あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

沖縄へ その6

2013-12-25 22:00:39 | 旅する
本部半島から南に向かった。距離は短いものの島を横断するわけだから、当然のように峠があった。で、上り坂が続くなか、速度計脇の走行可能距離がみるみる短くなっていくのをヒヤヒヤしながらチェックしていた。それでも、事故さえ起こさなければ永遠に登り続けることはなく、やがて下り坂に差し掛かる。

さて、しばらく走ると道沿いには民家を見かけなくなり、濃い緑が広がる。とたんに嬉しくなるはずが、ここではそうはならなかった。それは、米軍の演習場内を抜ける道を走っているからだった。やがて、ナビの指示で脇道に入り、静かな市街地を抜けると、漁港に到着した。そこで車を止め、白いテントに向かう。目の前に広がる美しい海を眺めながら、その白いテントに入ると、数人の方々が話をしていた。僕は遠慮なく空席のパイプ椅子に座り、会話に加わった。



名護市辺野古、ここはもう10年以上前から、米軍普天間飛行場の代替施設建設候補地とされたものの、今に至るまで膠着状態が続いている。そして今、高い支持率を背景に現政権が決着をつけようと画策していて、間もなく県知事の決断が下されようとしている。報道によると「受け入れ」に傾いているというが…

行きの飛行機から窓の外を「あそこか? ここか?」と眺めていた。眼下に広がる海は、どこであっても傷つけてはいけない美しさで僕を迎えてくれた。そして、撮った写真のうち一枚がその場所を捉えていた。



座り込みを続ける方々にお話を伺った。普天間飛行場の代替施設というだけでなく、港湾施設も併設するという話は初耳だったが、果たして僕はこの島の現状に耳を傾けていただろうか。そう思いながら改めて海を眺めた。

キャンプシュワブと辺野古を隔てる柵は、まるでここが国境であるかのように存在していた。いや、この柵の先には今も沖縄を、そしてこの国を占領している「宗主国」の軍隊が駐留している。福生や座間、横須賀、そし首都の中心に位置する麻布でも同様の光景を見かけるが、沖縄のそれは規模が違う。そして、すぐ近くに広がる美しい自然とのギャップが大きすぎる。

さて、果たしてこの場所に基地を作るべきなのか? そこにはいくつかの論点が絡み合っている。
1.市街地の中にある普天間飛行場の危険性を早急に取り除く
2.東アジア有事の際の防衛拠点として基地は必要
3.日米安保条約などで日本はアメリカに協力する義務を負っている
といったことが思い浮かぶ。いや、それくらいしか思い浮かばない。

1.については誰も異論はないだろう。「基地が出来れば豊かになれる」とニンジンをぶら下げ、住民を賛成と反対に分断するやり方は、水俣病などの公害事件や原発立地と同じ手口だが、普天間の危険性を根拠に、反対する人たちを「普天間移設を妨げている張本人」と位置づけするのはかなり巧妙…というか狡猾な手口だ。ただ、仲井真知事をはじめ「何とかしたい」という地元の方々の気持ちも真実で、無視することはできない。だから、難しい。

2.について、まず東アジアに有事が起きるのかという点を論議しなければならないだろう。確かに、中国や韓国が日本との関係を硬化させている。勇ましさを志向する総理大臣を戴く日本も、一部には「もしかしたら…」とも思う。けれども、平和のための努力をせずに有事が起きることを考えるのはちょっとおかしいんじゃないだろうか。「日本に駐留するアメリカ軍の存在が東アジアの緊張をもたらしている」という捉え方もある。

3.については、日米安保条約について改めて考えてみる必要があると思う。「専守防衛」を掲げる自衛隊がいればいいんじゃないか。それでも不安なら、米軍の代わりに国連軍に駐留してもらうのも…というのは以前聞いたことがあるが、悪くないと思う。現在のように広大な基地を必要とせずとも、さまざまな国の人が混在するということでのいい意味での緊張が、結果として平和をもたらすことを期待する。

まあ、何を言っても「現実を見ていない」とか「理想論だ」と返されてしまうのがオチだが、それでも言い続けなければ現実は変わらない。基地に頼らずとも、その豊かな自然と世界に開かれた立地を活かした未来が描けないか、同じ国の仲間として考えたい。
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沖縄へ その5

