栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

2017 劇場鑑賞映画マイランキング

2018-01-08 13:50:11 | レヴュー 映画・DVD・TV・その他

2017年に、映画館に足を運んで観た映画は、ちょうど100本だった。
落語に入れ込みすぎて、観たい映画を何本も見逃すはめに。
傾向としては、情緒的な邦画の良作が多かった印象。


第1位

(河瀨直美監督作品) 公式サイト

ずっと、胸が苦しかった。
台詞、表情、間合い。こもれ日、夕景の山並み、錆びた手摺り。雅哉の視界、選び抜かれた言葉、寄り添う音楽。すべてが刺さってくる。
涙を流したままにしようとすれば、声まで洩れそうだった。
永瀬が、カンヌでスタンディングオベーションを受け、感極まってうずくまってしまったのも納得の出来だった。

しかし参った、あそこで「光」と言うか。余韻、半端なしだわ。
光は、美佐子にとっては「生きていく希望」なのだろうが、人によっては「生きてきた証し」でもあるのだろう。
水崎綾女、河瀬監督もいい役者を見つけたものだ。

なお、アップの多用とハンディ使用のため、集中しすぎると酔いそうです。ふだんお好みの席よりもやや後ろの席での鑑賞をお勧めします。そして、五感を総動員して、想像してください。今まで見落としていたものに気付かされ、人を愛おしいと思う気持ちがあふれてくるでしょう。

河瀬直美監督×永瀬正敏主演!映画『光』予告編




第2位

ハローグッバイ 公式サイト

ともすれば淡々と進行するストーリーは、ただ目の前にいる高校生の日常を追いかけるような平坦な気分で流してしまいそうになる。しかし注意して眼で追っていれば、彼女たちの心情がとてもよく表情や態度に表れているのに気づく。まるで、思春期の娘をもつ親の気分でいるかのようだ。画質の柔らかさがまたそのいい手助けとなっていた。
また他のキャストの表情も実にいい。渡辺シュンスケの佇まいの誠実さ、渡辺真起子の労りを隠した微笑、もたいまさこの、あえての無表情。キャリアを経てこその名演だ。

おばあちゃんの口ずさむメロディ、渡そうとして渡せないままの手紙、その訳が明らかになる場面では、涙をこらえ切れなかった。おばあちゃん、あなたはその想いだけはボケても忘れることがなかったのですね、と。
そしてなぜか、かつて自分がしてしまった嘘や馴れ合いや無関心が、正体もなく心に蘇ってきて胸が苦しくなった。

友達ってなんですか?、と問う。
いつも一緒に遊んでいること?、LINEで繋がっていること?、同年代?、クラスメイト?、、、全部否定された気分になった。つるんだリしなくても、心が通う相手ならば友達と呼べるんじゃない?、そんなラストがとても美しかった。
繊細で脆くて愛おしい、そんな大事にしておきたい映画だった。


『ハローグッバイ』映画オリジナル予告編



第3位

たかが世界の終わり 公式サイト

冒頭、ルイが実家へ帰る道すじ、情熱的なメロディに乗って歌が流れる。
「家は・・・、

なに?

「家は・・・、救いの港ではない。」

えええ~!
そして「ふかくえぐられた傷痕~」と続く。
もう、このあとの家族の再会が修羅場になるんだろうなという想像しかできない。
出迎えた四人の家族。会話から徐々に関係と感情が明らかになってく興奮は、まるで四段重ねのおせち料理の蓋を一枚ずつ開いていくような驚きの連続。(おせちはどうかは置いといて)
家族じゃなかったら誰かが誰かを殺しちゃうんじゃないかって緊張のまま、「食べかけなんだけど!!」って叫んでも否応なしに蓋をされた気分で終幕。
食べ足りなさと、素潜りして顔を上げた後のような呼吸の窮屈さを感じながら、胸がエグられてしまっていることだけは気づいている。震えがきてたまらない。

隣家の家族喧嘩を節穴から覗き見して、「え?あの子、何したの?そういえば、泣いて帰ってきたことあったわね。」と、わずかに知っている事情から類推し、当事者でもないのに勝手に想像を膨らませながら、「やだやだ、お隣さん何があったっていうのよ!」と核心のところは何も知らない。もう、そんな気分。
うすく笑いながら、「こわ、こわ、こわ」と心の中でつぶやいた。

