牧宗親を調べつつ、従四位上の大中臣宗親が大舎人助大夫であり、一方、武者所宗親は従六位くらいと言われており、どうなっているのだろうか? 大中臣氏ではないという事だろうか?
「 大舎人権助大中臣宗親 」という記載もある。
宗親(むねちか)は、
牧宗親 - 平安時代の豪族
五辻宗親 - 鎌倉時代の公卿
湯浅宗親 - 鎌倉時代の武士 と3人いる。
実は、更に三善宗親も見つけてしまった。同一人物ではないかと思う。
母親が三善氏など、何かあると思う。


吾妻鑑には「北條殿室…兄弟武者所宗親…」とある。
【武者所】
武者所(むしゃどころ)とは、内裏や院御所の警備を担当する機関。 寛和元年(985年)に円融上皇の御所に院武者所を設けて10名を配備したのが最古の記録である。 後には上皇の院庁始の際に院蔵人所、院御随身所とともに置かれる慣例が成立した。
武者所のTOPは必ずしも「武士」でなくともよかったのではないだろうか?(全くの素人考えだが!)
さらに牧の方の外甥の越後介高成だが、清原氏の中に「清原隆業」が治承二年から文書に現れる。この人が、東国に行ったのではないだろうか?
そして、右筆のような文官として活躍できるように頼朝が取り計らってくれたのではあるまいか?