2013-12-25 07:07:49 | 旅する
沖縄の道はアップダウンが多い。下り坂はいいけど、上り坂になると途端に電費が悪くなる。ハイブリッド車を運転したことはないが、それもガソリン車も同じだろう。だけど、電気自動車はヒヤヒヤする。なので、次の目的地まで持つかと思ったけど、途中の道の駅に寄り急速充電した。

充電の準備をしていると、女性のタクシードライバーさんに「見学させて」と声を掛けられた。減るもんじゃないし…って、古くさい言葉だね…見てもらった。ケーブルをセットしたら、建物内に行き操作盤で手続きをしなければならず、少し面倒に感じた。まあ、ついでに自分も充電しようと、コーヒーとパンを買い充電した。

人間の方が早く充電を終え、道の駅内を散策していると、修学旅行の女子高生グループがソフトクリームを持って写真を撮ろうとしていた。こういうとき、シャッターを押してあげたくなってしまう。もちろん、女子高生だからという訳ではなく。。

ようやく充電が終わり、出発しようとすると、女子高生たちがタクシーに乗り込んでいた。で、運転するのはさっきの女性で、軽く会釈して見送った。

だんだんと走行する車の数が少なくなってきたのと呼応するかのように、トイレに行きたくなった。だけど、頼りのコンビニが見つからない。なんとか我慢してようやくトイレを見つけた。

目的を遂げ、せっかくだからとお店を覗き込むと、「寄っていって」と主に声を掛けられた。なんでも、本部町の産品を取り扱うアンテナショップだという。なぜこんなところにと思いつつ、彼の話に耳を傾けた。

本部町はアセロラの産地だそうだ。アセロラというとドリンクしか思い出せないくらいの知識しかないが、いろいろな品があった。特別欲しいというわけではなかったけど、ヨーグルトにかけるようなアセロラのソースと、亀の形をしたガラスのペンダントを買った。

再び車を走らせ、美ら海水族館の駐車場に到着した。普通充電ができる区画があり、ゆっくり充電させることにして、駐車場からさらに先を目指した。そう、目的地は美ら海水族館…ではなく、その先まで歩いた。



前の晩に一緒になった女子大生から伺った場所に行くことにした。備瀬という集落は、緑豊かな福木並木が続く街並みには木漏れ日が射し込み緑の幅を広げていた。木々の間に見えるキラキラと輝く海を眺めながら、思いきって沖縄に来て良かったと心から思っていた。

さすがにここまで来る修学旅行生もほとんどいないようで、静けさに包まれた街並みの散策を楽しんだ。



帰り際、街並みの入口にある食堂に入り、沖縄そばをいただいた。東京でも何度か食べたことがあるけど、現地で食べるというトッピングの効果とともに、鰹節が効いた汁とやわらかく煮込まれたソーキの味を堪能した。

駐車場に戻る際は、海沿いの道を歩いた。キラキラと輝く海を眺めながら、ある意味「沖縄らしい場所」を楽しんでいた。ここには女子高生も来ていて恥じらいなく海を楽しんでいたので、逆にこちらが目を逸らすこともあった。



駐車場に戻り、充電ケーブルを片付けて車を出した。充電レベルはまだまだで、那覇に帰るまでにあともう一回は必要だと思った。

次の目的地は比較的近かった。今帰仁城跡は緩やかなカーブを描く石垣の城壁が印象的な場所だ。その中に分け入ると、そこは花が咲く緑が広がる、まさに「強者どもが夢のあと」という感じがした。



出入口から外に出ると、サトウキビの搾り汁を売っていた。入る前にも気にはなっていた。で、冷やかし半分で覗いてみたら、キャラの濃いお父さんの口上に誘導され、結局一杯いただいた。ハブ酒まではいかないけど少し生臭い感じがして、なかなか進まなかった。すると、お父さんが煮詰めた搾り汁を煮詰めたものをお湯で割った…って、長い説明だな…を出してくれて、これがなかなか美味しく、交互に口にしながらなんとか飲み干した。



そろそろ時間が気になりだし、展示施設を見学せずに先を急いだ。
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沖縄へ その4

2013-12-25 06:47:44 | 旅する
朝になり、体内時計で目が覚めた。ハブ酒のせいばかりではないけど喉が乾いたのと、海を観てみたいのとで、少し散歩することにした。知花さんとの約束の時間まではまだ少しあったものの、海まで歩いていくには足りず、結局自販機で水を買ったくらいで引き返した。