書いてる意味が分からない?
いいんだよ、映画自体がそうなんだから。小鳥の暗示は、むしろ親切なくらいだ。

『たかが世界の終わり』本予告




第4位

女神の見えざる手 公式サイト

彼女は、正義のためなら身を張って戦う戦士なのか?
ハイリスクを承知で、世間の悪評なんてなんのそのの博打師か?
その信念を支える背景が有りそうな、ミステリアスなロビイスト、スローン。
結局、「命を犠牲にすることを思えば、キャリアを捨てるくらいなんて屁でもないよ。」という台詞(若干違うが)が、心に残る。

「先を読み、敵が打った手の後に、切り札を出す」まさに、そのラストに息をのむ。見事だ。あのメモに書かれた言葉。それが悪魔のように思えてた彼女の印象を、高潔なものに一変させた。
ああ、あそこでしたあの電話はその、、か。あれも、そうか。あれもこの布石か。ニヤリとしながらエンドロールを見送った。

しかし相変わらず、センスのない邦題。原題はシンプルに『Miss Sloane』。勝手なイメージを押し付けないで欲しい。

ジェシカ・チャスティンが最強・性悪女を熱演!映画『女神の見えざる手』予告編




第5位

武曲 公式サイト

酒におぼれ自堕落な日々を送る矢田部(綾野剛)。まるでシャブ中のようなナリだ。それは、わが手で父を植物状態にした責めによる後悔の果てかと思っていた。だが、実はそこには、父に対する感情を把握しきれない葛藤があった。「憎しみ」なのか「愛情」だったのか。劇中、それを光邑(柄本明)に指摘されて思い悩む矢田部に、心を乱された。それまでただのクズにしか見えなかった矢田部が、自分の運命に悩み苦しむ、か弱き一人の男に見えだしてきたからだ。
そこに、まっすぐな若者羽田(村上虹郎)が現れて(と言っても光邑の仕掛けなのだが)矢田部の迷う心を激しく叩く。ふたりの丁々発止に息をのむ。剣道の対決シーンの切れ味がすごい。
ラスト、別人かと思わせる綾野剛の演じ分けに感服。そして、父の思いを知った矢田部の涙に、思わずもらい泣きをした。
結局、すべて先まで読み切っていた光邑のシナリオ通りだったというわけだが、そんな坊さんを柄本明は見事に演じていた。

村上虹郎も見るたびよくなっていく。なぜか目が離せない雰囲気がある。
原作は未読だが、天才的剣道センスを持ち合わせた羽田がラッパーだという設定に、はじめ違和感があった。しかし、運動神経やリズム感、言葉を感じる感性など、なるほど、心技体を体現する剣道という競技にもってこいだわ、と唸った。緊迫感あふれる再生物語だった。

映画『武曲 MUKOKU』予告編




第6位

素晴らしきかな、人生 公式サイト

愛、時間、死。人生においての、3つのテーマ。
それぞれを擬人化させて、廃人同様のハワードに接していくのだけれど、それを依頼する同僚が、自身の担当する役とまったく同じテーマで悩んでいる。ハワードを勇気づける手段でありながら、自らを見つめ直すきっかけにもなっていた。だから深みがあるのだな、この映画は。

ハワードが、「子供を亡くした家族のつどい(仮称)」で出会った女性との交流によって再生していくのだろうと思っていると、そこにハンパない事実があった!、さすがにこの展開を予想すらできなかった。それだけに、ようやく娘の名を口にできた瞬間の感動はたまらないものがあった。

しかしなぜ、「死」の女優が、病院で妻と隣り合わせていたのだろう?
もしや、三人の役者自体が、神様が地上に遣わした代弁者だったんじゃないのか?
神様はハワードを、そして同時に同僚三人をも、同時に救ったのだ。
それまでの彼ら四人の苦労に報いるために、幸せのおまけを与えてくれた、そう思えてならなかった。

不満は、あいかわらずのダサい邦題。食レポで「美味しい」しか言えない語彙の貧弱な下手なレポーターのようだ。他と混同するし、映画の語ろうとすることがボヤケてしまう。なぜこうまでセンスがないのか。

