あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

湯上がり

2007-07-15 22:47:15 | つれづれ
何だか思うように行かなかった週末。それは、台風のせいだけではない…

ついさっき、久しぶりに銭湯に行った。
去年足をちょっと怪我して以来、ずっと行ってなかった。というか、その前からあまり行くことはなかった。
家の近くにもあるのだが、30分程歩いてその銭湯に向かった。理由は、サウナに入りたいからと、少し停滞気味の歩数計のカウントを稼ぎたかったからだ。
とはいえ、追加料金を払ってサウナに入っても、辛抱が足りない僕の入浴時間はごくわずかで、多分元は取れないだろう。

まあ、ちょっぴり達成感を持ちながら家路を急ぐ。
湯上がりに、夜風はやや冷たく感じられた。
そう言えば、この前買ったほおづきが玄関先に倒れていた。そして、ひまわり柄の風鈴が割れていた。風鈴の音を楽しもうと思っていたのに、がっかりだ。いや、前もって何もしておかなかった僕が悪い。

亡くなられた方もいらして、浮かれてはいられないのだが、この台風で一気に夏が着てくれたら…と、思う。
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生きていく

2007-07-15 12:22:48 | つれづれ
最近ブログの更新が滞りがちだ。
忙しさを理由にしているが、実際にはそれだけではない…

昨日、チケットを買ってあったもう一本の映画「それでも生きる子供たちへ」を観に行った。
この映画は、7人の映画監督が「子ども」に焦点を当てて撮った7本の短編からなる。
民族紛争の中で銃を持って戦わざるを得ない少年、少年院を出て再び窃盗一家に引き戻される少年、HIVの両親を持ち自らも感染しクラスメイトのいじめにあう少女、苦しい生活の中で廃品回収に勤しみながら楽しみを忘れない兄と妹、戦場撮影の過酷な状況に現実逃避をしていたフォトジャーナリスト、生活のために窃盗を続ける少年、そして、一体の人形を軸に交差する貧しくも心豊かに育てられた少女と豊かだが心が満たされない少女。

現実はもっと過酷なのかもしれないが、その過酷さの一端を、この映画は観るものに提示する。
それは、「大変だねえ」の一言で終わってしまうものではなく、今もこの地球上のあちこちにある現実である。そしてその現実と僕らの生活はつながっている。

次々に観客に突きつけられるこの現実にも、それぞれラストに希望の灯がともされているのは、監督たちの願いなのだろうか。タイトルにある「それでも生きる」という言葉と、それぞれの物語で登場する少年少女の顔が重なり合う。

プログラムの中で、2人の少女を描いたジョン・ウー監督の「我々は世界の子ども達を救う話をしているが、本当は子どもたちが我々を救っているのだ。彼らの強さと愛が世界を変えていくだろう。」という言葉が心に響く。

先週参加したイベントで、休み時間の間、子どもたちが集う場所に行って一緒にシャボン玉を作ったり、手作り楽器を演奏したりしていた。その笑顔に、この場所にいられることの幸せを感じた。

あの時僕は、確かに何かから救われていたように思う。
だから、子どもたちのためにも「あしたはきっといい日」にしよう!
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