庭のベンチに腰かけると、ワンちゃんが寄ってきた。僕を警戒して吠えてくるんだけど、表情は穏やかで、何かコミュニケーションを求めていたんだと思う。きっと。僕が犬語3級くらい持っていたらと、ちょっぴり残念だった。

客室上のバルコニーから空を見上げているうちに、知花さんの呼び声と女子大生たちの起き出す音が前後して耳に届いた。部屋に戻りカメラを抱え、知花さんの後を歩き出した。

しばらく進むと、ガマの入口に着いた。静かな場所だった。知花さんに懐中電灯をお借りし、ガマの中へと入っていくと、かなり広い空間が広がっていた。でも、奥に行くとともに暗くなり、また、滑りやすい箇所もあり、知花さんの案内がなければ無事に行って帰ってくることはできないと思う。

ここシムクガマは、ハワイから帰ってきた方がいたおかげで、アメリカ軍の呼び掛けがきちんと伝わり、結果として犠牲者を出さずに済んだという。多くの犠牲者を出したチビチリガマとは対称的だ。「先達はあらまほしき…」と吉田兼好は言ったが、戦前に日本を率いた先達の酷さを思った。まあ、それは今も変わらないのかな…



やがて、フッと湿気が強い場所に着いた。僕ガマはまだまだ先に続いていたけど、ここで引き返すことにした。それにしても、こんな場所で過ごさなければならなかったなんて、相当な辛さであったと思う。でも、実際の辛さはその上に「死への恐怖」がのし掛かるものだったのだと思うと、想像が追い付かない。

ガマを出ると、そこはかつて「象のオリ」があった場所だという。前夜に知花さんから伺った通り、区画整理の最中…作業中ということではなく…だった。ここにどんな街ができるかはわからないけど、きっと未来に繋がっていくだろう。



宿に戻ると、もう奥さんが食事を準備してくれていた。フレンチトーストをメインに、派手さはないけど心のこもった朝食を味わった。加えてレモングラスのお茶、女子大生のみんなには知花さんが摘んできたハイビスカスの花が添えられた。花を入れたカップにお茶を注ぐと少し黒ずんだ色になったけど、レモンを絞り入れると、目覚めるように鮮やかな赤に変化した。まあ、僕みたいな無粋者には似合わないけど、好きな人を連れていくことがあれば、ぜひご馳走してほしいと、ちょっとだけ妄想してみた。



心地よい空間で、知花さんご夫妻と娘さん、そして女子大生との話が弾み、あっという間に時間が過ぎていった。名残惜しいけど、ならばまた来ればいいと重い腰を上げた。せっかくだからとみんなで記念写真を撮った。まだお送りしていないけど、年内には送りたい。

女子大生たちを先に送り出し、奥さんの誘導で門を出た。カーナビに次の目的地をセットすると、到着予定時刻が想定外で、慌てて目的地を目指した。で、目的地の一つだったチビチリガマに行き忘れてしまったけど、次に行く理由ができたと思い、そのまま先を急いだ。
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12月24日(火)のつぶやき

2013-12-25 05:03:20 | つぶやき

#ちりとてちん 徒然亭をバカにする尊建を殴りたくなる衝動を抑える草々に対し、手が出てしまった小草若。そして、自分の行為に慌てて姿を消した小草若の代わりに「俺が殴った」と言ってしまう草々。昨日から草々をアップで捉えるシーンがいくつか挿れられているが、その末の言葉だと思うと、重い。

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天皇を政治利用してはならない。けれども、天皇が今の政権による動きを憂慮しているだろうと察することはできる。昨日誕生日を迎えられた天皇陛下の発言は、その立場でできる最大限の反対表明と捉えるが、果たして僕らは意見を言っているだろうか? www3.nhk.or.jp/news/html/2013…


#ごちそうさん 悠太郎さん、「今、鉛筆食べてませんでした?」って、帰ってきてすぐ言うか…って、イノッチも引っ掛かっていた。

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小草若ちゃんは、徒然亭を支えていたことに、自分の存在意義を感じていたんだろうな。冠番組も終わり、徒然亭も復活しようとしている今、自分の居場所を必死に探して、留まりたいんだろうね。やっと掴んだ、自分の定位置だもんね。 #ちりとてちん

Kozyさんがリツイート | RT

沖縄旅行について、ようやく1日目を書き終えた。 goo.gl/XAwH5V


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