映画『素晴らしきかな、人生』本予告




第7位

彼らが本気で編むときは 公式サイト

ようやくLGBTへの理解が進んできたとはいえ、やはり世間ではまだまだ異端扱い。『チョコレートドーナッツ』を思い出した。

リンコ(生田斗真)の心の清らかさを知ればその偏見はなくなるのだろうけど、そもそも、知る機会さえそうはないし、機会があってもはじめから毛嫌いしてしまうのが大方の人間の行動だろう。学校の先生しかり、少年の母親(小池栄子)しかり。目の前にそれで苦しんでいる人間がいるのに、その苦しみの本質を知ろうとせずに世の常識(実は偏見)を押し付けている。残念ながら、こういう人種に何を言っても、ただ何倍にもなって反撃されるのが常で、リンコはそれを学習しているから「編み物」という自己防衛策をみつけたのだ。

しかし、なんと温かい涙を誘う映画であろうか。辛いのだけども嬉しい感情にもなり、楽しそうなのだけども切なくて泣けてくる。だいたい、女の子が「ちんこ」を連発して言ってるのに、気持ちが温かくなるなんてね。
それに、映画のなかに織り込んでくるエピソードも深い。一例を挙げれば、トモとおばあちゃん(りりィ)が、それぞれ何気なく口ずさむ歌が同じ歌だった。つまりそこに、おばあちゃんから娘(ミムラ)、またトモへと、母から子への愛情の連鎖を感じるのだ。心の奥に愛情が根付いているからこそ、最後にトモは彼女を選ぶのだ。

トモ役の子役を筆頭に、役者がみな、人物の個性を引き出しているし、映画自体も余計なことをしない。リンコを支えるマキオ(桐谷健太)がまたいい味わいをみせる。
結論を決めないことばかりで終わってしまうが、それがまた彼らの頑張りの続きを応援しているようにも思えるのが不思議だ。


是非ともこういう映画こそ、中学校あたりの学校行事で見せてやってほしい。そのとき、バカにする子供たちがいたっていい。これをきっかけに、人の痛みに気づく子が何人かでもいれば、いじめだって減るのだろう。

生田斗真がトランスジェンダーの女性に『彼らが本気で編むときは、』予告編




第8位

ラ・ラ・ランド 公式サイト

ずっと、スマートなジャズの音楽と、エマ・ストーンのキュートな笑顔にやられっぱなし。現実的なストーリーに、妄想のようなダンスがきれいにシンクロしていて、ぐいぐい引き込まれた。
それはなぜか?
そうか、劇中のセリフの通り、この映画に携わった映画人の情熱に僕の心が動かされたのだ。ジャズが好きじゃなかったミアがジャズを好きになったように、ミュージカルが好きじゃない僕がこの映画に引き込まれたのだ。

ちゃんと起承転結(つまり悲しみもある)ができていて、最後が笑顔で終わった。たぶん、愛よりも夢を追いかけた二人の別れは日本人的恋愛美学とは違うとは思う。もちろん、僕の好みでもない。だけど、二人がそれぞれ別に歩んだ人生でありながらも、セブが思い出の曲を弾いている時間だけつかの間の恋人に戻った妄想に浸り、そのあと、お互い夢を叶えたことを祝福し合うような笑顔のエールを交換する姿に、たまらず涙が出てきた。

「ラ・ラ・ランド」本予告




第9位

マンチェスター・バイ・ザ・シー 公式サイト

予告編にあった「・・すべてを置いてきたこの町で、また歩き始める」のナレーションのせいでミスリードされた。全然、その悲劇で負った心の傷が癒えてなんていなかった。リーは、かつて住んできたこの町で新たに歩き始めることなんてできやしない。悲劇のあと、どれほど自分を責め、夫婦に修復不可の溝ができ、失意のままこの町を離れたのか。過去を語らないリーの悲し気な表情が、それを痛々しく物語っていた。
凡長に思えた進行も、むしろ効果的だった。リーを見る周りの目、甥っ子とのすれ違い、、、それらを気に留めない振りをしていながらも溜まっていく感情が、実は積もりゆく枯葉のように、塞ぎこんでいく心理描写となっていた。目に見えないそれらの感情に覆われたリーの心が、とうとう窮屈に思えたときに発した『乗り越えられないんだ』のセリフに、どっと涙がこぼれた。
結局、すべてがうまく行き着く結末ではなかった。なのに、心に残る。プロデューサーのマット・デイモンは『ハッピアー・エンディング(最初よりはハッピーになっているエンディング)』といっている。ああそこなのだ、そんなハッピーな人生なんてそこら中に転がっているわけじゃない。失敗してしまったけれど、あの時より今はいくらかましになってきたよ、っていう僅かな光明に気持ちが揺すられるのだ。

