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東北地方太平洋沖地震から一ヶ月経ち、野田村復興取材です。野田村街中のガレキ取り除き作業かなり進んでいますが、街から離れた地区にはまだまだガレキが見えています。南浜の泉沢川沿いでは、三沢米軍基地の災害救助隊員の皆さんがガレキの取り除きする姿がありました。二週間ぐらい続けて野田村へ援助に来てくれているそうです。今日は約50人の人数です。

旭町の曲渡橋近くの岩岡さんと前田さんが土台だけになった自宅の片付けしていました。前田さんが津波当時の話をしてくれました。地震の時は裏で薪を切っていました。あまりに大きな地震のため近所のお年寄りに避難するように道路で声をかけて回っていました。そのうちに向かいの焼き瓦の邸宅が道路にビシャっと崩れてきたそうです。見ると水が押し流したようです。慌てて自宅の二階に上り周りを見たら、焼き瓦の大きな家がどんどん役場方向の流されるのが見えたそうです。そのうち自分の家もふんわりと水に浮き役場の方に流され始めたそうです。二階にも腰まで水が入って来たそうですが。「もう、どうにでもなれ」と思ったそうです。そのうち図書館にぶつかり止まったそうですが、表に出ようにもガレキと水で出るにでれず、役場に人が見えたので、助けを求めたそうです。これまで、自宅の二階に居るまま探されたと言うことを聞いていましたが、その方は彼だそうです。彼の話では、意外とパニックにはならなかったそうで冷静に窓から状況見ることが出来たそうです。

津波と言えば「恐ろしい激流」と思われていますが、旭町襲った津波は「じんわりと水が増え、押し流す感じだった」ようです。だから、前田さん宅が破壊されることも無く、前田さんが二階に居るまま役場まで流されたようです。

鳩山由紀夫元総理が野田村を訪れ、津波で亡くなられた37名の方へ、小田村長はじめ役場職員と共に黙祷を捧げました。そのあと、現在各避難所いる方々への激励のため向かいました。

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