九里 【九里】を探して三千里

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真野氏と三浦佐原氏、真野氏と深尾氏。

2019-12-09 | 浅小井深尾氏

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/mano1.htm


(1) 東大史料編纂所蔵の『幕府諸家系譜』第二九冊に平姓という真野氏の系図が見えており、鎮守府将軍平良兼の第十三代として真野豊後守をあげ、その二男が真野孫三郎重政であって近江人と記し、その子の新太郎重則は近江に生まれて鷹匠として大神君家康に召し出されたとして、その子の九兵衛重吉以下子孫の系譜を記載する。

ところが、『姓氏家系大辞典』では『寛政譜』などにより、この家は、三浦佐原義連三代真野五郎胤連の後であって、「金右衛門重政(尾張富塚の人、仕信長)-同重吉(元亀二卒)-同重家(寛政に孫三郎重政、仕家康)-惣右衛門重則(近江二百四十石)」と記載する。この辺にも、尾張と近江に大きな混乱が見られるが、解明が困難である。
なお、真野金右衛門重宗(重家同人か)の養子に女系親族の庄九郎重勝(正勝)もおり、もと野尻氏を称していたが、真野氏を名乗り秀吉・家康に仕えて鷹匠頭をつとめた。
 
 (2) 『姓氏家系大辞典』では、秀郷流藤原氏という民部丞正永が近江真野を領して家号とすると記し、『寛政譜』には正永の後裔の「太郎右衛門正俊(仕信長)-勘右衛門正次(近江百七十貫文)-勘兵衛正重」という「正」を通字とする真野氏をあげる。

これも近江真野に起こったというから、実態は古族真野臣の末流なのであろう。 そして、上記(1)の九兵衛重吉の子孫の女性がこの「正」流真野氏の男性(真野与惣兵衛正常)の妻となって通婚するから、(1)と(2)とは本来同族で真野臣末流なのではなかろうか。こうしてみると、幕臣となった真野氏の多くが近江出自であったことも考えられる。


===*===

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E5%AE%B6%E9%80%A3

ここからは変な想像かも知れないが、自分の記憶のためにと留めておきたい。

浅小井家連がもしかすると三浦佐原家連(肥前守)かもしれないとするのは危険だろうか。
年代は同時代と思われる。
藤原実明(下記の系図では洞院実明)の孫が盛連の娘を娶り「公名」が生まれている。

「西園寺公経と三浦惣領家は親密な関係を持っていたことが知られているが、庶流の佐原家もこの洞院流藤原氏と関係を持っていたことがうかがえる。」(千葉氏・三浦氏のページより)

https://chibasi.net/miurasoryo6.htm



この系図中にいる三浦佐原盛連の弟に家連がいて、ひょっとするとそこと浅小井深尾氏とつながっていれば…という想像である。




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1 コメント

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Unknown (りひと)
2019-12-11 12:19:03
楽しみですね、今後が。

個人的には昨日サッカーでは三浦氏がゴール決めてたような。
で関係者の人間ウォッチでは上田氏も気になってましてメンバーにいたのか?なんか物凄く眠くてうっかり寝ていて後半からしかサッカー観てないんですがメンバーも毎回とっても気になってます。

で家康が鷹との関係強いんで見えてなかったんですけど秀吉もなんですね。山科辺りの知識は秀吉のが家康より持ってそうに思うんですよね。

で真野さんは添付のサイトはあまり見ないようにしているんですけど意識なく出てきたんで読んでみました。カタバミ紋が出てましたけど、これは鏡族の関係だと思うんで中系と関係あるはずなので九里さんとも接点ありそうに思うんですよね。金属磨く草みたいです。古代から知識ないと継承されない知恵です。

で真野さんは鳥のイメージも結構ありましてどこかで得た知識なのでしょうけど。そんなんで酉の市とかも先月色々行ってみましたけど白鳥とか鷺とは定番でそれ以外ではフクロウやミミズクや鷹にも限りなく関係してくるんですよね。で水鳥埴輪絡みではやっぱり賀茂系もおそらく関わるんですよね。昨日烏の場所行ったんで烏もかなあ?

で結局の所お水で水神さん絡みなのですけど。男系女系で別れるようにも赤系青系で別れるようにも。ただ本来は一緒。そこに辿り付きたいですよね。

そう昨日鷹に出会った芝の東照宮にも行きたかったんですけどその手間のドイツのクリスマスマーケットで止まってしまいました。大きな木の根元にキリスト誕生のシーンの再現人形のクリッペがあったんですよ。馬小屋とか洞窟とかそれもありなんですけど大きな銀杏の木の下というのがまた日本的で良かったです。
本来冬至のお祭りみたいなので今一番日が短いんですよね、12/22で変化するというような文化なり知識も多分関係ある一族は知識であったんではないかな?
と思ってます。

鏡関係なので太陽の知識は間違いなく持っていたでしょうね。星まつりという儀式も神社寺問わずやっている所ありますのでその辺りも情報源にはなりそうですよ。
ゆずとかぼちゃとお風呂で日本でも風習は残ってることにも感謝ですので、この日も病気や災難よけや祓いの意味合いでも大事にしてみて下さいね。
数年前からその日の夕日を見たい場所があるんですけど今年も行けなさそうです。

今頭が痛いのでインフル?にならないように睡眠を取りたいです。東京はいよいよですので。

鳥関連の祓いにも九里さん関われるようにも思いますね。

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