今の状況で、近い関係があったのではと思われる氏。
和田
波多野(藤原秀郷流)
佐々木盛綱(相模波多野義常の許に寄寓)
中原親能(波多野氏に寄寓)
土岐
宇都宮(八田)
松田
大田乗明(日蓮の支援者)
佐々木盛綱(加地氏)
佐々木頼綱と二階堂行章女の娘が「太田時連」の妻
浅小井家長の註に「深尾太郎 式部太輔 佐々木右衛門尉 母加地太郎信実 定綱四男左衛門定高成猶子號佐々木」とあることから浅小井・深尾
1200年以前 和邇 小野 橘 伊庭 一井 櫟 間宮 真野 日野 源 和田
藤原 横山 賀茂 伊賀 土岐 高階 大中臣 三善
1200年代 富木 九里 浅小井 深尾 佐々木 藤原 畠山 平賀 大内
三浦 千葉 那珂 二階堂 中原 大江 矢部 本郷 美作
三善 結城 小山 加地
1300年代 小堀 佐々 小倉 藤堂 平井 岸本 田中 朽木 池田
1500年代~1600年代初め 永田 乾 馬場 荒木 谷 明智 三木 広田
1600年以降(我が系)永田(再)佐々(再)磯野 浅井 岡田 中村 佐藤
佐原 大井 荻野 早川 馬場 他
結城氏・小山氏も気になっている。
網戸(上野)十郎朝村蓮忍と寒河尼(=網戸尼)の結城氏
熊野に上綱として名が残っている小山氏
一番周辺事情が近い「蓮忍」はこの結城朝光と伊賀朝光の娘の息(五男)朝村蓮忍かもしれない。
上野十郎朝村・網戸朝村(あじと ともむら)とも。
祖母が八田(寒河尼)で中原姓である。
しかし、因幡国にいた事があるだろうか?
名前の経久はどうなるのだろうか。
父親が経任(橘氏)はどうなるのだろうか?等々 疑問がある。
いずれにせよ、結城・小山氏も藤原秀郷流であるので、だいたいその中から出てきたのが富木蓮忍であり、九里太郎左衛門経久 蓮忍入道であろうと思われる。
更に日蓮の手紙の中にあまり豊かではなく、貧しいという事が書かれていたので、たった一つ持っていた因幡の地頭職を失ってしまい、千葉氏の被官として得る以外の収入がなかったと思われる。
という事は、やはり結城氏ではないと思われるのだ。
その藤原秀郷流の中で、和田氏から波多野氏あたりに養子に入った「藤原秀宗」の系を遡ってみると、淵名兼行に行き当たる。
その淵名氏、土岐氏、源満仲の妻が橘氏、その橘氏を秀郷流の中に求めると「小山氏」が橘氏と関係がありそうである。
秀能も熊野、小山氏も熊野に縁がある。
しかし、やはり経任(恒遠・常遠など)- 経久 -経重・経季ー 秀重ーの系は出てこない。
その諱という点では、賀茂氏の経久ー経茂に軍配が上がるのである。
ちなみに浅小井氏の系図の中に「蓮乗~蓮忍」が続けて出ていた。
これは、丹波国観音寺文書の河守御荘の地頭職となっていた沙弥蓮忍かもしれない。
が、まだ調査中。
八田大事ですよ、頼朝には政子より必要だったはずです。
あと大江(大枝)も出てきましたね。頼朝との関係もはめられたか?誰かの濡れ衣かな?って思ってます。なので子孫の方が引け目持たずに裏のドンを炙り出せたら子孫の因縁や被害者からの恨みもそっちに移行するでしょう。
そうだ大江さんが頼朝と八田の娘との隠し子とか狙ってたりしないかな?それでまた筋が分かるかも?なんらかんらいって必ず生き延びてはいるでしょうけどね。
各地に残ってる文書は鍵ですし、新しい新説や事実発見が楽しみですね。濡れ衣なら被害者に少し寄り添う事は可能なはず、で事実やった方は怖くて近づけないし被害者も第六感ですぐ分かるでしょうね。4061