九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

「トキ」とは「日の出」を現す古代朝鮮語だそう。

2020-11-16 | 古代からのつながり


 このブログの中心は「九里氏」に関することなのであるが、その九里氏の祖であった中原太郎経久 沙弥蓮忍(蓮忍入道)は「因幡国・冨城蓮忍入道」であった可能性が非常に高い。
その息か弟または甥であった可能性のある「富木常忍」は千葉氏の被官(執事的)となり、千葉頼胤を支えつつ、更に日蓮と出逢ったために日蓮の支援者でもあった。

その「トキ」は「土岐氏」とも関係があるのではないかと思っているが、判然としていない。
また、因幡国の長田氏・伊福部氏とも関係があるのではないかと思ってもいるが、まだわかっていない。
更に近江国に九里(地名)があり、そこに居住していた九里氏がいて、本郷城(久里城)があった。
佐々木氏・長田氏(永田氏含む)・近江八幡にある沙沙貴宮や日牟礼神社との関係もあった。

===*===

この「トキ」という音の苗字を名乗った理由は、因幡国の「罵城」という郷(平安時代の『和名類聚抄』)の地頭か、所領を持っていたからと思われる。蓮忍入道・常忍は因幡国国衙在庁官人であったと言われている。

これまでの情報にプラス、以下の論文を読むと意外な発見があった。

http://hist-geo.jp/img/archive/163_017.pdf

坐摩神社の旧社地に近い大阪市北区兎我野町については,これを『日本書紀j仁徳天皇38年7月条に見える「菟餓野」の遺称地であるとする説66)があるが,この「トガ」という地名は,「トキ」が転説したものとされる。水谷67)は,「トキ」が古代朝鮮語で「日の出」を表わし,これを漢音の音借で「都祈」と書き,呉音で読むと「都祈」となることを指摘している。したがって,トキとツゲは変換可能な言葉であり,その意味は「日の出」となるので,都下国造が奉斎する坐摩神社の旧社地トガノとは,まさに迎日の地,冬至の日の出の地ということになる。また,等仰伎神社も,日の出に関係ある神社ということになろう。さて,武蔵国比企郡にも都家郷が存在することはすでに述べたが,とこにはまた都桑川ゃ蔀幾山もあって,やはり迎日の地であったことが推測される。

ーーー☆ーーー

【坐摩神社】http://www.ikasuri.or.jp/yuisho.html
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。

御神紋がなんと、なんと、【鷺丸】さぎまる!  

御神紋の白鷺は当社古来のものであり、その由来は神功皇后が坐摩神の御教により、摂津の国・大江の岸の田蓑島(現在の天満橋付近)の松枝に白鷺の群がる所を選び、坐摩神を奉斎なされたというご由緒によります。…とある。

===*===

今度は別な角度から‥

https://japan.fandom.com/ja/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E6%B0%8F
近江国中原氏=【本姓は阿倍氏流狭々山氏一門で、沙々貴氏(阿倍姓佐々木氏)と同族である。近江国を拠点としたが、本貫は不詳。武家として存続した。】
弘宗王とその息の中原氏であるが、近江国御家人井口中原系図では近江中原氏ともつながっている。 

そこで阿部氏族を調べる。

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/abe1g.htm
阿倍氏族は、大和国十市郡阿倍村(現、桜井市阿部)の地名に因み、安倍文殊院の東にある松本山の高屋阿倍神社(今は桜井市大字谷の若桜神社本殿西の境内に鎮座)を氏神としている。また、皇別の多氏族とも密接な関連があったようで、若桜神社本殿には多神社が合祀されており、大和の都祁は伊賀の柘植に地域的につながる事情がある。

http://yamatotk.web.fc2.com/sakurai/waka_sakura.html

http://www.y-tohara.com/nara-wakasakura.html

大和都祁と伊賀柘植

===*===

「トキ」が古代朝鮮語で「日の出」を表わし…というくだり、

また、壬生吉志という人々の登場してくる論文でもあり、いろいろな示唆に富んでいる。

日置・比企との関連!にも及んでおり、うれしい情報である。
比企氏も藤原氏であった。もしかすると今調べている斎藤氏とも関係もあるのではないだろうか?


若桜神社のことも、鳥取にある神社の方は矢部暉種(やべあきたね)が創建したといわれ、その矢部氏は伝承によれば元々、駿河国安倍郡矢部村の地頭であったという。

また、奈良の方はかなり古く、また、用明天皇や聖徳太子のいたであろう明日香にも近く、土舞台など(伎楽舞の練習場所)その足跡もある場所である。

まだいろいろな情報で頭はカオス状態なのだが、調べつつ進んでいきたい。

因幡国の若桜神社 と 因幡国 冨城氏の住んでいたあたり




大和国若桜神社





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4 コメント

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Unknown (木方)
2020-11-18 10:01:57
タイトルで入ってしまいましたが、本当興味深い記事でしたよ。個人的な日常での出会いがリンクしまくってます。

トキとツゲは変換可能な言葉

拓殖ってのも気になるんですが、都祁は更にたまたま行った地です。ツゲと変換すると闘鶏と出て来ますが鳥も色々出てきます。最近の鳥は鷲と鷺ですね。出雲なのか鳥取なのか?この辺りも絡んで来てます。

あと太陽ですけど、日の出は父が好きだったんでとにかく待つのは慣れていて次どこから出そうかも見ていると分かりますよ。個人的には夕日が好きなのでちょこっと相反するのかなあ?とは思いますが融合出来ないか?試しています。朝日は今では建物の陰などから出てくるのを見るしかないのですが、当時は自然な起伏な地形のみだったので川や海など自然に出てくるのがまた神々しかったんでしょうね。最近はお地蔵さんや恵比寿さんや子供まで使って太陽を光背に出来るように写真撮ってます。けど太陽その物よりも二峰の山やピラミッドみたいな三角山から出てくるとワクワクします。季節や位置にもよりなかなかぴったりにはなりませんから。

