
wikiをみた。その大阪人の西門悠太郎を演じている役者は、東出昌大というらしい。
ずいぶんと評判のよかった「桐島、部長やめるってよ」に出ていると、この段階で知った。
だいたいこの映画に対しては、神木隆之介が桐島なんだろう、青春恋愛映画なんだろう、くらいの間違った知識しか持ち合わせていなかった。
映画のポスターの、カメラのレンズ越しの神木を見ても、もしかしたらコメディかなくらいの印象だった。
だから評判を聞いても観たいとは思わなかったのだ。
さらにプロフィールをみると、「あまちゃん」の若い頃の大吉役はこの役者だった。
(っていうかこの映画、「あまちゃん」の役者が結構出てるのには驚いたが。)
でさらに妙なところに目がとまった。おや、なんでこいつの部活名が空欄なんだ?・・・・

そんな、ちょっとしたきっかけだった。
映画を観るきっかけなんて、そんなささいなものなのだ。

観だしてみると、何か違っていた。
その何かがよくわからないまま、あれ?さっきも金曜日だったよな?とか、皆あんまり本音を口にしないんだなあ、とか。
あそうか、時間軸を戻して、視点の主人公を変えてるんだな、たしかに、この子からだとこんなふうにみえるよな、とか。
東出は何やってもデキル奴なんだな、たぶん桐島もこれにも負けずにデキル奴っていうことなんだろうなとか。
その東出が、なんで野球部をさぼっているんだろうかとか。
主人公が誰ってことではなく、部活に真剣な奴とか、惰性に流されている奴とか、しがみついている奴とか、他人を気にしない奴とか、そんな群像劇なんだなあとか。
そんなこんなをぼやっと感じながら、イメージしていたものと違って、ちょっと甘酸っぱいなと思いながら観ていた。
野球部のキャプテンが「ドラフトまで」と言った時には、ぷっと吹き出した。洒落だと思った。
だけど、それがキャプテンに対して失礼なことだとすぐに恥じた。
恋を吹っ切って音楽室に戻った「吸部」の部長が、会心の演奏をして笑みがこぼれた時には、僕もさそわれて微笑んだ。
その辺くらいまでは、そんなくらいのテンションだった。
だけどその辺くらいに、あれ?これだけ何人もの「誰かを好き」って気持ちがこっちに伝わってきているのに、誰ひとりとして「好き」って言っていないんじゃないか?と気づいた。
桐島らしき人影を見つけて、みんなが屋上に殺到するあたりから、なにやら、僕の感情がはらはらざわざわしだしてきた。
走る姿を見つけて何かを察して自分も追いかけ出す高校生の勘の良さにシビれ、屋上での混乱のゆくえを心配し、見守るような気持ちで不安になった。
ひと悶着のあと、東出が神木に戯れるように、「将来は映画監督ですか?」と聞いた。
元気よく「ハイ」と返ってくると思いきや、冷静に自分の才能の限界を知っている答えが返ってくる。
その答えに、意表を突かれたような東出。そして、おなじく僕。
「かっこいいよね」と言われて、涙をこらえる東出。そのやりとりを見ながら、これまた同じ思いの僕。
こりゃあ参った。こうくるとは思ってもいなかった。

校舎をでて、東出は、桐島に電話をかけだした。たぶん、桐島はでないだろうってわかっているくせに。
電話に出ず、電話も切らずに、夕闇の中、野球部が白球を追いかけるグランドを見つめる東出の後ろ姿のまま、高橋優の歌が流れ出して、映画が終わった。
ありゃあ、こんな終わり方するのか、こりゃあずるいなあと思いながら、胸が苦しくなった。

それがずっと突っかえていて、ついついもう一度、ひとつひとつの場面を確かめるように「桐島、部長やめるってよ」を見直してしまった。
ひとりひとりの行動、視線、表情、セリフ。すべてとてもいじらしく愛おしく見えた。
今度の「ドラフトまで」は、泣けた。
おそらく東出ほどのセンスも才能もないキャプテンだろうけど、彼は彼なりにけじめをつけようとしている。
少なくとも、好きで打ち込めるもの、自分はこれが好きだと胸張って言えるものがあることが羨ましかった。
泣けてきたのはここだけじゃない。吸部の彼女の笑顔に今度は泣いてしまった。
ただ単に階段を駆け上がる姿にも泣けてきた。「行かなくていいよ」にも泣けた。「謝れ」にも泣けた。「ギリギリなんだよ」にも泣けた。「練習」にも泣けた。
思うようにならないこと、誰にも言えないこと、打ち込むことで忘れようとしていること、何よりも大事にしていること、びんびん伝わってきた。
たぶん、この映画にでたことで、多くの出演者をひとりの人間として成長させたことも伝わってきた。彼らにとって、生涯大切な一本になったであろうことも感じた。
そう思えたことが、とても清々しかった。
ユーミンの「卒業写真」を聴くと、必ずと言っていいくらい毎回、切なく、苦しく、愛おしく、後悔とノスタルジーの感情がこみ上げてくるが、それと同じ種類の感情に僕は包まれていた。

そしてまた最後の東出の後ろ姿を見ながら、ぐっと涙がこみ上げてきた。
そのとき僕は、暑苦しいくらいに絶叫しながら歌う、高橋優の「陽はまた昇る」を心地よく聞きながら、もしも桐島が電話にでたら、
東出はなにを話そうとしたのだろう?なにを聞こうとしたのだろう?と考えていた。
たぶん東出は前フリもなしに、「お前は、なにかを見つけたのか?」と聞くのだろう。
そして桐島はいたって冷静に、「そうだよ。お前にもあるさ。そういうのは、自分で見つけるもんだよ」と言うだろう。
そう、それが、この映画をみた僕の答え。
返事を受けた東出は、「だよな」と笑いながら、背負っていたバックから練習着を引っ張りだすに違いないと思うのだ。


いまさらながらにしたたかにやられた。脱帽。満足度9 ★★★★★★★★★

『桐島、部長やめるってよ』公式サイト



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