中島氏が気になった理由は、
にっかり青江という刀の伝承に、諸説はあるが、兄弟として中島修理大夫・九理大夫が登場していた事であった。
九理大夫は、ある本では【中島九理大夫】とあるが、私は九里のことかもしれないと思い調べ始めた。
中島氏にはいくつもの流があり、気にかかった流をあげると…
尾張の中島氏
「中島」の地名は800年代にその名が確認できたので、その後にその地を所領した【源貞清】からはじまり1221年に【中島左衛門尉宣長】につながり、その後【中島蔵人】となる。
東京大学史料編纂所では【中島蔵人正秀 】を見つけた。
宇佐の中島氏
中島氏は本姓を【清原氏】と称し、その系図によると、天武天皇より第十三代の孫を清原武則と呼んだ。武則の更に四代の孫が成祐で、彼は尾張中島郡の郡司となったことで、中島氏を称するようになった。この成祐から五代目を【宣長】という。
相模の波多野氏の中島氏
【中島義泰】も、中原久経に近いことから関係があるかもしれない。
母は大中臣能親の娘
弘安八年に歿している。(1285年)
この中島は後に荒木氏・荒木田氏とつながってくる。
