録画人間の末路 -

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上野はいいねぇ 恐竜と三国志に会ってきた

2019-08-19 12:43:00 | in東京
すでに三日目、帰還の日となっておりますが(明日からまた仕事か・・・。きついなぁ)東京行き二日目のことなんぞを。
今回休みをとってでも東京に来たかった最大の理由が、上野の国立科学博物館で行われている「恐竜博2019」と、同じく上野の東京国立博物館の「特別展 三国志」を見るためです。両方とも怪獣映画のように語れるほど詳しいわけではないですが、これが一度に開催されているとなると見に行かないわけには行きません、どのくらいには興味があります。とりあえず朝一で上野へ。上野といえば子供のころ東京へ旅行に連れてきてもらった時は、必ず真っ先にいく場所でした。もちろん行先は科学博物館。あまり動物園は興味なかったんですよ。父に「お前、これ何回見たがるんだよ」と飽きられる程度には名物タルボサウルスの標本は眺めていても飽きなかった覚えがあります。さてさて今回もその思い出の国立博物館へ。いやー、日曜日だけあって混んでます。特に親子連れが多いのなんの。もちろんいいことですけどね。
今回の目玉はデイノケイルスとむかわ竜と聞いていましたが、同じくらいスペースをとって第一章としてデイノニクスも展示されています。第二三章が恐竜そのものを見せる展示コーナーなら、第一章はディノニクスを代表として現在の研究対象である恐竜と鳥の関係において興味を持ってもらうコーナーとなっているようです。個人的には最近「恐竜=鳥」みたいな扱いになりすぎていて、おそらく鳥とは無関係だろう恐竜たちの在り方が軽視されているのが気になりますが。古生物学者たちの興味が鳥型に集中しているせいなんでしょうが、もうちょっと広い視野での展示物も欲しい。
そして第二章、いよいよディノケイルスです!



でかいのなんのって! なにせこの復元物は全長24m。現状知られている恐竜の中では竜脚類を除けば最大級のサイズの恐竜でしょう。あえて近くに展示されていたタルボサウルス(両者は同じ時代に同じモンゴルに生息していた恐竜のため、対決することもあったようです。証拠の化石もあるようですし)の標本が小さく見えます。名は「恐ろしい前足」から。当初は前足の化石しかなく、その巨大さからそう名付けられたそうです。現在ここまで復元ができたのは、新たな化石の発見と同時に当時盗掘され、海外に売られていた頭部などの化石をなんとか発見できたおかげもあるようです。このように巨大でとてもかっこよく、全身骨格の再現ができてなお、研究者からすれば調べることが山とあるディノケイルスですが、唯一の欠点と言えば・・・




この想像図でありましょう・・・。鶏か鸚鵡が孔雀か・・・。ああ、なんか気が抜ける姿であります。現在の恐竜額に基づいて想像したらこうなっちゃうのは仕方ないんですけどね。最近恐竜映画があまり作られなくなったのは、ちゃんと最新の学説に基づくとこんな連中ばかり出すしかなくなってぱっとしないせいでしょう。「ジュラシック・ワールド」は遺伝子操作によって外観上も昔の恐竜を再現するように改造された存在なのでOK!としてるんだと思いますが。ちなみにタルボサウルスやティラノサウルスも証拠はないけど鳥の姿とまではいかなくても羽毛が生えていた可能性は高い、とされています。数年前にはその学説に基づく恐竜博がやはり科学博物館で行われ、新設ティラノサウルスの展示されましたが・・・。まぁハゲ親父風に頭にチョビ毛が残っている姿の格好悪いこと。評判が悪かったのか、現在では「あくまで想像図」ということでもうちょっと昔の雰囲気に近いタルボサウルスの絵がかいてありましたが。



なんかアザラシみたいに見える。

さらに進んでむかわ竜の展示であります。全長8mと日本で発見された恐竜の中では大きく、かつ骨格の8割にもおよぶ、ほとんど全身と言っていいほどの化石が発見された稀有な例ではありますが、やはり24mのディノケイルスと比べればやや迫力不足。



