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Nissan R383 1970 日本グランプリにもCan-Amにも出ることのなかったニッサン R383

2012-03-28 | NISSAN
日本グランプリ3連覇を目標に開発されたニッサン R383です。
サイドラジエーターを採用しフロントは一段とシャープになりました。
前年のニッサン R382はこちらをご覧ください。→Nissan R382 1969

Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa 2012年撮影



Nissan R383  Kanagawa Nissan Heritage Collection 2015年撮影 <2016年3月画像追加>



<参考データ>
MR/V12,6L/Wheelbase 2,400mm,Length 4,115mm,Width 2,030mm,Height 1,088mm

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4 Comments

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Nissan R383 (Bob)
2012-03-30 17:17:41
koyapopさん

当時パドックで囁かれていた噂の一つは、日産と同じ「芙蓉グループ」の日立製作所系列の自動車部品メーカーのアメリカ法人がスポンサーとなり、R383がCanAmに参戦すると云うものでした。
CanAm参戦に一番積極的だったのは「黒沢元治」選手だった様です。
このR383は他の歴戦のマシンと一緒に、JR田町駅(海側)に在った「日産自動車分室」の屋外に置かれていたと関係者から聞きました。
“朽ち果てていた”そうです。
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Unknown (Koyapop)
2012-03-31 10:21:21
Bobさん、こんにちは。
興味深いお話をありがとうございます。
もしトヨタとともにCan-Amに参戦していたらその後の展開はどうなっていたんでしょうねえ~

車名はやはりDATSUN?
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Nissan R383 (Bob)
2012-03-31 13:21:16
koyapopさん

お早うございます。
実現していたらとても面白い展開になっていたと思います。
当時「アメリカ・ニッサン」社長は“Mr.K”こと「片山 豊」さんですから、それは凄いことになっていたと思います。
日産自動車の「モービル豪州一周ラリー」出場を会社に提案したのが片山さんですから、若し参戦が実現していたら、片山さん自らが陣頭指揮を執られたかも知れません。
当時TRD(トヨタ・レーシング・ディヴェロップメント)はAAR(オール・アメリカン・レーサーズ)「ダン・ガーニー」と契約していました。
更にトヨタは7リッター・ターボ・エンジンをAVSシャドウ(アドヴァンスト・ヴィークル・システムズ)「ドン・ニコルズ」にも供与していましたから、若し日産とトヨタがアメリカ現地のスペシャリストに委託してCanAmに参戦していたら、相当な成績を挙げたかも知れません。
“お上のお達し”で、メーカーが日本GP参戦を中止したのは、今もって残念で仕方ありません。
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Unknown (Koyapop)
2012-04-02 12:13:53
Bobさん、こんにちは。
おっしゃるようになっていた可能性は十分にありますね。
たしかに残念としか言いようがありませんね。
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