木蓮☆つれづれなるままに

日々の出来事を私「木蓮」がこころに思うがままに自由に書き連ねます。
ま、木蓮の木蓮による誰のため??ってか?

メッセージ

2006-04-25 17:41:46 | ココロヘ
小さいころ、オイラは「いじめられっ子」でした。

オイラの場合は、近所でのいじめだったので、
引越ししたいな~と真剣に考えていました。

だから、学校が長期の休みになると、
決まって遊ぶので、それが嫌でいやで、何とかして遊ばないように「アリバイ」工作をしたものです。

別の友達と遊ぶと、翌日は学校でつるし上げ会議にかけられ、よく泣いたものです。
なんでこんな目にばかり遭うんだろう・・・

ちょっと学年で目立てば、すぐイチャモンつけてくるし、
表彰されては、すぐ「あんたのお母さんが自慢げに話してるんだよね」って嫌味をいうし。子供心にかなりきついいじめだったと思います。

いつか、絶対見返してやる!!
それしか頭にありませんでした。
だから、勉強してあいつらを見返すんだ!と執念でした。

しかし、学校は嫌いじゃなかったし、
学校に行けば、親友と呼べる友達がいて楽しかったので、それでがんばれたんだと思うんです。

そして、クラスでいつしか人気者になっていったオイラは、それ以後、周囲から頼られる存在となりました。
結局、いじめられていて、怨念のように「見返してやる」と思っていても、いいほうには進まず、かえって学校で思いっきり楽しんで、はじけて、がんばればみんなが認めてくれる→あぁ、オイラも輝けるんだ!→なんか楽しいな~
と、明るくなれたようでした。

いじめは小学校5年くらいまでありました。
でも最後は、仲間割れの状況になって、いじめグループが自爆したって感じです。
結局、ターゲットであったオイラが、連中にいじめられても、クラスで輝いているからそれ以上手出しが出来なくなっていったのです。

今、思えば、
あの時のいじめがあったからこそ、
「あいつらを勉強で見返してやる!」って思って、勉強に食らい付いていったから、ちょっとは勉強が人より出来たのかもしれません。

あの時いじめられたから、人の痛みをわかる人間に成長できたのかも知れません。

人生には嫌なことが沢山あります。
それは大人になればなるほど、辛く大変なことです。
気の合わない人とでも一緒に仕事をしていかなくてはなりません。
悪くないのに怒られることもしょっちゅうです。
でも、そこから逃げ出すわけにはいきません。
生きていかなくてはならないからです。

だから、
今たとえ、どんなに辛くっても、悲しくっても、耐えられないと思っても、小さな夢や希望を持ってさえいれば、きっとその辛さ悲しさから抜け出せると思います。

そして、今なんで私ばっかり??って思っているかもしれませんが、
あなただからこそ、この試練を乗り越えられるから神様が与えているんだを言うことを思っていてください。

絶対、大丈夫。
あなたなら、きっとその暗闇から抜け出せますよ。
貴方にはキラキラと輝く光がみちあふれているから。

木蓮はそんな貴方をずーっと応援しています。
がんばれ!!負けるな!!




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