五代友厚宛の書翰のなかに「小松帯刀」からのものがある。
その始まりが
明治元年 二月十五日 紀正手形七枚落手、書面の趣中介へ申付置、運上所免許相済
(趣中介は越中介の印刷間違いなのだろうか?)
この紀正は紀伊国屋正三郎の店と思われる。
「運上所免許」の運上所とは「外国事務所」のことだろうか?
明治元年とはいえ、2月15日は本当は慶應四年のことと思われる。
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/02/15/94738#i
そして、慶応四年(1868年)2月15日は、堺事件があった日。
このことと、手形を出してもらう事と関係があったのではないかと思ったのだが、
ただの偶然で、運上所を開設するための資金であったかもしれない。
境事件に関しては以下のwebページが詳しい。
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/02/15/94738#i