九里 【九里】を探して三千里

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久徳(きゅうとく)氏と北(来田)氏

2023-06-23 | 雑記

もう、どの分類に入れたらよいのかがわからず、毎回違うカテゴリーに入れてしまっている。

分類することが苦手なので、図書館司書にはなれないなぁと思う。

 

さて、来田文書に「久徳(きゅうとく)氏」が登場していた。

 

「久徳史」

 

久徳定高

 

この本には、鎌倉時代の久徳氏については書かれていない。

そもそも存在していなかった…ともいえるのだが、

私は、九里(くのり)であったのではないか?と思うのである。

 

その九里氏は佐々木氏の許にいたのだが、佐々木氏の中で京極と六角に分かれることとなり、九里氏自体もわかれたと見ている。

それは、和歌山の九里氏の系図に

 

 

とあるからである。

たぶん「佐々木氏に属しているが、六角と道誉(京極)に袖分つ…」という意味だと思う。

その後、和歌山の方の九里系図の弟(助泰)は「六角佐々木氏」につくこととなる。

 

この系図には書かれていないが、九里氏の兄(助遠)の系?か誰かは京極佐々木氏についたと思われる。

其の京極についた方の九里は、やがて六角氏のもとにいる「九里」と混乱させないためにか「久徳」を名乗り始めたのではないだろうか?

以上は仮想なのだが、私のなかでは九里と久徳は繋がっていると思っている。

多賀氏の中からも「久徳定高」が出ており、近江国の中原氏とのつながりも感じることも理由である。

六角佐々木氏についた九里と紀太氏(記田氏)とが共に活動し、紀太氏(記田氏)は伊勢の来田氏とつながりを持っていた。

ここまでは前にわかった事だが、

今回見つかった資料から分かった事は、

京極佐々木氏につき久徳氏となった系も来田氏とつながりを持っていた、という事である。

 

これは、偶然とは言えないような気がしている。

 

「久徳」という荘園の名を調べてみた。

一番大きそうなのが美濃国「久徳五箇荘」という荘園、その他は「郷」のようである。

そして一番古いのが「尼寺庄 」の中の久得(徳)であり、こちらは1192年建久二年である。

そして次に古いのが大隅国「蒲生院」という荘園(現在の姶良郡蒲生町 )で、1197年建久八年正八幡宮領となっている。つまり、紀氏と関係がありそうなのである。

この「蒲生院」があったのは合羅郡で、郡司は伊賀房行となっている。

(調所氏家譜の中に記載がある。建治二年1276年)

 

さらに、紀氏のルーツのページによると

http://zan35441.on.coocan.jp/sub11-4.html

 

蒲生院に関する図田帳というのが桑幡家文書にあり、其の桑幡氏を調べてみると「息長姓」という。

鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の仕事に代々携わってきた 社家だそうだ。

http://www5.synapse.ne.jp/shinkodo/hayato/kuwahatake.html

 

息長姓…とは驚きだ。

宇佐から来たようだ‥‥という事だ。

息長清道は平清盛とも親交があったそうである。

 

息長氏と紀氏、そして紀氏と江州中原氏、

 

大事なことは、此の蒲生院の荘園の近くに上久徳・下久徳があった事! 木田という地名もあった事!

 

 

 

 

 

 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (記田)
2023-06-23 20:37:48
こんばんは。ブログ更新ありがとうございます。このような形ではありますが、文字で今、こうして交流できること、偶然とは思えなくなりました😳
今まで知らなかった事がたくさん知る事ができ、大変ありがたいです☺️🙏
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私もびっくりです。 (kunorikunori)
2023-06-23 22:40:22
記田様

私も、記田様が登場なさってからの展開に驚いています。

近江だけではなく、美濃・伊勢・大隅・・・と、範囲は広いですね。

きっと、何かがあるはずです。

 
返信する
Unknown (記田)
2023-06-24 12:19:16
紀姓で調べてみたのですが‥
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/h_sida.html
紀姓の信太(しだ)氏が木田余城主で‥という記述をみて、
紀姓の平氏が紀平さんになった事を思い出して、
もしかすると、紀姓の信太氏が紀太になって、木田や紀田、記田になった可能性もあるかもと思いました☺️
返信する

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