桃太郎や火の鳥が出てくるようにも思うので最近久々に行った烏や朱鷺や鵜や白鳥も気になります。
トミも探求していますけど鳥っぽくも思うんでトンビも気になります。風を利用した葬送儀礼も気になってます。放生会もかなり気になってます。鳶って文字も石碑で見たんで大工さんも気になる所です。屋根修復技術を評価されたようですけど大事な物を古代からちゃんと日本人がちゃんと護らないと、職人さんの待遇もちゃんと改善なりしないと古代よりレベル下がっちゃいそうですよね。灯台下暗しでもったいない事しないよう、歴史からも学びたいですね。

そんななので今回の記事とてもありがたいです。

そうそう一つ情報があります。
大山街道の東京から九里の地は長津田らしいですよ。
稲毛さん関わりそうな近くで長付きますね。去年この時期行ったあたりです。行った方がいいのか?迷い中です。

また色々な宗派の方にもお世話になりありがたく感謝しています。そうそう今年は生栗手に入らず結局食べれずでしたけど、生ではない小布施の甘い栗が身体に入りました。ありがたいです。和菓子も今後栗狙ってみますね。 天体観測や地形や重力などの知識があった方の子孫が今後活躍してくれるといいですね、多分好きじゃなきゃ続かないし個人的探究が社会貢献にも繋がるのでしょう。知識がないと水没したりなど命の危険が伴ったのである意味水神の役割を代弁していたのだろうと思います。関東なんか海の下の時代もあるし、東京から千葉まで陸続きだった時代もあると思うと鳥瞰図じゃないけど上から俯瞰的にまた時代も長く見守っていた民族もいたはず。だからそこ維持されていたはず。そこの評価も歴史の中でちゃんと出来るといいですね。

羽根があって飛んでいた人間がいて教えてもらっていたのかな?鳥と喋れる人間を歴史の中で探すのも面白そうですね。キュビズムじゃないけどいつも見ている物を定説で見ないで違う位置から見たりまたそれを平面にとりえれたりしてくれる人がいると気付く事がいっぱいありそうに思いますし、自分の得意分野で担当分けしたらいいですよね。自分がやりたい事が居ないと維持できないし苦にならないくらいの才能も伴うならば材料などのコストだけでもいい物が組織で作れるはずです。お金を積んだからいい物が出来るか?じゃないから今でも凄い物が残っているんですよね、動機が想いがないといい物を作れないはず。いい素材をいい目で見ていい環境でいい加工をしいいお客に子供を託すように預ける、泣く泣くお金で割り切るしかない物を今でもやっている方を守ってくれていた民族がいたなら復活して欲しいですね。太陽や自然など変わらないけど微妙に違う物をちゃんと興味を持ち絶妙で判断出来る方にはおそらくマニュアルこそ怖い。日本人のコロナ対策をみていると出来そうな民族ですよね。出来ない人に合わせるようになるとそれを盾にしてと法律で問題ないならってなるのもなあと。レベル高い才能をより自分たちの生活を苦しめる事なく活かせるように出来る民族が出てくるといいですね。吉祥の鳥が現れるか?麒麟か?何事も白黒じゃないからそこ臨機応変に出来る良さは独特ですね。
エジプトの大量も発見も日本と関わらないか?ちょこっと気になっています。
返信する
アイヌ語「to mi」 (kunorikunori)
2020-11-18 10:23:25
木方様
https://books.google.co.jp/books?id=7PUpAQAAIAAJ&q=mi+%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E%E3%80%80&dq=mi+%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E%E3%80%80&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiggaz39YrtAhWH-mEKHXLHAHUQ6AEwA3oECAIQAg

アイヌ語では「to」は湖 「mi」は着る ですが、
日本語の「みたま」や「みこころ」の「み」は霊という意味がありそうですね。

エジプトの太陽神、関係ありそうで、神々の考古学(大和岩雄著)はとても面白いですよ。

長津田、近くに一番親しい親戚が引っ越したので、今度訪ねようと思っています。九里目線で見てきます!たくさんの情報をありがとうございます!
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Unknown (木方)
2020-11-20 10:05:45
今じゅん散歩って東京でやっている番組で京急川崎をお散歩しているよう。
稲毛神社ですって!なんか引っ張られているような?
行きたい場所も関連づいてきたり、なんなんでしょうね。
今日行きたかったのも9/9絡みですよ。
11月の卯の日なのですが状況がね、無理しないでも知識が得られてらいつか自然に行けるのでしょう。

縁って不思議ですよね。
返信する
千葉にも稲毛のつく神社がある様です。 (kunorikunori)
2020-11-21 14:28:30
木方様
「稲毛」というのはどのような意味なのだろうか?と気になっています。

川崎の方の稲毛は、wikipediaによると
「秩父平氏の流れをくみ源頼朝の御家人となった稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり、- 1205(元久 2)年)が、桝形城に拠点を構え、北部一帯を治めるようになる。なお、現在の川崎市北部地域は摂関家の荘園であり、その荘官として治めたともいわれる。この頃より江戸時代まで、橘樹郡北部は稲毛領(いなげりょう、または「稲毛荘」)と呼ばれるようになる。」とあって、
橘樹郡の中にあったことがわかり、
横山党の拠点でもあったかもしれません。

稲毛三郎重成周辺も娘が宇都宮氏に入っていたり、面白そうですね。
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