上:復元標本 下:実物の化石

そのせいか、むかわ竜単体展示ではなく、発見場所である北海道むかわ町で発見された他の中生代生物の標本も多数展示されるコーナーとなっていました。
この恐竜博、予定より少し早く出てきてしまいました。なにせ人が多くて暑い。水を飲みたくても館内は飲食禁止、「熱中症対策のためにあらかじめ館外で水分補給をすませてきてください」とある始末。ひょっとしたら給水器とかあったのかも知れませんが、わたしの見る限りでは再入場ができなくなる展示場の外までいかないと給水できるところはありませんでした。せっかくのいい展示会なのに長時間の鑑賞ができず、残念。


気を取り直して今度は東京国立博物館へ。特別展・三国志を見るためです。科学博物館からは少し歩きますが、上野公園内を歩いていけば付きます。上野公園はそこそこ涼しい風が吹いてい来るので、日陰を通る分にはそれほど暑さを感じずに済みますから、歩くには最適です。日向に出るととたんに猛烈な暑さを感じますけどね。切符を買い、門をくぐって三国志展が行われている平成館へいくまでがまたちょっと歩きます。各館が独立しているので、日向の中を歩くんですよ。これがちょっとキツイ。まぁなんとか到着。わたしも学生時代歴史書「三国志」を一通り読んだ(完訳ではなかったらしいんですが)程度には興味あります。さすがに恐竜博と比べると人は少なく、親子連れは目立ちませんね。
今回の目玉はなんといっても曹操高陵からの出土品です。ただし、史書に「埋葬は質素に」と遺言があった通り、埋葬品は少なめでそれほど豪華絢爛というわけではないです。個人的にはこの古墳が曹操のものであるという証拠とされている文字に刻んであるのが「魏武王」であるのが気がかりなんですけどね。史書などによれば「魏武帝」がおくり名であったとされていますから。まぁ曹操が死んだ直後はまだ漢が続いていて、皇帝は一人である以上"帝"の字が使えなかったので"王"なのだ、ということなんでしょうけど。
展示物は非常に多め。ですが、よく見ると意外と三国志とは直接関係ない、間接的に三国志や地域に関連付けたような展示物も目立ちます。例えば



蛇矛です。「三国志演義」やそれを発端とする三国志物語の中では張飛の愛用する武器として有名な蛇矛で、横山光輝氏の漫画では蛇行するジグザグのついた先端が目立つ姿で書かれていました。が、実際の蛇矛はこのように蛇が口を開けたような先端になっているもっと簡素な武器です。これも三国時代の出土物ではなく、前漢時代の、それも鉄ではなく青銅で作られています。こうした三国志そのものではなく、三国時代を入口としてに古代中国文化を感じてもらう、そのような展示会という印象です。これは三国志が「語り多く物少なし」と例えられる時代のものだからだそうで。歴史書や物語に出てくるような武将の展示も朱然や曹休などそれりにありましたが、印象が強いのは「めぐみの蜀」「にぎわいの呉」というのちの世の評価を感じさせる土製の出土物による文化紹介です。蜀からの出土物である人形、「俑」はみな陽気な表情を見せ、呉は盛んであったとされる海外との貿易によって手に入ったと思わせる他国の文化の品が多数展示されていました。こちらの方が面白かったかな。


謎だった10万本の矢の展示物

あと、こちらには救いがありました。三国志展第1会場と第2会場の間にはトイレがあり、その入り口のちょっと目立たない場所に給水器がありました。気が付かないのか、だれも使っていません。おかげでここでたっぷりと、しかもちゃんと冷えている水を飲むことができました。水分をとれたおかげで会場内から出ることなく、恐竜博と比べて長時間、会場内に居続けることができました。入口とは言え、トイレで水を飲むことに抵抗がある人もいると思いますが、そうでなければ利用してください。

予定よりは少し早い引き上げにはなりましたが、それでも両展示とも十分満足に鑑賞することができました。東京近郊に住んでいる方は、開催期間中に一度は足を運んでも損はしないと思います。
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