マンチェスター・バイ・ザ・シー。実にロマンチックな町の名だ。wikiによるとどうやら人口5000人強の小さな田舎町らしい。正直、見終えるまでイギリスのマンチェスターと混同していた。マンチェスターなのになぜ海が出てくるんだ?、と。そのわりにはアメリカの都市名ばかり出てくるし、スポーツがアメリカ的だし、Championのトレーナーばかり着ているし、アメリカ国旗が多いしと感じ、途中でイギリスではなく、アメリカのボストンからやや離れた町だとは気づいていたが。あまりにも不覚。こんな町じゃ、ほとんどがリーの過去を知っているだろうし、思い出が至る所にこびりついている。だいいち、前妻としょっちゅう顔をあわせてしまう。乗り越えたくても、無理だよなあ。せめて、リーの感情が穏やかになってくれたことが救いだった。

アカデミー主演男優賞受賞『マンチェスター・バイ・ザ・シー』予告編




第10位


愚行録 
公式サイト

レビュー

映画 『愚行録』予告編




ほかに、よかった作品は、「あゝ荒野(残念ながら後編を見逃す)」「月と雷」「三度目の殺人」「ドリーム」「ローガン」「八重子のハミング」「三月のライオン」「光をくれた人」「幸せなひとりぼっち」「スプリット」「関ケ原」あたりか。



さて今回も、見て損したワースト3


追憶

なにもかも時代遅れ。人物もテンポも画面も、暗いしトロくさい。
疑問も多いし、無理も多い。もういちいち書く気もおきない。
岡田准一、小栗旬、江本佑のほか、有望な若手を多く起用していているが、皆が皆、辛気臭い表情しかしていないから、こっちまで気が滅入る。
だいたいさ、結局、償ったわけじゃないじゃないか。作り手の自己陶酔感がにじみ出ていて、正直不快だった。
昔の武勇伝を酔っぱらいながら自慢する上司に付き合わされた場末のスナックで、何度も「マイウェイ」を聴かされている気分そっくり。


家族はつらいよ2

仕事で車に乗る身としてまず言おう、自信過剰のくせに実は相当にへたくそな高齢者の運転ほど、社会と家族に迷惑なものはない!!
コメディとして笑えるならいいが、全然笑えない。だから「リアル家族はつらいよ」爺さんがずっと許せななかった。せめて寅さんのように茶目っ気や憎めない愛嬌があるならまだしも、威張ってるだけだから観るに耐えない。
家族の心配を一切聞こうともせず、それどころか嫁などにストレスを与えるばかり。それでいて自分は色ボケのええカッコしい。そんな我欲を押し通す頑固爺さんの、いかに不愉快なことか。
そうなると、この家族たちの人の好さにかえって苛立ちさえ感じ始める。こんな爺さん放っておくなよ、と。
監督、あなたなにか勘違いしてませんか?、これは喜劇じゃなくて悲劇ですよ。


たたら侍

どうせカッコつけ映画だろうという不安を抱えながらも、鉄好きとしては「たたら」につられて観てみたが、予想通りのハズレだった。
若者の間違いに気づきながら、何も正そうとしない無力な老人たち。
最後、結局自らの過ちを償うことなく、おのれだけ平常に戻ってしまった、その若者。
観ててイライラし通し。こいつのせいで、村は損害を被ったんだよ。おいおい許すのか?って気分。
だいたいなんだよ、最後まで敵から攻め込まれなかったじゃん。
ラストの尼子の来襲にしても少数すぎて笑ってしまう。それにもまして、村側は火筒が揃っているはずなのに、簡単に侵入されるってどういうことだよ。
殺陣も失笑。殺そうとしている相手の胸元に剣先を当てておきながら、なぜ刺さぬ?バカか。
それに、もうちょっとまともに考証してほしい。
甲本演じる、左利きの職人なんているかよ?矯正されるだろ?
戦の場面の旗指物が「毛利」に「蜂須賀」。え?なにそれ?山陰にそんな戦なんてあったかよ?
ほか多数。製作陣の方々、ちっとは勉強してくれ。 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