九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

土岐氏と乾氏

2019-02-14 | 土岐氏

岡田氏の系図を探していて、「乾氏」の系図を発見。
今までの謎が解明される?かもしれない。

土佐諸家系図の中に「乾氏」があり、重要なメモが書かれていた。
最初の部分をご紹介したい。









そして、乾甲斐守秀行(氏にも見えるのだが)を調べると、居たのである。

https://www.daitakuji.jp/%E5%8D%97%E5%8C%97%E8%AB%B8%E5%A3%AB%E5%B8%B3-8-%E8%92%B2%E7%94%9F%E9%83%A1/

このページには2名の乾氏が載っていて「 永原城主 佐々木末籏頭 〇乾主膳正秀之・永原城 屋形七代経方二男豊浦冠者行実子流 乾甲斐守秀之・
長光寺 乾次郎三郎」が記載されていた。

永原氏との関係を見ると、九里を連れ出して逐電してくれた「深尾秀長」の母が永原越前守の娘である。

http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-fukao-tosa.html

つまり、乾・永原・深尾氏は繋がっている。
さらに、系図では始りが土岐氏であり、土岐氏も乾氏とつながっていたことがわかる。

これらを目で見て確認できたことが嬉しい。
そして、この同じ行実流の中に「九里」もいたのではないかと思われる。

~~~*~~~

九里と六角佐々木氏の戦いを早く終わらせるためにもであったと思いたいのだが、九里備前守を殺したメンバーに永原氏が入っている。
(これは六角佐々木氏の命によってと思う。)


今回わかった事は、長命寺縁起に「岡山城主 乾甲斐守」と書かれていたのだが、それは「乾甲斐守秀行(秀之)」であったろう…という事であった。

これは九里が滅亡した後であったのでは、と思われる。

~~~*~~~

以下は、佐々木哲氏の「永原氏の系譜」からの抜粋だが、

「『永原氏由緒』では藤原氏の子孫という系譜伝承を伝え、藤原秀郷十二代の孫で源頼朝に敵対した滝口俊秀の三男瀬川俊行が近江国栗太郡に住み、その七代の孫に永原大炊助宗行が出たという。そのとおりであれば蒲生氏と同祖であり、右馬允藤原季俊の長子俊秀(従五位下)の子孫が永原氏であり、次子惟俊の子孫が蒲生氏となる。市三宅城主永原(三宅)氏が馬允を名乗るのは、この右馬允季俊に由来しよう。」

・・・とあり、永原氏もまた秀郷流、滝口俊秀三男瀬川俊行の七代孫から始まるという。そして蒲生氏と同祖であった、となる。

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5 コメント

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Unknown (乾 俊哉)
2019-04-21 09:58:56
岐阜県関市出身で東京都在住の乾と申します。自らのルーツかもしれない、土岐乾氏の研究をしております。こちらの乾甲斐守という方は、乾道謙から乾和三に至るまでの過程に位置する人物なのでしょうか?
乾氏のこと。 (kunorikunori)
2019-04-21 11:14:26
乾様
はじめまして。
ご来訪ありがとうございます。

私も乾道謙から乾和三の間に「乾甲斐守秀行(氏)または(之)」とその息伊賀守が入るのだろうと思います。
wikipediaでは和信、宣光、和三の父が「重頼」となっており、道謙の註に「頼明」とあるので、頼の字が通し字と思うのですが、「秀行(氏・之)」や重頼の息にもその字が見えないですね。

我が家の家紋ですが、榧之内十字紋で、板垣退助と同じと言われています。我が九里家のお墓にもこの紋を使っています。
お宅は如何でしょうか?

乾氏が、近江国水茎岡山城の戦いの後、後始末をしてくださったそうで、九里氏と近い関係ではないかと思っているのです。また、その水茎岡山城の近くの長命寺の縁起書には「岡山城主乾甲斐守」と記載があるそうです。

この伊賀守は、もしかすると九里=乾かもしれません。九里伊賀守高雄(=浄椿)で、父は員秀ではないかと言われています。九里伊賀守にはたくさんの名前があり、もしかすると「秀」のついた名前もあったかもしれません。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
私もこの部分も、謎で、ずっと知りたいと思っておりましたので、よろしくお願いいたします。
和宜と和信 (kunorikunori)
2019-04-21 11:29:03
乾様

私の分で、ひとつ間違いがありました。
重頼~和宜~和信、宣光、和三
ですので、和宜の父が重頼です。
失礼しました。
Unknown (乾 俊哉)
2019-04-28 17:52:40
お返事ありがとうございます。九里氏も、乾氏と関わりがあるのかもしれないのですね!私の祖先は、現岐阜県山県市美山町乾という地区に住んでおりましたが、こちらは乾の苗字由来である、「本家である土岐氏の本拠地(現岐阜県土岐市)からみて乾(北西)の方角」にある地です。この地より土岐乾氏が発祥となった様ですが、祖先は江戸時代に、庄屋を営んでおり、明治期になって、乾の苗字を名乗っております。この事について、武士が帰農後、明治期に復姓したケースを考えております。当家の家紋は揚羽蝶であり、同地域の他の乾家の家紋は「雪折れ笹に三ッ星」が多いです。歴史上の乾氏は、山内一豊家老の乾和三の家系が有名ですが、この家は土岐市からみて真西にあたる、現岐阜県揖斐郡池田町から出たとされ、この地は近江に近いです。こちらの乾氏は、甲斐武田氏一族である板垣氏の男子を、武田氏滅亡後に引き取り、乾の苗字を与え、乾一族に組み入れています。山内一豊に従い、共に土佐に渡りますが、板垣退助は元々乾退助といい、明治期に板垣に復姓しておられます。元々、乾氏と板垣氏に、同じ源氏の系統であったという事以外にどの様な関係があったのか、気になっております。九里様のお家の家紋が板垣氏と同じであるという事は、誠に興味深いです。
貴重な情報ありがとうございます。 (kunorikunori)
2019-04-29 07:57:28
貴重な情報ありがとうございます。
乾 様

この乾氏に関係する場所で、現岐阜県揖斐郡池田町の情報が、とても重要だと感じています。
これから出てしまうので、簡単に書きますと、この近くに先祖と関わる土地があるのです。

後に記事にしたいと思います。
新たな展開となるような気がいたします。

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