日野流藤原兼光女が一条高能(能保の息子)の妻となっている事を以前述べたが、一条全子(能保の娘)が西園寺公経に嫁いでいる。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/能保
その公経の孫公相(左大臣)の妻は中原師朝の娘(八十前)で、
https://ja.wikipedia.org/wiki/西園寺公相
そして、八十前の息子西園寺実兼のwikipediaには「実兼の生母は大外記中原師朝の娘・八十前であるが、八十前の生母は琵琶西流の藤原孝道の娘・讃岐局である。実兼は母親とその実家を通して琵琶の手ほどきを受けたと考えられる。また、実兼の息男・兼季の生母は同じく琵琶西流の藤原孝泰の娘・従三位孝子であるが、孝泰の父は藤原孝道の息男・孝時である。兼季は琵琶の達人として後年活躍することになるが、父実兼同様に琵琶西流の女性達から琵琶の伝授を受けたことの影響が大きかったのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/西園寺実兼
つまり、中原師朝の妻は藤原孝道の娘(=讃岐局)であったということである。